AIとコンピュータ・シミュレーションで創薬の可能性を広げる-大上雅史

Science Tokyo Faces:顔 vol. 009

2026年9月18日 公開

創薬版生成AIの実現を目指して情報技術の研究を加速

人物写真:大上雅史准教授

生成AIの進化により、長い年月と莫大な開発費用がかかる創薬の世界が劇的に変わりつつあります。医学や薬学の研究者が「この病気に効く新薬の開発方法を教えて」と入力すれば、有望な候補化合物とその根拠、特性、製造方法までを提示してくれる、創薬版生成AIの実現が期待されています。情報理工学院所属 Total Health Design Visionary Initiative担当の大上雅史准教授は、情報科学の基盤技術、とりわけAIとコンピュータ・シミュレーションの発展を通じて、創薬を支援する手法の研究開発を進めています。 

AIとコンピュータ・シミュレーションを適材適所で使い分ける 

「新薬が患者のもとへ届くまでには、10年以上の歳月と数千億円規模の開発費用が必要とされます。膨大な候補となる化合物の中から、実際に新薬として承認されるものは数万分の1に過ぎず、開発の成功率は極めて低いのが現状です。また、治療法が確立された病気が増える一方で、現在、残されているのは、これまで人類が克服できなかった難治性疾患が中心で、創薬の難易度は年々高まっています」と大上は話します。 

人物写真:大上雅史准教授

医薬品開発の流れは薬物を投与する標的の同定から、臨床試験を経て申請承認に至るまでいくつものプロセスを経る必要があります。そのために最初の段階でできるだけ「有望そう」なターゲットを発見し、膨大な数の候補を絞り込む必要があります。大上は、AIとコンピュータ・シミュレーションを適材適所で使い分け、候補化合物の中から、有望な化合物を絞り込むための手法を研究しています。 
 
具体的には、候補化合物の発見やふるい分けには、大量のデータからパターンを学習し、予測や判断を自動化するAIが有効です。また、絞り込んだ候補を精密に判断するためには、理論や数式を基に現象を再現して予測するコンピュータ・シミュレーションが必須です。これらにより、有望な化合物と特性を高精度で予測できるようになり、試行錯誤による実験回数を大幅に低減でき、開発期間と開発費用の削減につながります。 

図1: 計算による化合物スクリーニングの流れ。膨大な数の可能性が考えられる化合物の絞り込みには段階的探索が必要。

大上の研究室では、この考え方に基づき、創薬ターゲットの探索から低分子薬デザイン、中分子/高分子薬デザインまで幅広い研究を行っています。大上は「情報科学の基盤技術を他の分野に迅速につなげることが使命」だと語ります。その中から最新の成果をいくつか紹介します。

図2:大上研究室の取り組み

新薬の候補となる化合物をコンピュータ・シミュレーションで高精度で予測 

「インフルエンザウイルスがもつタンパク質には、薬が結合できるくぼみのような部位があり、ここに薬の化合物が結合するとタンパク質の働きが阻害され、ウイルスの増殖が抑えられます。抗インフルエンザ薬タミフルもこのしくみを利用しています。新薬を開発する際、タンパク質と薬の候補化合物がどれくらいの強さで結合するかを高精度で予測することが重要なのです」と大上は説明します。 
 
そのため、大上は、「自由エネルギー摂動法(FEP)」と呼ばれる分子シミュレーションを採用しています。FEPの特徴は分子間の相互作用を物理化学に基づいて詳細に解析できることにあります。しかし、多くの計算時間と計算容量を要するため、膨大な数の計算はむずかしいという課題があります。 
 
FEPを用いた大上の最近の具体的な研究成果としては、2025年1月に公開した分子構造が大きく異なる化合物同士でも高精度な予測を可能にする新手法「PairMap」が挙げられます。 
 
タンパク質と化合物の結合の強さは、「結合自由エネルギー」の値で示されます。この値が小さいほど強い結合と見なすことができます。そのため、従来のFEPによる分子シミュレーションでは、2つの化合物の結合自由エネルギーの差を比較することで、病気の原因となるタンパク質への結合の強さを評価し、候補化合物を絞り込んでいます。 
 
しかしこの手法は、比較する2つの化合物の分子構造が大きく異なると、結合自由エネルギーの差を高精度で予測できないという課題を抱えていました。それに対し、大上は2つの化合物の間に、複数の中間化合物を自動生成するプログラムを新たに開発しました。それが「PairMap」です。これにより、中間化合物を介して段階的に計算することで、分子構造が大きく異なる化合物同士であっても、結合自由エネルギーの差を高精度で予測できるようになったのです。 

図3:「PairMap」では、共通する骨格をもつ中間化合物を網羅的に自動生成してマップにすることで、一組の化合物だけでなく、さまざまなペアの結合自由エネルギーの差を効率良く計算することができる。 

生成AIモデルを使って特定の化学反応に適した触媒を提案 

2025年10月には、有機化合物の合成に欠かせない触媒の探索を支援する生成AIモデル「CatDRX」を発表しました。過去の化学反応データをAIに学習させることで、特定の化学反応に適した触媒を提案してくれるというものです。「CatDRX」開発のきっかけは、有機合成を専門とする研究者との共同研究でした。これまで創薬を対象に情報科学の手法を開発してきたため、大上にとって触媒はなじみの薄い材料でした。しかし、共同研究を通じて触媒の重要性と課題を知り、情報科学で解決できるのではないかと可能性を見いだしたといいます。 
 
現在は十分な実験データが蓄積されている有機反応が対象ですが、将来的には、学習データ次第で、医薬品につながる化合物や無機材料などさまざまな分野への展開も期待できるといいます。 
 
「情報科学には無数の応用先があります。この共同研究をきっかけに、どのような分野でどんな課題があり、どうすれば情報科学を使ってその課題を解決できるかを常に考えるようになりましたね」と大上はいいます。 

創薬版生成AIの実現を目指す 

大上が思い描く未来は、AIが研究者の優秀な助手として創薬や医学、化学の研究開発を支える世界です。たとえば、未知のウイルスが発生したとき、AIに「このウイルスに効く薬をすぐに開発したい」と問いかければ、即座に答えてくれる創薬版生成AIの実現を目標としています。 
 
2024年のノーベル化学賞は、全く新たなタンパク質をコンピュータで設計する研究と、タンパク質の立体構造をコンピュータで予測する研究に与えられました。後者の研究で中心的な役割を果たしたのが、画期的なAIモデルAlphaFold 2です。また、その後に開発されたAlphaFold 3は、タンパク質に加えて、DNAやRNAなどの核酸や、薬剤の候補になり得る小分子など、さまざまな分子の立体構造を予測できます。しかし、正解率はまだおおむね6~7割程度であると大上はいいます。「画期的であることは間違いないですが、さらに個別の創薬標的などに踏み込んで、創薬に向けた情報科学の道具として実用性を高めていくことが必要です」と期待を寄せます。 
 
近年は生成AI・LLM(大規模言語モデル)の発展も著しいですが、自然言語を学習するLLMと同様の考え方を、タンパク質や化合物、ゲノムなどの生物学・化学データに応用する研究も進んでいます。学習対象を変えることにより、タンパク質言語モデル、化合物言語モデル、ゲノム言語モデルなどを構築することができ、創薬版生成AIに結びつくような成果が少しずつ得られています。これらの技術は、今後の創薬に役立つと期待されています。 

自然言語生成AIにはない、創薬特有の生成AIの課題 

人物写真:大上雅史

生成AIの大きな特長はインプットに対して自然言語でアウトプットが得られることです。これによって人間が直観的に妥当性や正誤を判断できるようになります。しかしながら創薬には、生成AIにはないむずかしさがあるといいます。なぜなら、創薬の場合、最終的には人に投与し、安全性や有効性を確認しなければならないからです。いくらコンピュータの予測精度が向上しても、人体で起こる反応を完全に再現することはできません。しかも、病気の症状は人によって異なり、ケースバイケースの事例がほとんどです。この最後の壁が創薬分野における情報科学の最大の課題だと大上はいいます。 
 
このような中、大上が期待しているのが、「オルガノイド」と呼ばれる、iPS細胞などの幹細胞を培養して作るミニチュア臓器や、「デジタルツイン」と呼ばれる、実際の人体に近い挙動をコンピュータ上で再現する技術です。「AIには強い分野と弱い分野があり、強い分野である自然言語生成AIに比べて、弱い分野である創薬版生成AIの発展は緩やかですが、今後も、オルガノイドなど新たな技術の発展にも期待しながら、目標に向けてさまざまな手法の開発に取り組んでいきます」 

新研究体制(VI)によって医歯学系の研究者との交流が加速 

2025年度に全学に導入された新研究体制「Visionary Initiatives(VI:ビジョナリーイニシアティブ)」は、研究体制を分野縦割り型から分野横断型へと変革する仕組みで、分野間の連携が全学規模で進んでいます。現在、8つのVIが定められており、大上はTotal Health Design Visionary Initiativeを担当しています。
 
「Total Health Designで医歯学系の研究者との交流が飛躍的に増えました。これまであまり接点のなかった医療現場の課題に触れる機会が多くなり、新たな挑戦の場を広げる好機だと感じています。医療現場には、情報科学が貢献できそうな課題が数多く眠っています。最近、特に私が関心を寄せているのが、自己免疫疾患やアレルギーなど、人によって症状や原因が異なる複雑な病気です。こうした疾患は個人差が大きく、例外的なデータを扱う必要があるため、高精度な予測が特にむずかしいのですが、その分、大きなやりがいを感じています。AIとコンピュータ・シミュレーションをうまく組み合わせることで、この難題をぜひとも乗り越えたいですね」と大上は意気込みを見せます。 

常に広い視野をもって挑戦し続ける 

大上は「ゲームクリエイターになりたい」と、高等専門学校(高専)では電子情報工学を選択しました。しかし、高専の研究活動で、白血病の遺伝子データを機械学習で解析するという、ゲーム開発とは大きく異なる研究領域に思いがけず出会います。その経験から、情報科学が生命科学や医学に貢献できる可能性を初めて知り、自身の研究者としての方向性が定まったといいます。その後、旧東京工業大学へ編入学すると、生命情報科学分野の研究室の門戸をたたき、さらにその道を進みました。 
 
学生たちには、専門分野を深く掘り下げるだけでなく、異分野への好奇心をもつことの重要性も伝えています。「情報科学の応用先は無数にあり、他分野の研究者との対話から、思いもよらない課題に出会うことも少なくありません。だからこそ、『この研究は他分野でも役立つのではないか』と常に広い視野を持つことを大切にしてほしいです。これから研究者を目指す皆さんには、すぐに成果に結びつかなくても、研究はいつか必ず誰かの役に立つと信じて挑戦を続けてほしいです」

プロフィール

大上 雅史(Masahito Ohue) 

情報理工学院 情報工学系 
Total Health Design Visionary Initiative
准教授 

人物写真:大上雅史准教授
2007年
石川工業高等専門学校 電子情報工学科 卒業
2007~2009年
東京工業大学 工学部 情報工学科(3年次編入学) 
2009~2011年
東京工業大学 大学院情報理工学研究科 計算工学専攻 修士課程
2011~2014年
東京工業大学 大学院情報理工学研究科 計算工学専攻 博士後期課程、博士(工学)日本学術振興会 特別研究員-DC1
2014~2015年
日本学術振興会 特別研究員-PD
2015~2016年
東京工業大学 大学院情報理工学研究科 助教
2016~2020年
東京工業大学 情報理工学院 助教
2020~2023年
東京工業大学 情報理工学院 助教(テニュアトラック適用、PI化)
2024年~
東京工業大学 情報理工学院 准教授
2024年10月~
東京科学大学 情報理工学院 准教授

取材日:2026年6月24日/横浜キャンパス G3棟

この研究をもっと詳しく知るには

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「顔」は、Science Tokyoで先駆的な研究に取り組む研究者を紹介する連載です。人類の根源的な問題や社会的な課題について、その解明と解決に邁進する研究者の姿を取り上げています。

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