世界最長級のπ拡張カルボ[17]ヘリセンの不斉合成に成功
ベンゼン環17個のらせん構造の構築と赤色円偏光発光を実現
ポイント
- 世界最長級のらせん骨格を横方向にも拡張したカルボ[17]ヘリセンの合成に成功
- 分子内骨格内の混み合いを緩和し、らせんの巻き方向を制御する合成戦略を採用
- 巨大なキラルπ共役に由来する赤色発光と強い円偏光発光を実現
概要
東京科学大学(ScienceTokyo)物質理工学院 応用化学系の森田楓人博士(現:京都大学)、市村彪大学院生、野上純太郎助教、高橋奏音大学院生、清水亮太大学院生、田中健教授の研究チームと、同大学 理学院 化学系の岸田裕子大学院生、植草秀裕教授の研究チームは、17個のベンゼン環が連なる世界最長のらせん骨格をもち、横方向にも拡張したπ拡張カルボ[17]ヘリセン[用語1]を、巻き方向を選択して合成することに成功しました。
ベンゼン環がらせん状に連なった分子であるヘリセンは、良好な円偏光発光特性[用語2]を活かした3次元ディスプレイや偽造防止インクなどへの応用が期待されます。らせんを伸長するほど特性の向上が見込まれますが、分子内の立体的な混み合いによってらせん形成が進みにくくなることが合成上の課題でした。
研究グループはこの課題を克服するため、炭素と水素のみからなるπ拡張カルボ[17]ヘリセンの新たな合成戦略を構築しました。この戦略では、らせん骨格の混み合う内側から、周辺の外側へと順に反応が進むよう原料を設計しました。不斉ニッケル触媒[用語3]による[2+2+2]付加環化反応[用語4]で巻き方向を制御しながららせん骨格を構築し、次のショール反応[用語5]で周辺方向にもπ共役[用語6]を拡張することで、π拡張カルボ[17]ヘリセンを鏡像体比率[用語7]98:2でエナンチオ選択的合成[用語8]することに成功しました。単結晶X線構造解析[用語9]を行うことで、17個のベンゼン環からなる世界最長級のらせん骨格と、その周辺に広がるπ拡張構造を確認しました。得られた分子は、蛍光量子収率[用語10]14%の赤色発光と、非対称性因子|glum| = 0.038の円偏光発光を示しました。
本成果は、「反応する順番を分子構造に組み込む」という巨大π共役分子の新たな合成指針を示すとともに、キラル発光材料の開発にもつながると期待されます。
本成果は、10月14日付(英国時間)の英国科学雑誌「Nature Synthesis」に掲載されました。
背景
ヘリセンは、芳香環が連続して縮環したらせん状の分子です。なかでも炭素と水素のみからなるカルボヘリセンは、らせんの巻き方向に由来する優れた円偏光発光を示します。カルボヘリセンのらせんを長くすると、円偏光発光の非対称性因子が増大することが理論的に予測されていますが、同時に分子内の芳香環同士が接近し、立体ひずみと立体障害が増大するため、合成は難しくなります。そのため、2015年に16個のベンゼン環からなる[16]ヘリセンが合成されてから[参考文献1]、ごく最近 、17個のベンゼン環からなる[17]ヘリセンが合成されるまでには10年以上かかりました [参考文献2]。しかもこの合成では、右巻きと左巻きのらせんを選択的に作り分けることはできておらず、発光の効率を示す蛍光量子収率が10%未満と低いことも問題でした。
このように長いカルボヘリセンには、円偏光発光の非対称性が上昇する一方で、蛍光量子収率が低下するという光学特性上の課題があります。その改善策として期待されるのが、らせんの周辺にも芳香環を縮環させ、π共役を横方向に広げる「π拡張」です。π拡張によって分子骨格の剛直性を高めることで、発光効率の向上が期待できます。
したがって、ヘリセンを世界最長級に伸長させると同時に、横方向にもπ拡張させ、さらに一方の巻き方向を選択的に合成することが重要な目標となります。しかし、長いらせん骨格へのπ拡張は分子内の立体障害をさらに増大させるため、その実現には緻密な合成戦略が必要でした。
研究成果
1) 立体障害を克服する合成戦略の採用
研究グループは、従来の合成課題を解決するため、π拡張カルボヘリセンの原料として、4つのトリイン部位を持つドデカインを設計しました(図2)。各トリイン部位では、3つの炭素–炭素三重結合が[2+2+2]付加環化反応によって新たなベンゼン環を形成し、らせん骨格の一部を構築します。この環化によって、内側のトリインは比較的立体障害の小さい[5]ヘリセン部分構造を、外側のトリインはより立体障害の大きい[6]ヘリセン部分構造を形成します。さらに、両者をつなぐトリフェニレン骨格によって内側の環化に伴う立体的な混み合いを緩和し、内側の2ヵ所を先に、外側の2ヵ所を後に環化させることを狙いました。これにより、外側の反応が先行して内側の環化を妨げる経路を回避できます。
この設計に基づいて合成したドデカインに不斉ニッケル触媒を作用させると、設計通りの反応順序で、分子内4回の[2+2+2]付加環化反応が進行しました。目的のらせん配置を持つ前駆体は鏡像体比97:3で得られ、右巻きと左巻きのうち一方を極めて高い選択性で合成できました。次のショール反応で、まずらせん骨格を縮環して17個のベンゼン環が連なる構造を形成してから、さらに周辺の芳香環同士も結合させることで、π共役を横方向へ拡張することにも成功しました。これにより、目的とするπ拡張カルボ[17]ヘリセンを、鏡像対比98:2という極めて高いエナンチオ選択性で合成できました。
原料の内側のトリイン(青)から外側のトリイン(赤)へと順に進む不斉ニッケル触媒による[2+2+2]付加環化反応で、らせんの巻き方向を選択的に制御した。次にショール反応によってπ拡張カルボ[17]ヘリセンを得た。最終生成物のピンク色部分はヘリセン骨格、灰色部分はπ拡張部位を示す。
2)π拡張カルボ[17]ヘリセンの構造と光学特性
単結晶X線構造解析により、合成した化合物は17個のベンゼン環が連続して縮環したらせん骨格を持ち、その周辺にも芳香環が縮環した巨大なπ拡張構造を有することを確認しました。このらせん骨格は、従来の研究で得られていた世界最長記録の[17]ヘリセンと並ぶ長さがあり、さらに横方向にも広がった最大級のヘリセン骨格です。
このπ拡張カルボ[17]ヘリセンはクロロホルム溶液中で、648 nmで蛍光の強さが極大になる赤色発光を示し、蛍光量子収率は14%でした。また、良好な円偏光発光も観測され、その非対称性因子|glum|は0.038に達しました。これはこれまでの [17]ヘリセンの1.8~5.8%および0.01を上回る値です。また、らせん不斉に由来する円偏光発光も観測され、その非対称性因子|glum|は0.038に達しました。このように、長いらせん骨格において発光効率と大きな円偏光の偏りを両立できたことは、横方向へのπ拡張を取り入れた分子設計の有効性を示しています。
左:単結晶X線構造解析で明らかになった分子構造の上面図と側面図。ピンク色部分は17個のベンゼン環からなるヘリセン骨格、灰色部分はπ拡張部位を示す。右上:クロロホルム溶液中の吸収スペクトル(実線)と蛍光スペクトル(破線)、および赤色発光の写真。蛍光極大は648 nm、蛍光量子収率は14%であった。右下:両鏡像異性体の円偏光発光スペクトル。非対称性因子の最大値は |glum| = 0.038 に達した。
社会的インパクト・今後の展開
本研究では、既報の最長記録に並ぶ17環のらせん骨格を、炭素と水素のみで構築したうえに横方向にもπ拡張し、らせんの巻き方向まで制御して合成した点が大きな成果といえます。この合成では、分子内の反応部位ごとに反応性と立体環境の差を設け、環化反応が骨格の内側から外側へと進むように原料を設計しました。この「反応する順番を分子構造に組み込む」という新しい考え方は、複数の結合形成を経て構築される多様な巨大π共役分子にも広く展開できると期待されます。今後は、この合成戦略を不斉触媒と組み合わせることで、さらに長いヘリセンや、複雑ならせん構造を持つナノカーボンなど、多様な3次元キラル分子を精密に合成するための指針としていきます。
また、今回得られた分子は、赤色発光に加えて光の回転方向という情報を持つ円偏光を発します。この特性は、円偏光を利用する3Dディスプレイの発光材料や、通常の発光色に偏光方向の情報を加えた偽造防止タグなどへの応用が考えられます。
付記
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(JP24H0000)、学術変革領域研究(A)(JP26H01334)、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST、課題番号:JPMJSP2180)の支援を受けて行われました。
参考文献
- [参考文献1]
- Mori, K., Murase, T. & Fujita, M. “One-Step Synthesis of [16]Helicene.” Angew. Chem. Int. Ed. 54, 6847–6851 (2015).
- [参考文献2]
- Li, J., Ma, Z., Yu, R. et al. “Precise Synthesis of Donor–Acceptor [17]Helicenes Exhibiting Circularly Polarized Emission.” Angew. Chem. Int. Ed. 65, e25399 (2026).
用語説明
- [用語1]
- π拡張カルボ[17]ヘリセン:17個のベンゼン環が連続して縮環したらせん骨格を持ち、さらにその周辺にも芳香環が縮環してπ共役が横方向に広がった分子。「カルボ」は、骨格が炭素と水素のみからなることを示す。
- [用語2]
- 円偏光発光特性:分子が発する右回りと左回りの円偏光の強度に関する性質。両者の強度の偏りは、円偏光発光の非対称性因子(glum)で表す。
- [用語3]
- 不斉ニッケル触媒:ニッケルにキラルな配位子を組み合わせた触媒。反応時に生成物の立体配置を制御し、一方の鏡像異性体を優先的に形成させる。
- [用語4]
- [2+2+2]付加環化反応:3つのアルキンなどが反応し、それぞれから2個ずつ、計6個の原子で新たなベンゼン環を形成する反応。本研究では、分子内の3つの炭素–炭素三重結合からベンゼン環を形成した。
- [用語5]
- ショール反応:酸化剤を用いて芳香環同士に新たな炭素–炭素結合を形成し、縮環させる反応。本研究では、らせん骨格の形成と周辺方向へのπ共役の拡張に用いた。
- [用語6]
- π共役:分子中のπ電子が複数の原子にわたって広がった状態。π共役が広がることで、分子の光学的・電子的性質が変化する。
- [用語7]
- 鏡像体比率:エナンチオマーの比率。ここでは右巻き/左巻きらせん構造を持つ化合物間の存在割合を表す。
- [用語8]
- エナンチオ選択的合成:互いに鏡像関係にある分子のうち、一方を優先的に得る合成法。本研究では、ヘリセンのらせんの巻き方向を選択的に制御した。
- [用語9]
- 単結晶X線構造解析:分子が規則正しく並んだ単結晶にX線を照射し、その回折パターンから分子の3次元構造を決定する手法。
- [用語10]
- 蛍光量子収率:分子が吸収した光子のうち、蛍光発光として放出される割合。収率が100%に近いほど効率的に発光している。
論文情報
- 掲載誌:
- Nature Synthesis
- タイトル:
- Enantioselective synthesis of π-extended carbo[17]helicene via sequence-controlled quadruple [2+2+2] cycloadditions
- 著者:
- Futo Morita, Takeshi Ichimura, Juntaro Nogami, Yuko Kishida, Kanato Takahashi, Ryota Shimizu, Hidehiro Uekusa & Ken Tanaka
研究者プロフィール
森田 楓人 Futo Morita
東京科学大学 物質理工学院応用化学系 博士後期課程学生(当時)
(現・京都大学大学院工学研究科 化学理工学専攻 JSPS特別研究員 (PD))
研究分野:有機合成化学、触媒反応化学、構造有機化学
市村 彪 Takeshi Ichimura
東京科学大学 物質理工学院応用化学系 修士課程学生
研究分野:有機合成化学、触媒反応化学、構造有機化学
野上 純太郎 Juntaro Nogami
東京科学大学 物質理工学院応用化学系 助教
研究分野:有機合成化学、触媒反応化学、構造有機化学
岸田 裕子 Yuko Kishida
東京科学大学 理学院化学系 博士後期課程学生
研究分野:有機結晶化学、構造化学、機能性材料科学
高橋 奏音 Kanato Takahashi
東京科学大学 物質理工学院応用化学系 修士課程学生
研究分野:有機合成化学、触媒反応化学、構造有機化学
清水 亮太 Ryota Shimizu
東京科学大学 物質理工学院応用化学系 博士後期課程学生
研究分野:有機合成化学、触媒反応化学、構造有機化学
植草 秀裕 Hidehiro Uekusa
東京科学大学 理学院化学系 教授
研究分野:有機結晶化学、構造化学、機能性材料科学
田中 健 Ken Tanaka
東京科学大学 物質理工学院応用化学系 教授
研究分野:有機合成化学、触媒反応化学、構造有機化学