東京科学大学(Science Tokyo)は、「『科学の進歩』と『人々の幸せ』とを探求し、社会とともに新たな価値を創造する」を大学のMissionとして掲げ、その実現に向けた分野横断・融合型の研究体制「Visionary Initiatives(VI)」を2025年に始動させました。現在、6つのVIが「善き生活」「善き社会」「善き地球」という3本柱を軸に、社会変革の姿と共通ビジョンをそれぞれが描き、未来を切り拓く挑戦をすでに始めています。
今回はその一つ、Space Innovation「宇宙生活圏を開拓する」のプログラム・ディレクター(PD)を務める、地球生命研究所の関根康人教授に、アストロバイオロジーを軸にした自然科学の研究の広がりと、宇宙探査・開発における目標や、人類が宇宙で持続的に暮らすための学際的な挑戦、そして新たなフロンティアを築く意義について伺いました。
SFから科学へ
アストロバイオロジーとはどういう研究ですか?
関根 アストロバイオロジーを日本語に訳せば、宇宙生物学となります。これまでの生物学が地球上の生命を対象としてきたのに対し、それを宇宙規模に拡張するのがアストロバイオロジーです。具体的には、「生命の起源や進化の普遍性」「地球外生命の有無」などを探る、宇宙における生命を研究する分野融合領域です。
かつて、宇宙の生命体はSF小説の世界で語られるものであり、科学者が真面目に取り組む対象とは思われていませんでした。真剣に考えられるようになったのは2000年代以降です。振り返れば、その転機の1つは1996年にありました。火星がかつて大量の水をもつ「水の惑星」だったということは古くから知られていましたが、その年、NASAの科学者が火星隕石の中に生命の痕跡を見つけたと発表したのです。その痕跡が生命そのものかどうかは今も分かっていませんが、炭素からなる有機物が、実際に隕石中に確認されたことは衝撃的でした。具体的な物的な証拠をもとに「宇宙における生命」を議論できる時代が到来したと、誰もが思ったのです。
わたし自身が現在取り組んでいる研究は、木星の衛星のひとつであるエウロパです。NASAや欧州宇宙機関(ESA)といった宇宙機関と協力し、エウロパの地下にある海洋の化学組成に迫りつつ、「地球外生命は存在するか」の謎を追い続けています。
火星に東京科学大学の気象観測計や人工光合成デバイスを
先生の研究とVIとの関連性について教えてください。また、人類が宇宙生活圏を開拓する意義は何ですか?
関根 VI は、アストロバイオロジーの枠をさらに大きく広げる取り組みです。アストロバイオロジーを進めるには、地球科学や生物学、化学や物理など、自然科学に関するすべての学問の融合が必要です。今後は、人類が宇宙生活圏を開拓する時代となれば、社会学、経済学、農学、医学、スポーツ科学など、人間社会に関わる様々な分野がアストロバイオロジーに加わっていくでしょう。科学もそこから大きく発展していくはずです。わたしがPDを務めるVI は、宇宙生活圏を構築するために必要な要素を考え、今やらなければならない課題を学際的に研究していきます。
最初に達成したい目標は2つあります。1つは、5〜10年後までに火星探査ミッションに参加し、Science Tokyoの機器、たとえば火星環境でも動作する気象観測計や人工光合成デバイスを搭載することです。つまり、来たる火星有人探査時代に向けて必要となる技術として、火星での天気予報を実現し、二酸化炭素大気から酸素や燃料となるメタンを作る技術を火星上で実証するのです。もう1つは、地球の軌道を回る国際宇宙ステーションや月など、いわゆる「身近な宇宙」での研究です。人間が生活する際に、生体センサで健康状態を計側し、リモート医療を提供できる仕組みを実現したいと思っています。「この分野とあの分野を結びつけたら、新しいものが生まれるかもしれない」「こんな未来があるなら、そこに必要な要素はこれかもしれない」といったアイディアをつなぎ合わせ、「オーケストラの指揮者」のような役割が、わたしのPDとしての仕事だと感じています。
人類が宇宙生活圏を開拓する究極の意義は、新たなフロンティアで一から人間社会を作ることです。現代の地球では、エネルギーや資源など、あらゆる人間の活動が地球のキャパシティに近づいています。「サステナブルに生きる」という言葉が広まる一方で、社会全体に閉塞感も生まれ、社会全体が新しい生き方の指針を求めているようにも思えます。一方で、人間の活動が拡大したおかげで、月や火星が人類の新しいフロンティアになりつつあります。フロンティアといえば、17、18世紀、アメリカはフロンティアでした。そこでは、当時新しい生き方の指針であった自由や人権を中心とした国家が一から作られ、その生き方がヨーロッパに飛び火し、市民革命を誘爆してこの生き方や概念が広がりました。月や火星のフロンティアに社会を一から作ることになれば、どういう生き方や概念を中心にするのか。それがどんなものであれ、きっと地球上の人類もそれに大きな影響を受け、生きる指針や価値観を根本的に変えていくでしょう。自由や人権が20、21世紀の基本的な概念になったように、それは22、23世紀を生きる人類の生き方の根源となるでしょう。
Visionary Initiative: Space Innovation「宇宙生活圏を開拓する」
Space Innovationでは、宇宙と生命を探究し、社会を宇宙へ拡張し、人類が新たな進化を遂げる未来を目指します。
・宇宙の起源と進化の解明
・宇宙における生命の多様性と普遍性の理解
・「生命とは何か」に実証的に回答
・この世界を作る根源的物質や人類の存在理由を解明
・生命や文明を宿す天体を発見
・地球・人類を俯瞰する視点と意識の共有
・月・火星での生存圏・経済圏の拡張
・利用可能な宇宙資源の探索
・宇宙でのエネルギー源と通信の確立
・テラフォーミングと新たな倫理の共存
・人の生き方や社会の価値観の変革
・多文化共生に配慮した社会を一から形成
・健康を常時モニタリングし予測する医療
・低重力・閉鎖環境での健康の維持やスポーツの開発
・宇宙での建築や住環境を地上へフィードバック
・限られた資源や栄養素のリサイクル
・宇宙での人類の能力拡張と生物学的進化の予測
・宇宙を介した短時間高速移動
・地球低軌道(低重力)での理想的な再生医療(臓器再生)、創薬の実現
・地上で飽和したインフラ、発電施設、データセンターなどを月面・低軌道に移設
・地球-低軌道-月面を1つの生活圏としてインフラを最適化し地上を再整備
宇宙開拓は総力戦
宇宙開拓には、どのような分野との協働が必要ですか?印象に残る異分野協働の事例があれば教えてください
関根 人間が必要としているあらゆる分野が連携の対象になると考えています。特に、宇宙空間で生きていくうえで医学分野や医療分野の協働は避けて通れません。また、日本の大学や企業の得意とする「小型なものづくり」が、宇宙開発では特に重要です。宇宙にものを運ぶには、輸送できる量は限りがあり、その費用も莫大だからです。小型で高性能、かつ信頼して使える「もの」が求められます。さらに、社会科学の面では、過去のフロンティア開拓とその発展の歴史を深く理解することも必要です。たとえば、植民地であった時代のアメリカで、最初はイギリス人、フランス人、イタリア人だった人たちがどう「アメリカ人」という意識をもっていったのか、人々がどう社会を作り、法律や経済がどう発展したかという歴史は、次のフロンティアである火星に人が棲む際の参考にすべきです。
異分野との協働で印象に残っているのは、「ウェットケミストリー(主に液体の中で化学反応や分析を行う方法)」の専門家である火原彰秀(ひばら・あきひで)教授との出会いです。ウェットケミストリーは、血液の分析、河川の水質分析、深海での生物や金属の探査など、水に関する分析では必須ですが、前処理・反応・分離など、化学実験室まるごと必要なので、宇宙ではできないと考えられていました。しかし、火原先生は、化学実験室で行うプロセスを小さなチップの中で完結させる技術をもっています。十数年前にその研究を知った時、「これを宇宙で血液検査や生命探査に利用すれば、未開拓の分野が大きく開ける」と心が躍りました。その後、火原先生はわたしと同時期に旧東京工業大学に移り、現在はわたしがPDを務めるVIのメンバーとして一緒に研究を進めています。まさに運命の導きですね。
研究と社会をつなぐ新しいエコシステムへ
PDとして何を大切にしていますか?最後に、社会へのメッセージをお願いします
関根 わたしが大切にしているのは2つです。1つは、誰も着想したことのない研究、誰もやったことのない研究を支援することです。世の中の役立つかどうかはひとまず置いておいて、独創的で根源的な研究を後押しする体制にしたいと思っています。もう1つは、研究者同士や研究者と産業界をつなぐエコシステムの構築です。大学には様々な分野の研究者が在籍しており、研究者が目指す方向性もそれぞれ異なります。産業界とともに研究開発を進めながら、オーケストラの指揮者のように、基礎科学から応用科学までを広く支援していきたいと考えています。
宇宙開拓に関わる活動は、1つの大学で完結できるものではありません。宇宙探査や生命の起源の研究には、物理学・化学・生物学に加え、工学や医学、さらには社会科学まで、多様な知識と技術が求められるからです。したがって、国際的なコラボレーションは不可欠です。これらを推進しながら、今後25年間で新たなフロンティアの開拓に挑戦していきます。
取材日:2025年10月21日/大岡山キャンパス地球生命研究所Agoraにて
プロフィール
関連リンク
お問い合わせ
研究支援窓口