東京科学大学(Science Tokyo)は、「『科学の進歩』と『人々の幸せ』とを探求し、社会とともに新たな価値を創造する」を大学のMissionとして掲げ、その実現に向けた分野横断・融合型の研究体制「Visionary Initiatives(VI)」を2025年に始動させました。2026年の現在、8つのVIが「善き生活」「善き社会」「善き地球」という3本柱を軸に、社会変革の姿と共通ビジョンをそれぞれが描き、未来を切り拓く挑戦をすでに始めています。
その一つ、Resilience-Tech Society「災害・パンデミックにレジリエントな社会を実現する」は、本VIを立ち上げた石野智子(いしの・ともこ)教授から理念を継承する形で、2026年4月より、環境・社会理工学院の鼎信次郎(かなえ・しんじろう)教授がプログラム・ディレクター(PD)を務めています。自然災害や都市インフラ、社会システムの統合、そして、さらなる「社会レジリエンス」の探究について、鼎教授が語ります。
専門の枠を飛び越え、社会課題の深層に迫る
鼎先生はこれまでどのような視点で研究をしてきたのですか?
鼎 私はこれまで、主に災害科学や水問題、気候変動といった分野に注力してきました。しかし、私のキャリアは決して一本道ではありませんでした。20代、30代の多くの時期に「あなたはこの専門じゃないよ」と言われ続けるような、特定の領域に収まりきらない境界領域で過ごしてきました。今振り返れば、その「既存の専門性にとらわれない経験」こそが、現在の複雑な社会課題に向き合う上での原点であり、重要な土台となっています。
自然災害やパンデミックといった課題は、一つの専門領域、あるいは一つの国だけで解決できるものではありません。予測技術、医療、インフラ整備、社会制度、そして人々の行動変容など、さまざまな要素を一体として捉える必要があります。これらの課題に求められるのは、「どの分野で秀でるか」ではなく、「異なる知をどうつなぐか」という視点です。そのためには、最初からすべてを理解している必要はなく、それぞれの立場から関わることが重要になります。
私の研究の根底にあるのは、科学的な根拠に基づきながら、いかにして人々の生活基盤を守り、迅速な回復を可能にするかという問いです。このVIでは、旧東京医科歯科大学と旧東京工業大学がそれぞれ培ってきた知見を融合させ、例えば病院の地震防災対策のような、実践的かつ緊急性の高い研究をさらに広げていきたいと考えています。
「予測」から「行動」へ ―― 4つの柱で描く未来像
Resilience-Tech Societyが描く未来像と、その具体的な柱について教えてください
鼎 一説によると、日本は自然災害のリスクが世界で3番目に高いと言われています。その日本で私たちが目指すのは、自然災害やパンデミックを単に「避けられない脅威」として受動的に恐れるのではなく、科学的に理解し、能動的に備えることで影響を抑えながら、回復していける社会です。重要なのは、「知る」ことにとどまらず、「どう行動するか」までを社会に実装することです。そして、何よりも大切なのは、いかなるハザードに直面しても、人々の命、暮らし、そして一人ひとりの「尊厳」を守り抜くことです。
これらはすべて、「いざというときに、誰も取り残されない社会をどう実現するか」という問いから生まれています。この問いへの答えとして、私たちは以下の4つの柱を掲げています。 1つ目は「自然災害に強い生活基盤の整備」です。地域社会やライフラインが致命的な損害を受けず、仮に損害を受けても速やかに回復できるレジリエンスの構築を目指します。2つ目は「自然災害から人類の安全と尊厳を守る社会システムの構築」です。支援が公平に行きわたり、誰もが尊厳を保って生活できる仕組みを作ります。3つ目は「感染症に負けない社会の実現に向けた地球規模の協働」です。国境を軽々と越えるウイルスに対し、国際的な研究ネットワークを駆使して、持続的に社会を守るしくみを築きます。そして4つ目が「科学的予測による災害・感染症の備えと取るべき行動の実現」です。リスクを科学的に予測するだけでなく、それを社会の具体的かつ適切な行動指針に結びつけ、人々に確かな安心を提供することを目指します。
私たちの最大の強みは、国際連携と社会実装を同時に視野に入れた研究を速やかに展開できる点にあります。また、災害や感染症に限定されない、あらゆる社会的リスクを対象に含めた、「オールハザード」という考え方に基づいていることも大きな特徴です。
Visionary Initiative: Resilience-Tech Society 「災害・パンデミックにレジリエントな社会を実現する」
Resilience-Tech Societyでは、国際的協働により自然災害やパンデミックに備え、安心して暮らせる生活基盤を整えることを目指します。
・自然災害の発生メカニズムの解明
・災害被害を最小限にするまちづくり
・災害に備えた代替ライフラインの確保とレジリエントな生活基盤の構築
・災害時にすべての人に医療・支援が届くネットワークの形成
・地域や国を超えた専門職・行政の連携による迅速な支援を確立
・地域医療との連携によりすべての人の安全確保を実現
・世界中の人々の基本的な暮らしが守られる柔軟な支援体制の整備
・新興・再興感染症に対して基礎研究を基にした予防、治療法開発と診断法の確立
・パンデミックに備えた医療体制の強化
・最新研究成果・感染症流行情報の国際共有による協働関係の構築
・社会活動継続のための感染拡大抑制戦略の提示
・気候変動などの要因を取り入れた、自然災害・感染症流行の予測と精度の向上
・災害被害・感染症の蔓延を最小化する社会基盤の構築と、行動指針につながる教育・文化づくり
・地域保健との連携により、必要な予防法・知識の浸透
異分野の融合が、「知の種」を芽吹かせる
プログラム・ディレクターとして、具体的にどのような取り組みを進めていく予定ですか?
鼎
2025年に心血を注いで本VIを築かれた石野智子先生は、国際共同研究と科学者同士のネットワークを着実に築いてこられました。これらの資産をしっかりと継承し、そこに自然災害、都市インフラ、社会システムといった視点をさらに綿密に統合していくことが私の使命です。
まずは、医歯学、理工学、情報数理、社会制度といった多種多様なバックグラウンドを持つ研究者が集い、互いの強みをぶつけ合う「場の構築」から始めます。例えば、分野の異なる研究者同士が気軽に議論できる機会や、小さな共同研究を試せる場を積み重ねていくことを想定しています。一見、自分の専門とは遠いと感じる研究者の方もいるかもしれません。しかし、最初は無関係に思える知見が、新しい視点を加えることで、災害現場や社会課題解決において爆発的な価値を創出することがあります。
私は、PDとして「科学と社会の橋渡し」を担うだけでなく、研究者たちが自らの専門性をより大きな社会課題につなげられる「挑戦の場」を提供し続けたいと思っています。本VIでは、「自分の専門がどこまで通用するか」を試すというより、「自分の専門をどこまで広げられるか」に挑戦する場になるとよいと思っています。これまで接点がなかった分野と出会うことで、自分の研究や仕事の意味が変わる瞬間が生まれるかもしれません。
基礎研究の深化から社会実装の展開まで、このダイナミックなフィールドで、これまでになかった研究の組み合わせが生まれることを確信しています。
境界を越え、次世代とともに「科学が人を支える未来」へ
次世代研究者や学生たちに期待すること、そして鼎先生ご自身の抱負を聞かせてください
鼎 私が育成したいのは、確固たる専門性を軸に据えつつ、それを社会の喫緊の課題解決へと昇華させられる人材です。そのためには、異分野の専門家と協働し、国際的な俯瞰の目を持ちながら、科学的根拠に基づいて自律的に行動できる力が必要となります。
若い研究者や学生の皆さんには、既存の「専門の壁」という境界線を制約と捉えて、自らの可能性を狭めないでほしいと思います。むしろ「自分には関係ないかもしれない」と感じるテーマにこそ、一歩踏み出してみてほしい。その壁を越えることこそが、新しい研究や価値を生み出す出発点になります。
大学の統合、新組織の始動、そして新たなミッション。こうした変化が重なり合うこの歴史的な瞬間は、まさに新しい挑戦が生まれるタイミングです。このVIには、まだ形になっていない研究に関わるチャンスが大いにあります。そこには、大きな可能性が眠っています。
「科学が人をやさしく支える未来」――その実現に向けて、分野や立場を越えた多くの人が関わることが、このVIの力になります。そして、一人ひとりの関わり方が、その未来をつくり、変えていきます。
取材日:2026年3月14日
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