2024年の2大学統合により今後の展開が期待される医工連携研究。中でも注目が集まるのは、世界初の医療用ARグラスの開発だ。その開発研究に携わる工学院の雨宮智宏准教授と大学院医歯学総合研究科の吉田宗一郎准教授の2人に医療用ARグラスについて語ってもらった。
産学の力が融合したデバイス開発で多分野の技術革新が進みます
モノづくりにはさまざまな分野の知見や技術を要します。デバイスの開発過程で生まれる技術やデータの蓄積は、科学の発展に大いに寄与するでしょう。
雨宮智宏 准教授
工学院 電気電子系
2009年、東京大学工学系研究科電子工学専攻博士課程修了。日本学術振興会特別研究員を経て、同年東京工業大学量子ナノエレクトロニクス研究センター助教に着任。2016年より同大学科学技術創成研究院助教を経て、2023年より現職。
医療現場の安全性を高め、よりよい医療を提供したい
本研究の目的は、技術を使うことではなく、良い医療を実現すること。臨床現場のニーズに応えるため、データを集め、最適なARグラスのデザインを模索します。
吉田宗一郎 准教授
大学院 医歯学総合研究科 腎泌尿器外科学分野
2010年、東京医科歯科大学医学系研究科博士課程修了。米国国立衛生研究所客員研究員を経て、2012年より東京医科歯科大学医学部附属病院泌尿器科助教に着任。同大学大学院医歯学総合研究科腎泌尿器外科学分野助教、講師を経て、2022年より現職。
臨床現場に必要なARグラスとは? 医療の安全を支えるデジタルツールを目指して
雨宮 医療用ARグラスとは、手がふさがった状態でもハンズフリーで患者情報などを確認できるメガネ型ウェアラブルデバイスです。AR(拡張現実)の特徴は、VR(仮想現実)と違い、現実空間が見えている状態で情報を視界に映し出すこと。その特徴を生かしつつ、医療用途に適したデザインは何か。実際に臨床の現場を知る吉田先生とやりとりを重ね、研究開発を進めています。
吉田 エンタメ用の市販のARグラスは映し出された映像が主役ですが、医療現場で見るべき主役は目の前の患者さんです。そのため、ARグラスを通して得る情報はあくまで処置を妨げない補助的なものである必要があります。
雨宮 そこで私たちは、視線を動かした時だけ情報が見えるよう、映像の表示位置を調整しました。これが医療用ARグラスの特徴の1つです。また、医師の眼球の動きをデータ収集して考案した最適なデザインを実現するために、レンズ内の特殊構造の開発や半導体クリーンルームを使った微細加工も行っています。
吉田 医療用ARグラスには、手術中だけでなく、外来・病棟での患者情報のチェックなど、幅広く活用できる可能性があります。将来的な目標は、医療の安全性を支え、全ての医療従事者が当たり前に利用するツールとなること。そのために、長時間の使用を想定した軽量化などにも取り組んでいます。
医療×工学 2大学の統合が後押しした共同研究
雨宮 私はこれまで、さまざまな分野の研究者と連携して光半導体技術を用いたデバイス開発に取り組んできました。本研究の発足は2024年の夏ごろ。2大学統合を見据え、医療に特化した光デバイス開発ができないかと考え、VR技術の手術応用を研究されていた吉田先生に連絡したことがはじまりでした。
吉田 私は泌尿器科医ですが、3D映像技術の臨床応用について研究をしていた縁で雨宮先生に声をかけていただきました。医療の現場に医療機器は不可欠ですが、機械系の研究を熱心にやっている医師はまだ多くありません。また、市販のARグラスを医療に転用することも容易ではないので、それならば、初めから医療専用のARグラスを作ろうというのが今回の試みです
雨宮 ARグラスの医療活用は元々期待値の高い分野ですが、開発側からすると試作したデバイスを臨床の現場でテストしてもらうことにハードルの高さを感じていました。2大学の統合により、現場との連携が取りやすくなりましたね。
それぞれの知見を持ち寄り、広がる研究の幅。企業とも連携して挑むモノづくり
吉田 学内では、私の専門である泌尿器科だけでなく、病院内のさまざまな診療科からも協力を得ています。最近では、眼科や心臓血管外科、小児科などの医師が集まり、現場での活用方法を検討する「XR[用語]ホスピタル構想」も動き出しました。
雨宮 新しいモノを作るには、さまざまな分野の技術や知見が必要になるため、学外企業との多角的な技術連携も不可欠です。医療用ARグラスの開発は、2社1大学の連携体制で取り組んでいます。まず、三井化学株式会社が開発したレンズ素材に工学院の半導体技術と設備を用いて加工を施し、それをCellid株式会社がメガネ型デバイスに実装。大学の病院で試験使用やデータ収集などを行うといった流れです
吉田 開発の過程で学内外の多様な意見に触れ、新しいアイデアやニーズが見つかることも多いですね。
- [用語]
- XR:AR(拡張現実)やVR(仮想現実)などの現実世界と仮想世界を融合させた技術の総称。
専門分野を越えたコラボレーションがさらなる科学の進歩につながる
雨宮 本研究はJST(科学技術振興機構)の2024年度戦略的創造研究推進事業に採択されており、2029年度までに医療用ARグラスの完成を目指しています。ただ、重要なのは、デバイスの完成そのものだけではありません。開発の過程で生まれる新たな技術や蓄積されるビッグデータは、医療分野に限らずあらゆる分野の発展につながります。
吉田 専門外の領域と手を取り合い、互いの知見を融合させる。これにより、それぞれの専門分野の研究は新たな視点で深化します。研究の過程で未知の課題を見つけ、解決を通じて専門分野の学術的な発展を支えることこそがアカデミアの意義でしょう。大学では医工連携も後押ししていますし、「科学の進歩と、人々の幸せ」のための可能性をより発展させてくれる環境がありますね。
ピックアップ
目に映像が届く仕組み
映したい情報はレンズのサイド部分にある小さなプロジェクターから入射回折格子を通し、レンズ内で拡大され、出射回折格子を通して目に届く。出射回折格子の位置を従来のARグラスより上部に置くことで、視界を妨げない情報表示の工夫が施されている。
出射回折格子のレンズ加工
三井化学株式会社が開発したポリマー(樹脂)を使い、国内屈指の設備群を持つ工学院でレンズの表面に細かい構造を作る。この微細な加工により、視界のシースルー性を保つ。
想定される利用シーン例
シーン1:バイタルなどの生体情報を可視化することで手術を補助
シーン2:顔認証で紐づけた患者情報を表示し、患者の取り違えなどの医療ミス削減の対策に
シーン3:教育や患者への説明の場での活用
医療行為を支える軽量化の工夫
電力供給やデータの送受信には有線コードを使用。長時間の活動でも使える扱いやすさと安定性を確保する。
対談日:2025年12月3日/大岡山キャンパスにて