過去と未来を読み解く「知のタイムマシン」が描く、100年後の未来
「Future Intelligence」が挑む、多階層の生命・意識・社会の統合的理解
東京科学大学(Science Tokyo)は、「『科学の進歩』と『人々の幸せ』とを探求し、社会とともに新たな価値を創造する」を大学のMissionとして掲げ、その実現に向けた分野横断・融合型の研究体制「Visionary Initiatives(VI)」を2025年に始動させました。2026年の現在、8つのVIが「善き生活」「善き社会」「善き地球」という3本柱を軸に、社会変革の姿と共通ビジョンをそれぞれが描き、未来を切り拓く挑戦をすでに始めています。
その一つ、 Future Intelligence 「未来の知性と社会の礎を築く」は、2026年4月に始動した新しい研究組織です。プログラム・ディレクター(PD)に就任した、医歯学総合研究科の淺原弘嗣(あさはら・ひろし)教授が、さまざまな分野の多様な知見をいかに融合し、100年先の未来をどのように描き出そうとしているのかを語ります。
生命の原理を解き明かす「システム医学」から、知の統合へ
淺原先生のこれまでの研究の歩みと、今回のVIの根底にある考え方について教えてください
淺原 わたしの専門はシステム発生・再生医学です。これまで国内の大学や研究センター、そして国際的にはハーバード大学医学部附属研究所、ソーク研究所やスクリプス研究所などで研究に従事してきました。そこでは一貫して、生命がどのように形成され、進化し、そして再生するのかという原理を、遺伝子や分子、細胞、そして個体レベルまでを統合して理解することに注力してきました。
わたしは小学生の頃、毎月届く学研の「科学と学習」の教材を心待ちにしていました。先月は宇宙、今月は化学、来月は地学と、分野を越えて広がるサイエンスの世界に強い憧れを抱いていたことを今でも覚えています。しかし研究者になってからは、いつの間にか一つの分野の中での競争に没頭し、異分野は補助的な手段のように捉えてしまっていた時期もありました。今回のVIは、そうした自分自身の原点に立ち返り、サイエンスの本来の広がりを取り戻す試みでもあります。
わたしたちのVI「Future Intelligence」の基盤には、「生命を多階層のシステムとして捉える」という視点があります。宇宙物質から生命、意識、そして社会に至るまでの進化を、一つの巨大な「多階層の複雑系」として捉えるのです。量子科学、数理科学、AI、そして医学という、一見すると異なる分野のサイエンスを最前線で融合させることで、この複雑な進化の法則を科学的に解き明かしたいと考えています。そして、現在の研究成果から進化のベクトルを未来へと延長することで、単なる予測を超え、100年先の社会の可能性を具体的に構想していくことがわたしたちの使命だと考えています。
100年後の人類が「知の力」を確信できる礎を築く
このVIが最終的に目指す「未来像(ゴール)」とはどのようなものですか?
淺原 わたしたちが描くのは、「知の創造と進化を通して、人と社会の未来が科学的に予言でき、あるべき社会の具現化に知の価値を還元する世界」です。わたしたちはこの未来を創るための知を、そのまま「Future Intelligence」と呼んでいます。
100年後の人々が、今では想像もつかないような未知の困難に直面したときにも、「知性には未来を切り拓く力がある」と確信できるような礎をわたしたちが築きたい。知が進化し続け、常に未来を照らし続ける――そのような未来を具現化することが、このプロジェクトの最終的なゴールです。そのためには、未来の社会を「予測不可能なもの」として受け入れるのではなく、科学的に設計可能な対象へと転換する必要があります。わたしたちは、極めて複雑な生命現象や社会システムを、量子コンピューティングやAIといった先端技術を駆使して「予測可能なもの」へと変換し、より良い社会の形を設計していくことを目指しています。
存在論的問いから未来設計までをつなぐ「知の航海」
Future Intelligenceの研究は、どのような考え方で構成され、どのように未来へとつながっていくのでしょうか?
淺原 本VIは、「知の探究と進化を通して、知性が拓く未来の社会システムを創造する」という中心理念のもと、4つのキービジョンが連動する一つの大きな思考の流れを形成しています。
Future Intelligenceとは、過去・現在・未来を自在に行き来し、進化の法則を解き明かす「知のタイムマシン」です。このタイムマシンは物理的に時間を移動する装置ではなく、膨大なデータと理論をもとに、過去から現在までを俯瞰し、そこから導いた法則によって未来を照らし出すための新しい知のエンジンです。
その基本にあるのは、帰納と演繹というシンプルな思考です。帰納とは、宇宙・物質・生命・意識・社会といった多様な階層における進化のパターンを観察し、そこから共通する法則を見いだすことです。そして、演繹とは、帰納的に導かれた法則を用いて未来の社会像を描き出すことです。帰納と演繹の往復によって、これまで見えなかった時間の広がりを見通すことが可能になります。
こうした大きな考え方の中で生まれた、「未来を描き出す知の基盤の創成」、「未来予測を可能にする科学技術の創出」、「生命と意識の進化の可能性を探求」、「未来予測に基づく社会システムの構想」の4つのキービジョンは、バラバラに描かれているものではありません。進化の法則を見いだし、未来へとつなげるための一つの知的な航路の上にあります。わたしたちはこの航路を通じて、過去の起点から未来の可能性までを一続きのものとして捉えようとしています。
Visionary Initiative: Future Intelligence 「未来の知性と社会の礎を築く」
Future Intelligenceでは、知の探究と進化を通して、知性が拓く未来の社会システムを創造することを目指します。
・人類の知的好奇心に基づく問いを探究し、新たな学術分野を創成
・研究分野で分断された科学を統合し、過去と現在から、根源的な原理や知性の進化の法則を解明
・自然界と人間社会の現象を科学的に予測する基盤を構築
・AI・量子科学・データ科学・情報学などを融合し、複雑な自然現象や社会システムの背後に潜む美しい秩序を可視化する新しい科学技術を開発
・科学技術と知の進化を相互に加速させ、未来を自在に描く研究基盤を構築
・ヒトの意識(コンシャスネス)と体の働きを統合的に理解し、その仕組みを解明
・人間とAIの共進化にもとづく未来の知性の可能性とあり方を探求
・生命と意識の進化の法則を解明することで、全世代に資する次世代の医学を創出
・先端科学が予測可能な100年先の社会をシミュレーション・モデル化
・個々人の「人間として生きるよろこび」を最大化する社会システムを探究・デザインする
・科学の予測モデルと、価値判断・意思決定・合意形成・紛争解決の知を医療・産業・社会で実現
・知的好奇心と冷静な倫理観が駆動する新しい社会システムの学習モデルを提案
国際循環と「医工融合」による人材育成
PDとして、特に力を入れている組織づくりや人材育成の取り組みについて教えてください
淺原
本VIの大きな強みは、研究体制としてすでに世界と常時接続されていることです。わたしたちは欧州原子核研究機構(CERN)や理化学研究所、高エネルギー加速器研究機構(KEK)といった世界屈指の研究機関と日常的に連携しています。PDとしてのわたしの役割は、この国際ネットワークを最大限に活用し、若手研究者や学生が実際に海外で研究を行う「人材の国際循環」を制度として定着させることです。
また、産学連携においては、「理工学と医学を横断できる」本学の特性を最大限に活かします。量子技術や数理モデリングを臨床知や医療データと結びつけることで、創薬、精密医療、医療デバイスといった具体的な社会実装へと研究を展開していきます。
わたしたちが育てたいのは、単に論文を書く研究者ではありません。実験と理論、そして実装を往復し、「進化を理解し、社会の進化をドライブできる世界のリーダー」です。研究成果が論文で終わるのではなく、プロトタイプや実装モデルとして社会に届く経験を積める環境を整えています。
未来を設計するチャンスを、今ここに集う仲間たちと
このVIでの研究を考えている企業や研究者、社会の方々へメッセージをお願いします
淺原 サイエンスとは、我々自身のレゾンデートル(存在理由)に向かい合う、ほとんど唯一の手法だとわたしは考えています。「なぜ研究するのか」「なぜ存在しているのか」という根源的な問いは、医学だけ、数学だけでは解き明かせません。あらゆる分野の知が集うことで、初めてその輪郭が見えてきます。
10年前であれば、これほど多様な分野を融合させるのは時期尚早だったかもしれません。しかし、Science Tokyoという新しい場が誕生し、最先端の研究領域を網羅した今こそ、それが可能な時代になりました。
異なる専門性を持つ研究者が出会い、互いのサイエンスへの憧憬を語り合う。そこから生まれる「新しい知的化学反応」こそが、このVIの核です。未来を単に予測するのではなく、自らの手で設計したい。そんな熱意を持つ皆さんと共に、100年先の未来を切り拓いていけることを、わたし自身も心から楽しみにしています
取材日:2026年3月14日
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