妊娠と加齢で変化する人体のメカニズムを探る—豊島文子
Science Tokyo Faces:顔 vol. 006
安心・安全な妊娠・出産を支え、アンチエイジングや再生医療開発へ
ライフステージを重ねるにつれ、体は変わっていきます。その顕著な例が、妊娠期に起こる母体の身体的適応や、加齢に伴う生理的変化です。成人以降も臓器の形態や機能は、時間と共に性質や働きが変動しています。そのような体の変化の分子メカニズムや生理的意義に強い関心を抱き、研究を進めているのが、難治疾患研究所 教授の豊島文子です。
きっかけは、豊島が生命科学の研究に打ち込む中で、自身が妊娠したことです。妊娠は、女性の体にとって、とても大きなイベントです。子宮が胎児を育むようになり、乳腺が授乳に備えて発達するといった、生殖器官の変化は直感的に理解しやすいでしょう。しかし実際には、肝臓や腸管、皮膚といった生殖器官以外の臓器にも大きな変化が生じます。これが、生体の「リモデリング」で、臓器や組織が外的刺激、病的状態、老化、損傷などに応じて、その形態・構造・機能を再編成し変化させる過程を指します。
豊島は、妊娠期と加齢時のリモデリングを比較することで、新たなアンチエイジング技術の開発につながる可能性を探っています。
妊娠で皮膚が増殖するメカニズムを解明
豊島が最初に取り組んだのが、妊娠時の生殖器官以外の臓器のリモデリングの研究でした。「妊娠で自分の体がこれほど大きく変化するとは思わず驚きました。論文を調べると、妊娠期の変化に関する研究は、生殖器官以外では十分に体系化されていないことが分かりました。ならば自分で研究してみようと思ったのです」と振り返ります。
2010年頃から、マウスを用いた実験に着手しました。妊娠期においてさまざまな臓器や部位の細胞にどのような変化が生じるのかを観察し、その背後にある本質的な遺伝子変化を探索するというアプローチを採りました。
もともと豊島は、細胞が運命を変えたり、異常増殖によってがん化したりする現象をin vitro(培養細胞)で観察しており、細胞レベルでの解析には慣れ親しんでいました。しかし個体レベルでの研究は行っておらず、新しいテーマを模索していたところに、妊娠期のリモデリング現象が、まさに最適な対象になりました。
注目したのが、母体の変化の多臓器連関です。例えば皮膚でも表皮の細胞だけでなく、皮膚中にある血管や神経など、多種類の細胞のネットワークを見ていくことにしました。すると、当初は、妊娠期特有の変化だと思っていたことが、胎児期の皮膚構築や傷が治っていく際の多細胞の動態とも似ていることが明らかになってきました。
妊娠したマウスを調べると、表皮の最下層にある基底細胞で「Tbx3」という遺伝子にスイッチが入り、それにより表皮細胞が増殖能を獲得すると分かりました。腹部の皮膚が妊娠中に拡張するのは、こうした表皮細胞が増えるためで、出産後には不要になった細胞が排出され、元の状態に戻ります。この増殖と縮小の過程が、遺伝子の働きによって精密にプログラムされていることを突き止め、2021年に報告しています。
(Ichijo et al., Sci Adv 2021・プレスリリース:皮膚拡張時における増殖能の高い表皮幹細胞の出現には血管が重要であることを発見 | 京都大学)
通常、成人では幹細胞の増殖はほとんど起こりませんが、妊娠期には幹細胞が活性化します。この増殖は制御されており、増殖細胞は腫瘍を形成(がん化)することもなく、出産後には消失していきます。一方、加齢に伴って幹細胞は徐々に失われていきます。豊島は、妊娠期に一過的に起こる幹細胞増殖の仕組みを応用できれば、安全な再生医療やアンチエイジングにつながるのではないかと考えるようになりました。さらに、以下のような研究成果も挙げています。
豊島は翌2022年に、マウスの加齢現象の観察から、体表の血管が減少して真皮が硬くなると、表皮の幹細胞が過剰に分化して減少しやすくなり、基底層との接着も弱くなるという研究成果を発表しています。実験では、血管を増やしたり硬さを調整したりすると幹細胞の働きが改善されることを示し、血管と組織の軟らかさが、皮膚のアンチエイジングの鍵であると解明しました。
皮膚の次に、豊島が注目したのが肝臓のリモデリングです。やはりマウスの観察により、妊娠中期における母体の肝臓では、門脈側の肝細胞が一時的に増殖することを発見しました。さらに実験によって、これが母体の糖代謝を整え、正常な胎児発育を支えていることを明らかにしました。母体で血糖値が非常に上がり、胎児が肥大化する病態に妊娠糖尿病がありますが、それが誘導されるメカニズムを明らかにして、2023年に発表しました。これは発症予防につながる成果です。
(Kozuki et al., Commun Biol 2023・プレスリリース:妊娠期における母体肝臓リモデリングは母体の糖代謝と胎児発生に重要である | 京都大学)
豊島は、京都大学 医生物学研究所で教授を務めていましたが、2023年4月から旧・東京医科歯科大学 難治疾患研究所の教授を兼務し、現在は東京科学大学 総合研究院 難治疾患研究所(以下、難治研)恒常性医学分野に所属しています。「難治研は、基礎研究と応用研究がうまく融合されている研究所だと以前から感じていました。臨床研究者との距離が近いことも大きな魅力です」と話します。
30年以上を過ごした京都大学から軸足を移したのは、マウスで得られたリモデリングの知見を、ヒトにおける変化でも検証し、医療応用へとつなげたいという思いからでした。この挑戦が、豊島の研究人生の新たな章の幕開けとなりました。
マクロな観察からミクロの分子解明にシフト
広島市で育った豊島は、子どものころから好奇心旺盛で、昆虫採集に夢中になるような自然好きでした。京都大学農学部水産学科に進学した当初から研究者を志しており、山や海などアウトドアでの活動を好んでいました。卒業研究では赤潮をテーマに実験を行い、自身の研究とは直接関係のないサルのフィールド調査にも参加するなど、興味の幅を広げていきました。
大学院進学後は、そうしたマクロな自然現象の観察から一転して、分子レベルのミクロな研究へと方向を転じます。西田栄介氏(現・理化学研究所)の下で細胞のシグナル伝達を学び、発生や疾患の分子基盤に強い関心を抱くようになりました。そして、自身の妊娠というライフイベントをきっかけに、生体がどのようにリモデリングされるのか、その分子メカニズムと生理的意義を探る研究テーマを立ち上げました。
豊島が現在見据える研究の“出口”は、大きく2つあります。1つは胎児に関連する分野で、安心・安全な妊娠と出産を支え、健康な次世代を育むこと。もう1つは加齢に関連する分野で、アンチエイジングや再生医療への知見の応用です。「この2つの流れを軸に、今後も研究を続けていきたいと考えています。まずは妊婦さんの検体を用いた研究を1〜2年以内に開始し、将来的に新たな治療法を実用化するのが夢です。社会に少しでも貢献できるよう頑張りたいと思います」と語ります。
大学統合で研究を支援する環境が充実
こうした夢の実現に向け、難治研の環境は大きな支えとなっています。また、旧・東京工業大学との統合後には、例えば、実験には市販されていない特殊な器具が必要でしたが、 コアファシリティセンター 設計製作部門に依頼したところ、わずか数週間・低コストで作製できたと言います。「大学統合の恩恵を早速実感しました。今後は医工連携がさらに盛んになることを期待していますし、共同研究も進めていきたい」と話します。
難治研は文部科学省の共同利用・共同研究拠点として継続的に認定されており、2023年からは学際領域展開ハブ形成プログラムに採択され、東京都医学総合研究所、国立精神・神経医療研究センターと連携して「多階層ストレス疾患の克服」プロジェクトがスタートしました。豊島はこのプロジェクトの委員長を務めています。
この取り組みは、遺伝子から社会レベルまでの多角的な視点でストレス疾患を理解し、診断・予防・治療法の開発につなげることを目的としています。難治研は遺伝子から個体まで複数の階層にわたるストレス研究の実績があり、それが評価されて採択に至りました。難治研が強みとする生命科学に加えて、心理学、精神医学、社会科学の研究者とも連携し、学際的な研究が進められています。豊島研究室では、妊婦が受ける心理的ストレス(過労、睡眠不足、騒音、飢餓など)が母体のリモデリングや胎児の体質にどのような影響を及ぼすかを探る研究に取り組んでいます。
「研究者の醍醐味は、誰も見たことのない現象を誰よりも先に見られることです」と、豊島は語ります。独自の道を着実に切り開く過程では、新たな課題にも直面しています。「母体のリモデリングは妊娠期に特有でとても大事な現象ですが、“当たり前”と捉えられがちです。生物学として価値があり、学術的に重要であるとしっかりと示し、新しい学術領域を確立していきたいと思っています」と意欲をのぞかせます。
最後に後進へのメッセージとして、豊島はこう話しました。「自分が面白いと思っても、最初は周囲に理解されないことがあります。それでも面白いという気持ちを信じて進み、誰に何と言われようと、自分の興味を貫くことが大切です」
プロフィール
豊島文子(Fumiko Toyoshima)
総合研究院 難治疾患研究所 恒常性医学分野 教授
- 1995年3月
- 京都大学 農学部 水産学科 卒業
- 2000年3月
- 京都大学 大学院理学研究科 修了、博士(理学)取得
- 1999~2004年
- 京都大学 大学院生命科学研究科 日本学術振興会特別研究員
- 2004~2006年
- 京都大学 大学院生命科学研究科 助手
- 2005~2009年
- JSTさきがけ研究者
- 2008~2016年
- 京都大学 ウイルス研究所 教授
- 2016~2022年
- 京都大学 ウイルス・再生医科学研究所 教授
- 2022〜2025年
- 京都大学 医生物学研究所 教授
- 2023~2024年
- 東京医科歯科大学 難治疾患研究所 教授
- 2024年10月~現在
- 東京科学大学 総合研究院 難治疾患研究所 恒常性医学分野 教授
取材日:2025年10月16日/湯島キャンパス M&Dタワー
この研究をもっと詳しく知るには
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