進化するマテリアルが拓く、人とモノが調和する未来

2026年6月19日 公開

使うほどに価値が高まり、プラスの影響を与え続けるものづくりを実現する

猪越正直 Materials-Positive Society  プログラム・ディレクター

東京科学大学(Science Tokyo)は、「『科学の進歩』と『人々の幸せ』とを探求し、社会とともに新たな価値を創造する」を大学のMissionとして掲げ、その実現に向けた分野横断・融合型の研究体制「Visionary Initiatives(VI)」を2025年に始動させました。2026年の現在、8つのVIが「善き生活」「善き社会」「善き地球」という3本柱を軸に、社会変革の姿と共通ビジョンをそれぞれが描き、未来を切り拓く挑戦をすでに始めています。

その一つ、Materials-Positive Society 「モノの進化をポジティブな社会の原動力に」は、2026年4月に始動した新しい研究組織です。プログラム・ディレクター(PD)に就任した、医歯学総合研究科の猪越正直(いのこし・まさなお)教授が、歯科臨床から始まった研究の原点と、マテリアルが切り拓く新たな社会像について語ります。

歯科臨床から始まった、「調和」をめぐる問い

自身の研究内容と、このVIに携わることになった背景を教えてください。

猪越 私はもともと歯科医師として臨床に携わる中で、「材料が人の体にどう影響するのか」、そして「体が材料をどう受け入れるのか」という問題に直面してきました。例えば、同じ材料であっても、患者さんによって反応は異なります。そこには単なる性能では説明できない、生体と材料との相互作用があります。この経験が、物質やデバイスと生体との関係を研究として捉え直す出発点になりました。

現在は、口腔デバイス・マテリアル学分野において、歯科材料や生体材料、医療デバイスの開発から評価、さらには社会実装までを見据えた研究を進めています。臨床で感じてきた「調和」の重要性は、私の研究の根底にあります。そして、自身の実体験に基づく視点が、本VIでも取り組んでいるマテリアル研究を支える重要な視点となっています。

「負を減らす」から「価値を生み続ける」へ

「マテリアル・ポジティブ」という言葉には、どのような意味が込められていますか?

猪越 「Material Positive」は、2030年までに自然の損失を食い止めて回復軌道に乗せ、2050年までに回復させるという「ネイチャーポジティブ」の考え方に着想を得た造語です。ただし、私たちは2050年よりもっと先を見て進みたいと考えています。

これまでのものづくりは、環境への負荷が大きく、大量生産、大量消費が中心となっていました。そこで、環境への負の影響をいかに減らすか、あるいはゼロに近づけるかということが注目されてきました。しかし、私たちが目指したいのは、循環の仕組みを超えた「使うほどに価値が増え、生活、社会、環境にプラスの影響を与え続ける」マテリアルの創出です。それは、ものづくりの考え方を根底から変える可能性を持つものだと考えています。

たとえば、私の専門である歯科医療の領域で考えてみると、入れ歯などの歯の欠損を補う装置は、近年の技術進展によって、機能性や使いやすさの面で大きく向上してきました。その一方で、材料は時間の経過とともに劣化しますし、患者さんごとの体質や生体環境との適合性にも、まだ課題が残っています。これは、これまで材料が「完成されたもの」として設計され、その後は基本的に変化しない存在として扱われてきたこととも関係しています。

もし、材料が生体との相互作用の中でその状態を学び取り、個々の環境や体の違いに応じて少しずつ適応するとしたらどうでしょうか。使われるというプロセスそのものが、材料の機能を更新していくことにつながり、結果として一人ひとりによりフィットした、固有の価値を持つマテリアルが形づくられていく——そんな可能性が見えてきます。

私たちが目指しているのは、まさにそうした「使うほどに価値が高まっていくマテリアル」です。それは単なる材料開発にとどまらず、人とモノとの関係のあり方そのものを、少しずつ変えていく試みでもあると考えています。言い換えれば、「使われる対象」にとどまっていたモノが、「共に変化していく存在」へと変わっていくということです。

猪越正直 Materials-Positive Society プログラム・ディレクター

未来を具現化する「3つのキービジョン」

大きなゴールに向けて、具体的にどのような研究開発を推進するのですか?

猪越 Materials-Positive Societyでは、大きく3つのキービジョン(柱)を掲げています。1つ目は、「使うほどに生活・社会が良くなるマテリアルの開拓」です。従来の循環型社会の仕組みを超え、モノが使われる中で自ら価値を更新し続けるような、新しい物質や材料の可能性に挑戦します。ここでは、データサイエンスと実験科学を組み合わせた材料探索(マテリアルズ・インフォマティクス)が非常に重要な役割を果たします。

2つ目は、「環境貢献型ものづくり」です。分散型・オンデマンド型の製造を目指します。超精密な製造プロセスやアップサイクルの仕組みを構築し、環境だけでなく社会や文化にも新しい価値をもたらしたいと考えています。

3つ目は、「生体と協奏するマテリアルのデザイン」です。これは私の専門とも深く関わりますが、医療材料において単に性能を高めるだけでなく、タンパク質やイオンといった生体物質との相互作用を原子レベルから統合的に理解し、制御することを目指します。次世代の知能技術も活用し、生体に真に調和するデバイスの臨床応用や社会実装を加速させます。

Visionary Initiative: Materials-Positive Society 「モノの進化をポジティブな社会の原動力に」

Materials-Positive Societyでは、人と環境が豊かに調和する未来の生活をモノの進化で実現することを目指します。

使うほどに生活・社会が良くなるマテリアルの開拓
・人と環境にポジティブな影響を与え続ける新物質・新材料を創出
・新反応・新原理により、循環・再生を超えて、使うほどに進化する材料を実現
・情報科学・計算科学と実験科学を駆使して機能・物性を飛躍的に高度化
・次世代の社会システムの基盤となる物質・材料・デバイスを開発
環境貢献型ものづくり​
・必要なときに必要な場所で必要なだけ生産する新しい製造プロセスを開発
・省資源・環境改善型の超精密製造プロセスを実現
・設計〜製造〜循環をアップサイクルでつなぐものづくりを実現
・多様な視点を取り入れたものづくりの進化により、新たな社会をデザインする
生体と協奏するマテリアルのデザイン​
・材料・物質と生体の相互作用を理解、制御し、医療・生命科学の進化に貢献
・生体に調和する物質・材料・デバイスの原子〜マイクロレベルのデザイン
・次世代知能技術を取り込み、循環・再生を超えて進化する医療材料のイノベーションと社会実装
・物質・材料・デバイスが進化し、生体環境に適応して生体機能を向上

医工連携の歴史を継承し、次世代の研究者を育む場へ

PDとして、このVIをどのような組織として発展させていこうと考えていますか?

猪越 Materials-Positive Societyは、旧東京医科歯科大学と旧東京工業大学が長年築いてきたマテリアル分野における医工連携の深い歴史を確実に継承しています。これは、大きな強みです。既に、医歯学系の研究者が理工学系のラボを訪れ、逆に理工学系の研究者が病院や実習室を訪れるといった、現場レベルでの密接な交流が始まっています。

PDとしての重要な取り組みの一つは、こうした交流を加速させ、「モノの全ライフサイクルを俯瞰し、ポジティブな価値を見出せる人材」を育成することです。専門分野の深い知識はもちろん、3つの柱を横断して課題を見つけ、解決策を構想できる力を重視しています。

本VIは、若手教員や次世代の研究者にとって、最前線を切り拓く場でもあります。従来の最適化とは異なる「進化するマテリアル」という高い目標に挑む中で、自らの研究成果を教育プログラムにも展開しながら、研究と人材育成を一体として推進していく——そうした役割を担ってほしいと考えています。

「科学の力」で、誰もが主役になれる未来を拓く

共同研究を考えている企業や研究者、さらには社会に向けたメッセージをお願いします。

猪越 私たちが取り組む「マテリアル・ポジティブ」の実現には、物質、材料、デバイスの研究者だけでなく、人文社会系を含むあらゆる分野の知恵が必要です。新しい価値を創造する際には、文化的な側面や社会的な受容性を抜きには語れないからです。Science Tokyoが国際卓越研究大学としてスタートした今、これまでのスケール感とは異なる環境で、多くの研究が繰り広げられていきます。人々の役に立つ研究を推進できることに私自身も高揚感を覚えています。

各分野の強みを出発点に、モノを通じて生活や社会、地球環境、そして健康にポジティブな価値を生み出していく。この新しい挑戦の場に、ぜひ多くの方々に参画していただきたいと考えています。皆さんと共に、人とモノが調和する未来を創り上げられることを楽しみにしています。



取材日:2026年3月17日

プロフィール

猪越正直(いのこし・まさなお)

東京科学大学
医歯学総合研究科
口腔デバイス・マテリアル学分野 教授

猪越正直教授

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