ポイント
- mRNA搭載脂質ナノ粒子が肝臓に集積し、そこで薬理作用をもつタンパク質が意図せず合成されてしまう課題の解決
- 肝内毛細血管の血管壁(肝類洞壁)をコーティングすることで、脂質ナノ粒子が肝臓に集積することを阻止(動物実験で実証)
- 感染症ワクチン、がんワクチン、サイトカインがん治療における有効性と安全性の向上
- 既に臨床上での安全性が知られている物質をコーティング剤として使用(速やかな臨床試験が可能)
概要
東京科学大学(Science Tokyo)総合研究院 難治疾患研究所 先端ナノ医工学分野の内田 智士教授は公益財団法人川崎市産業振興財団 ナノ医療イノベーションセンター(センター長:片岡一則、所在地:川崎市川崎区殿町、略称:iCONM)と共同で脂質ナノ粒子の肝臓への移行を抑制する方法を開発しました。両者の共同研究成果が2026年8月18日(米国東部時間)米国化学会の発行する 「ACS Nano 」 (インパクトファクター: 17.3 in 2025)にオンライン掲載されました。
研究成果
新型コロナウイルスに対してmRNAワクチンが実用化され、mRNAをワクチンや医薬品として応用する研究開発が加速しています。特に、感染症予防ワクチンのほか、がんの免疫治療の分野で注目されています。感染症では、新型コロナウイルス以外の病原体に対するワクチンの開発が進められており、例えばRSウイルスワクチンは日本と海外で承認が得られているほか、様々な感染症に対するワクチンが臨床試験に進んでいます。がんの免疫治療では、がん細胞に特有のタンパク質をコードしたmRNA[用語1]を投与することで、そのタンパク質を認識し、がん細胞を攻撃する免疫反応を得るがんワクチン[用語2]が注目されています。そのほかに、がんに対して、免疫を活性化するサイトカインと呼ばれる分子をコードしたmRNAを直接投与するサイトカイン治療[用語3]も期待されています。がんワクチン、サイトカイン治療ともに、世界的に臨床試験が盛んに行われています。
以上の応用では、mRNAは脂質ナノ粒子[用語4]に搭載して投与されます。脂質ナノ粒子は、生体内でmRNAを安定化し、分解酵素などから保護するほか、標的の細胞に入った後、タンパク質を産生するまでのプロセスを促進します。さらに、炎症反応を引き起こすことで、ワクチンや免疫治療の効果を高めます。また、脾臓やリンパ節といったリンパ組織に移行しやすく、この特徴は、ワクチンで高い効果を得る上で重要です。
しかし、脂質ナノ粒子は、全ての臓器の中で肝臓に最も集積することが知られています。例えば、静脈内に投与すると血液循環を介して肝臓に移行します。さらに、ワクチンにおいて筋肉内に投与した場合や、サイトカイン治療においてがんに投与した場合も、血液循環に漏れ出し肝臓に集まります。このことは主に2つの問題を引き起こします。まず、肝臓にてmRNAからの意図しないタンパク質の産生が起こることで、副作用の原因となります。また、脾臓などワクチンに重要な臓器を標的とする際、肝臓に集まる分だけ、標的とする臓器へ届くmRNAの量が減ってしまいます。
今回の研究では、肝内毛細血管である肝類洞の血管壁(肝類洞壁)が脂質ナノ粒子の肝臓への移行の入り口になるため、この肝類洞壁を生体適合性高分子であるポリエチレングリコール(PEG)でコーティングすることを着想しました。ここでは2本の PEG 鎖に正に帯電したペプチドからなる独自のコーティング剤を用いました。このコーティング剤は数時間程度、肝類洞壁に吸着した後に排泄されるため、肝臓の機能が長時間損なわれる心配はありません。また、肝類洞壁を選択性にコーティングするため、他の臓器への脂質ナノ粒子を妨げることはありません。さらに、このコーティング剤は、既に核酸医薬[用語5]をがんに送り届ける目的で臨床試験に進んでおり、その安全性が実証されています。
まず、マウスの静脈内に脂質ナノ粒子を投与し、生きたマウスの肝臓を特殊な顕微鏡で観察しました。コーティング剤を投与しない場合、脂質ナノ粒子は肝臓に集まっていましたが、予めコーティング剤を投与することでこの肝臓への集積が抑制されることを確認しました。次に、mRNAからのタンパク質発現効率を評価したところ、コーティング剤を用いることで肝臓でのタンパク質発現が数十倍低下しました。一方で、脾臓におけるタンパク質発現は数倍向上しました。肝臓で捕捉されなかった脂質ナノ粒子が脾臓に集まったためと考えられます。これらの結果は、コーティング剤によりワクチンや免疫治療に不要な肝臓でのタンパク質発現を抑制すること、さらにワクチンにとって重要な脾臓でのタンパク質発現を向上することを示しています。
2本鎖PEGを有する正電荷ペプチドが肝類洞壁を一時的に覆い、脂質ナノ粒子の捕捉を抑制。その結果、肝臓での不必要なタンパク発現を避けることが可能となる。
今回の研究では、臨床開発が盛んな感染症ワクチン、がんワクチン、がんサイトカイン治療の3つの系において、コーティング剤を用いた方法が、その効果や安全性を向上できることも動物実験で以下の通りに確認しました。
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感染症ワクチン:
新型コロナウイルスのスパイクタンパク質に対するワクチンをモデルとして検討しました。このワクチンは筋肉内に投与されますが、そこから肝臓への集積が起きれば、肝内でスパイクタンパク質が産生されます。すると、肝臓が免疫細胞に攻撃されて肝炎を引き起こす可能性があり、実際にヒトでもワクチン接種後の肝炎が報告されています。逆に、肝臓でスパイクタンパク質が発現することで、それに対する免疫寛容[用語6]が誘導され、ワクチン効果が減弱する可能性も指摘されています。今回の実験により、コーティング剤により、筋肉内投与後の肝臓におけるmRNAからのタンパク質発現を抑制できることを実証しました。また、ワクチン効果に関して、コーティング剤の有無によらず、スパイクタンパク質に対する抗体産生誘導効果が同等であること、さらに、コーティング剤によりスパイクタンパク質に対する細胞性免疫[用語7]誘導効果が向上することが示されました。すなわち、コーティング剤を用いることで、感染症mRNAワクチンの安全性および効果が向上しました。 -
がん治療ワクチン:
がん治療ワクチンの臨床試験では、脾臓を標的とした脂質ナノ粒子の静脈内投与がしばしば行われます。そこでマウスの実験でワクチンの投与前に、コーティング剤を投与したところ、がんワクチンに必要な細胞性免疫誘導効果が向上しました。脾臓でのタンパク質発現効率が向上したためと考えられます。 -
がんサイトカイン治療:
がんに対して、サイトカインのmRNAを直接投与する治療では、脂質ナノ粒子が肝臓に移行し、肝臓でサイトカインが産生され、全身にサイトカインが分布することが安全上の課題です。この課題についても、コーティング剤を用いることで、がん治療の効果を損なうことなく、肝臓でのサイトカイン産生やサイトカインの全身分布を抑制できることを示しました。
以上のように、今回の研究では、脂質ナノ粒子をワクチンや免疫治療に用いる際の実用上の大きな課題である肝臓への集積を回避する技術を開発しました。さらに、臨床開発が盛んな感染症ワクチン、がんワクチン、サイトカイン治療においてその有用性を実証しました。また、ここで用いたコーティング剤が、既に臨床試験での使用実績があり安全なものである点は、実用化に向けて重要なポイントとなります。
用語説明
- [用語1]
- コードしたmRNA:タンパク質の設計図として機能するmRNAは、そこに配列した核酸塩基の並び方で合成するタンパク質のアミノ酸配列が決まる。目的とした薬理作用をもつ特定のタンパク質のアミノ酸配列となるように核酸塩基の配列を仕込むことを「そのタンパク質をコードする」という。
- [用語2]
- がんワクチン:がん細胞で選択的に発現する分子をワクチンとして投与することで、がん細胞を攻撃する免疫を得る方法。がんの予防ではなく主に治療に用いられる。
- [用語3]
- サイトカイン治療:免疫を活性化するためのサイトカインと呼ばれる物質を用いて、がん細胞を攻撃する免疫応答を得る方法。
- [用語4]
- 脂質ナノ粒子:mRNAを包む脂質でできた小さなカプセルで、100ナノメートル(1 mmの10,000分の1)程度の大きさである。mRNAを分解から保護し、免疫組織に送り届け、さらに免疫を活性化するなど様々な役割を担う。実用化された新型コロナウイルスワクチンでも用いられている。
- [用語5]
- 核酸医薬:標的とする遺伝子の発現を抑制するための短いDNAやRNA。今回用いたコーティング剤は、核酸医薬をがんに効率的に送り届けることを目的として、既に臨床試験に用いられている。
- [用語6]
- 免疫寛容:自己のタンパク質に対する免疫応答を抑制する機構。肝臓は免疫寛容誘導臓器としても知られており、肝臓で発現したタンパク質に対して免疫応答が抑制されることがある。
- [用語7]
- 細胞性免疫:免疫細胞自体が、病原体に感染した細胞や癌細胞を攻撃する仕組み。
論文情報
- 掲載誌:
- ACS Nano(オンライン掲載)
- タイトル:
- 2-arm-PEG-Oligocations Transiently Shield the Liver Sinusoids to Mitigate Off-Target Hepatic Expression of mRNA Lipid Nanoparticles(2本鎖PEGオリゴカチオンは、肝類洞を一時的に遮蔽し、mRNA搭載脂質ナノ粒子に基づく肝臓での発現を軽減する)
- 著者:
- Anjaneyulu Dirisala, Bhaskar Chatterjee, Nguyen Le, Kazuko Toh, Miki Matsui-Masai, Saed Abbasi, Xueying Liu, Theofilus Tockary, Nan Qiao, Junichi Ishikawa, Jumpei Norimatsu, Yuki Mochida, Shigeto Fukushima, Makoto Oba, Kazunori Kataoka, Satoshi Uchida
参考
公益財団法人川崎市産業振興財団について
川崎市の100%出捐により昭和63年に設立され、川崎市内及び周辺地域の産業経済の発展に寄与すること、また、先端的な医療分野、薬学分野等における研究開発の推進等により 医療・福祉の向上などを目的としています。行政や関係機関、各拠点と連携し、川崎市産業振興会館を市内中小企業・ベンチャーの支援拠点として位置づけ、経営支援強化をはじめ、新産業・新技術の創出支援など、産業振興に関わる諸事業に積極的に取り組むと同時に、中小企業・ベンチャー等の抱える課題の解決に向けて、「総合的な支援サービスの提供」に注力しています。
ナノ医療イノベーションセンターについて
ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)は、キングスカイフロントにおけるライフサイエンス分野の拠点形成の核となる先導的な施設として、川崎市の依頼により、公益財団法人川崎市産業振興財団が、事業者兼提案者として国の施策を活用し、平成27年4月より運営を開始しました。有機合成・微細加工から前臨床試験までの研究開発を一気通貫で行うことが可能な最先端の設備と 実験機器を備え、産学官・医工連携によるオープンイノベーションを推進することを目的に設計された、世界でも類を見ない非常にユニークな研究施設です。
東京科学大学について
東京科学大学(Science Tokyo)は、東京医科歯科大学と東京工業大学が統合して2024年10月に誕生した国立大学です。「『科学の進歩』と『人々の幸せ』とを探求し、社会とともに新たな価値を創造する」をMissionに掲げ、両大学のこれまでの伝統と先進性を生かしながら、どの大学もなしえなかった新しい大学の在り方を創出していきます。