魚類の繁殖戦略における進化的バイアスを分子レベルで解明

2025年6月9日 公開

240魚種の比較から見えてきた「進化の袋小路」

ポイント

  • 魚類の多様な繁殖戦略について、240魚種の全ゲノム配列データを用いて比較
  • 卵保護戦略をとる魚類が共通して、強靭な卵膜の形成に必要な遺伝子群を不可逆的に喪失していることを発見
  • 脊椎動物の繁殖戦略の進化を理解し、その知見を繁殖地保全に応用することが期待される

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 生命理工学院 生命理工学系の長澤竜樹助教、待井長敏大学院生、相原光人研究員、二階堂雅人准教授および上智大学の川口眞理准教授、安増茂樹教授の共同研究チームは、魚類の多様な繁殖戦略に関わる分子メカニズムを明らかにし、繁殖戦略における進化的バイアスを遺伝子レベルで裏付ける初めての証拠を発見しました。

脊椎動物の繁殖様式の進化は、生活史戦略や生息環境に強く影響され、特定の方向に偏った進化(進化的バイアス)を示すことが知られています。例えば魚類の進化過程では、親が卵を保護する繁殖戦略(卵保護戦略)をとる種が系統的に何度も出現していますが、逆に卵保護戦略から卵を保護しない戦略(非保護戦略)へと戻る例は稀です。こうした進化的バイアスの分子的背景や、バイアスが形成される要因はこれまで未解明でした。

本研究では、非保護種が強靭な卵膜[用語1]を形成し水流などの物理的ストレスから[用語2]を保護していることに着目し、240魚種の全ゲノム配列を比較解析しました。その結果、卵保護種では共通して、強靭な卵膜の形成に関与する遺伝子群が失われていることが明らかになりました。これらの遺伝子群の喪失は、親による卵保護戦略への進化と強く相関しており、進化的制約の存在を裏付ける分子レベルの証拠と考えられます。

本研究成果は、魚類における繁殖戦略の進化が、単なる選択の結果ではなく、遺伝子喪失による不可逆的な制約を受けており"進化の袋小路"に陥っていることを分子レベルで初めて明らかにしたものです。これにより、脊椎動物の繁殖戦略の多様化や進化の方向性について、より深い理解が得られるとともに、今後の保全生物学や未解明種の繁殖様式の推定などへの応用が期待されます。

本研究成果は2025年6月2日に国際学術誌「Molecular Ecology」に公開されました。

背景

動物における繁殖戦略は、進化の過程で多様化しており、生息環境や生活史形質との相互作用のもとで、それに適応するように進化してきました。とりわけ魚類は、多量の卵を水中に産み放つことで次世代の「生存“数”」を確保する「非保護戦略」から、少数の卵を親の体内や営巣によって手厚く保護することで「生存“率”」を高める「卵保護戦略(図1A)」まで極めて多様な繁殖様式を示すことで知られています。興味深いのは、この卵保護戦略が系統樹上で何度も独立に獲得されている一方で、卵保護戦略から非保護戦略へと“戻る”事例が非常に少なく、進化の方向性に偏りが存在する「進化的バイアス」が知られている点です(図1B)。しかしながら、この進化的バイアスを生じさせる要因は未解明であり、進化的バイアスを裏付ける分子レベルの証拠も見つかっていませんでした。

図1. 魚類の進化過程における卵保護戦略の多様性。(A) 本研究で整理した魚類の系統における卵保護戦略の概略。赤字(赤い枝)が卵保護種を示す。育児嚢や泡巣など多様な卵保護戦略が複数の系統で生じている。(B) 非保護戦略と卵保護戦略の間の進化的バイアス。系統関係に当てはめると、卵保護戦略から非保護戦略へのシフトはほとんど生じないことが知られていたが[参考文献1]、これを裏付ける分子レベルでの証拠や要因は未解明であった。(C) メダカの卵。魚類の卵は周囲を強靭な卵膜で覆うことで胚を保護している。

研究成果

本研究では非保護種が強靭な卵膜を用いて胚の保護を行うことに着目しました(図1C)。研究グループはこれまでに、魚類が長い進化の時間をかけて、段階的に強靭な卵膜硬化[用語3]システムを獲得してきたことを明らかにしてきました。その一方で、サザンプラティ[用語4]などの一部の卵保護種においては脆弱な卵膜が形成されることも知られています[参考文献2]。研究グループは、卵保護種では親が手厚く卵を保護するために、強靭な卵膜の重要性が低下しているのではないかと予想しました。

卵膜の形成システムはモデル魚類であるメダカを用いて詳細に解明されています。そこでまず、魚類の各系統を代表する種の全ゲノム配列データから卵膜形成に関与する既知の遺伝子を探索し、その分子進化パターンを解析したところ、メダカに見られる卵膜硬化システムは棘鰭類(きょくきるい)[用語5]で独自に獲得されたシステムであることが明らかになりました(図2A)。

次に全ゲノム配列データが公開されている240種の棘鰭類を対象に卵膜形成に関与する遺伝子(硬化卵膜関連遺伝子)の単離と同定を行いました(図2B)。さらに240種すべての系統関係と繁殖様式を整理し、硬化卵膜関連遺伝子の比較解析を行いました。その結果、系統の異なるさまざまな卵保護魚類に共通して、硬化卵膜関連遺伝子が失われていることが明らかになりました。すなわち、魚類はその進化過程で時間をかけて段階的に獲得してきた卵膜硬化システムを不可逆的に崩壊させていることを意味しています。このことは、卵保護魚類における強靭な卵膜に依存した非保護戦略への回帰が不可逆的であり、卵保護魚類が「進化の袋小路」に陥っていることを意味しています。さらにこれらの知見は、行動や生態の進化的変化が、遺伝子レベルでの不可逆的な変化を誘導しうることを示すものであり、行動進化とゲノム進化の相互作用に関する理解を深める重要な成果です。

図2. 魚類の硬化卵膜関連遺伝子の分子進化。(A) 魚類の卵膜硬化システムの進化。魚類の卵膜硬化系は長い進化時間をかけて段階的に変化し、最も強靭な卵膜硬化システムは魚類最大のグループである棘鰭類の共通祖先で獲得された(赤)。(B) 240種の棘鰭類における硬化卵膜関連遺伝子の分子系統解析。

さらに近年、遺伝子欠損メダカが作出されたことで卵膜硬化の引き金となると明らかになったalveolin遺伝子[用語6][参考文献3、4]は、卵保護との間に強い相関関係を持っており、ゲノム配列中に痕跡配列も残らないほど完全に消失していました。さらに興味深いことに、親による卵保護の度合いと硬化卵膜関連遺伝子の喪失の間には相関が見られました。これらの結果は、全ゲノム配列データを元に硬化卵膜関連遺伝子の配列比較行うことで、卵保護の様式をある程度推論できる可能性をも示唆しています。

社会的インパクト

魚類の繁殖戦略は極めて多様で、近縁種でも異なる戦略をとる一方、遠縁な種が似た戦略を示すこともあります。このため、繁殖戦略は一見、環境変化に応じて変化しやすい形質のように見えます。しかし本研究は、卵保護戦略に進化した魚類が、強靭な卵膜に依存する非保護戦略への回帰を分子レベルで行えなくなっており、進化の袋小路に陥っていることを明らかにしました。

これは、環境変化に対する適応力に制約を受ける種が存在する可能性を示唆しており、繁殖地保護の重要性を再認識させるものです。また、本研究で明らかになった遺伝子と繁殖様式との相関は、深海や極地など繁殖生態が不明な魚種に対して、非侵襲的な手法によって繁殖戦略を推定できることを意味し、生態学・保全学の新たなツールとしての応用が期待されます。

今後の展開

本研究では、卵保護戦略に関与する共通の分子基盤が初めて見つかりましたが、いくつかの例外種も存在しています。今後は、遺伝子の偽遺伝子化(pseudogenization)だけでなく、転写レベルでの発現変化についても検証することで、より精緻な理解が得られると考えられます。

さらに魚類に限らず、脊椎動物は卵保護戦略への進化を異なる系統で100回以上遂げています。今後は脊椎動物全体における繁殖戦略の進化を対象に、同様の不可逆的な遺伝子喪失が生じているかを比較することで、「進化の袋小路」が生じる共通メカニズムを明らかにしていきたいと考えています。

付記

本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業 若手研究(20K15850)および国際共同研究加速基金 国際共同研究強化(B)(20KK0167)、日本科学協会 笹川科学研究助成、藤原ナチュラルヒストリー振興財団 学術研究助成の支援を受けて実施されました。また、一部の解析はライフサイエンス推進機器共同利用室および情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所 遺伝研スーパーコンピュータシステムを用いて実施されました。

参考文献

[1]
Mank et al. Evolution, 59(7), 2005, pp. 1570–1578. doi: 10.1554/04-734
[2]
Kawaguchi et al. J Exp Zool B, 324, 2014, pp. 41–50. doi: 10.1002/jez.b.22601
[3]
Shibata et al. Dev Biol, 372(2), 2012, pp. 239–248. doi: 10.1016/j.ydbio.2012.09.016
[4]
Fu et al. Biomolecules, 2023 Jan 10;13(1):146. doi: 10.3390/biom13010146

用語説明

[用語1]
卵膜:魚類の卵の最外殻に位置する、糖タンパク質を主成分とした構造物。水流などの物理的ストレスや細菌による侵襲から個体を保護する。鳥類の卵黄膜、哺乳類の透明帯と相同。
[用語2]
:受精卵から形態形成期における初期発生過程にある個体。魚類では孵化前の個体を指すことが多い。
[用語3]
卵膜硬化:魚類の卵膜は受精を引き金として卵膜タンパク質間に架橋構造が形成され、強靭な卵膜へと変化する。これにより胚を効率的に保護する。サケでは1粒で3kg以上の耐荷重を持つ。
[用語4]
サザンプラティ:グッピーと同じカダヤシ目に属する熱帯魚。母親の胎内で卵を保護する卵胎生種。同じカダヤシ目の卵生種(マミチョグ)と比較して、その卵膜の厚みは1/30以下と脆弱である。
[用語5]
棘鰭類:鰭(ヒレ)に棘条と呼ばれる構造物を持つ魚類の分類群の一つ。魚類の半数におよぶ13,000種以上を含む、魚類最大のグループ。
[用語6]
alveolin遺伝子:卵膜硬化の引き金となる分子。名古屋大学のグループによって発見され[参考文献3]、同じく名古屋大のグループによって遺伝子欠損メダカが近年作出された[参考文献4]。欠損個体では脆弱な卵膜が形成される。

論文情報

掲載誌:
Molecular Ecology
タイトル:
Convergent evolutionary dead-end and breakdown of hard chorion in parental-egg-care fish reproductive strategies
著者:
Tatsuki Nagasawa, Nagatoshi Machii, Mitsuto Aibara, Mari Kawaguchi, Shigeki Yasumasu, Masato Nikaido

研究者プロフィール

長澤 竜樹 Tatsuki NAGASAWA

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 助教
研究分野:進化生物学

待井 長敏 Nagatoshi MACHII

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 博士後期課程3年
研究分野:進化生物学

相原 光人 Mitsuto AIBARA

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 研究員
研究分野:魚類分類学

川口 眞理 Mari KAWAGUCHI

上智大学 理工学部 物質生命理工学科 准教授
研究分野:進化生物学

安増 茂樹 Shigeki YASUMASU

上智大学 理工学部 物質生命理工学科 教授
研究分野:発生生物学

二階堂 雅人 Masato NIKAIDO

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 准教授
研究分野:進化生物学

関連リンク

お問い合わせ

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系

助教 長澤 竜樹

取材申込み

上智大学 広報グループ

東京科学大学 総務企画部 広報課