シクリッドの厚い唇はプロテオグリカンが主体

2025年5月28日 公開

シクリッドの唇肥大化に関わる平行進化に共通の分子基盤

ポイント

  • シクリッドの唇肥大化について組織構造、タンパク質、遺伝子発現から分子基盤を比較
  • 湖ごとに独立に進化し肥大化した唇は、プロテオグリカンの蓄積という共通性を持つ
  • 唇肥大化関連遺伝子にはヒト疾患に関与するものも含まれ、医学にも貢献する可能性

概要

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系の二階堂雅人准教授、待井長敏大学院生、畑島諒大学院生、相原光人研究員、長澤竜樹助教、田口英樹教授、丹羽達也助教およびタンザニア水産研究所の共同研究チームは、平行進化[用語1]研究のモデルであるシクリッドの唇肥大化について組織構造、タンパク質、遺伝子発現の三つの生物学的階層の比較解析から分子基盤の共通性を明らかにしました。

東アフリカ三大湖に生息する多種多様なシクリッドには、独立して何度も似た形質が獲得される「平行進化」が多数観察されています。異なる遺伝的背景を持ちながら、なぜ似た形態が何度も進化するかは進化生物学における興味深い問いでありながら、未だ明らかになっていません。

シクリッドで見られるさまざまな形態の中でも唇肥大化は、平行進化のメカニズムを明らかにするためのモデルとして研究されてきました。一方で形態的には類似している唇肥大化が組織・分子レベルでどれほど共通した特徴を持つかは未解明でした。そこで研究チームは三大湖の各湖に生息する唇肥大種と通常種を用いて、組織構造レベル、タンパク質レベル、遺伝子発現レベルの3つの生物学的階層から比較解析を行いました。その結果、それぞれの湖で独自に獲得された唇肥大化は皮下組織にプロテオグリカン[用語2])を主成分とする細胞外マトリックス[用語3]タンパク質が過剰に蓄積する共通の分子基盤を持つことを解明しました。

本研究の成果は、シクリッドの平行進化メカニズム解明に重要です。さらに、唇肥大化において重要な役割を果たすと考えられているVersicanなどの遺伝子が、ケロイドを含むヒトの皮膚疾患への関与が示唆されていることから、ヒトの疾患の治療法などの医学的発見にも貢献できる可能性を示唆しています。今後、どのようにして共通の分子基盤が獲得されてきたかという平行進化メカニズムの解明を目指し、ゲノムおよび発生プロセスを解析する予定です。

本研究成果は、2025年4月22日に国際学術誌「eLife」電子版に公開されました。

背景

東アフリカ三大湖(以下三大湖)と呼ばれるヴィクトリア湖、マラウィ湖、タンガニィカ湖にはシクリッドという熱帯魚が生息しており、その種は数百種に及びます。各湖に生息するシクリッドは、湖ごとの独立した適応放散[用語4]によって多様性が獲得されており、湖内の種は遺伝的に近縁な関係にあたります。その一方で、湖を越えて形態的に類似している種も多数知られており、これらは平行進化の好例として知られています。異なる遺伝的背景を持つシクリッドがどのようにして類似した形質を獲得したのかは、進化生物学的に興味深い研究課題です。

シクリッドで見られる形態の中でも唇肥大化は、三大湖のそれぞれで独立に獲得されたこと、通常種と比較して顕著な二型を示すこと、食性適応との深い関連性が示唆されていることから、平行進化を分子レベルで明らかにするためのモデルとして研究されてきました。一方で、唇肥大化の形態形成には複数の遺伝子座が関与することが先行のゲノム比較研究から示唆されており、その複雑な分子メカニズムは明らかになっていません。さらに、肥大化した唇の組織構造や遺伝子発現を三大湖の種間で比較した研究は行われておらず、形態的には類似している唇肥大化が、組織・分子レベルでどれほど共通した特徴を持つかは明らかになっていませんでした。

研究成果

本研究では三大湖の各湖に生息する唇肥大種と通常種を用いて、組織構造レベル、タンパク質レベル、遺伝子発現レベルの3つの観点から唇の比較解析を行うことで、三つの湖で独自に獲得された肥大化した唇の共通性と多様性を明らかにすることを目的としました。

組織構造(A)、タンパク質(B)、遺伝子発現(C)のそれぞれの階層からの唇肥大化の分子基盤比較解析。

組織構造比較では、唇を含む下顎の正中線の切片を作製し、細胞外マトリックス(extracellular matrix; ECM)の主要な構成成分であるプロテオグリカンタンパク質(図A水色)およびコラーゲン(図A赤色)の2種類の組織染色を行い、それぞれの分布について比較しました。その結果、唇肥大種は通常種と比較して特にプロテオグリカンの染色面積の割合が高く、このプロテオグリカンが蓄積した組織が、肥大化した唇に共通する要素であることが明らかとなりました。

さらに、さまざまな種類が知られているプロテオグリカンの中から、蓄積しているタンパク質を具体的に同定するため、最も近縁なヴィクトリア湖産の唇肥大種および通常種を用いて、LC−MS/MSを用いたプロテオーム解析を行いました。結果として、唇肥大種にはプロテオグリカンタンパク質の一種であるVersicanやヒアルロン酸に関連するタンパク質(habp2、hapln1)が有意に多く蓄積していることが明らかとなりました(図B)。Versicanやヒアルロン酸は糖鎖を多量に含み、それを介して水分を多く保持する機能が知られており、それにより唇組織の体積を増加させている可能性が示唆されました。

また遺伝子発現レベルの比較では、三大湖の各湖に生息する唇肥大種と通常種、計8種30個体の下唇のRNA-seq(RNAシーケンシング)[用語5]データを用いて、大規模な比較解析を行いました。興味深いことに、本研究によって形質に直接的に関連すると考えられるECM関連遺伝子のみを用いた主成分分析では、唇肥大種と通常種でそれぞれクラスターが分けられ、形質を反映する結果が得られました(図C)。この結果は、世界で初めて三大湖で見られる唇肥大化を共通して特徴付ける遺伝子セットを同定した例と言えます。

本研究では、上述したさまざまな生物学的階層のデータを用いて、三大湖で独立に獲得された唇肥大化の分子基盤を比較解析し、唇肥大化はプロテオグリカンを主成分とするECMの過剰な蓄積によることを明らかとしました。また、この特徴はどの湖に生息するシクリッドでも見られることから、独立に進化した唇肥大化でありながら、湖間で共通の分子基盤を持つことが明らかになりました。

社会的インパクト

本研究では、組織構造、タンパク質、遺伝子発現の観点から、三大湖に生息するシクリッドの肥大化した唇に見られる共通性を明らかにし、平行進化メカニズム解明に重要な遺伝子セットを同定しました。また、唇肥大化において重要な役割を果たすと考えられたVersicanなどの遺伝子は、ケロイドを含むヒトの皮膚疾患に関与していることが示唆されています(Deng et al., 2021; Naitoh et al., 2005)。このことから、進化生物学的興味に基づくシクリッドの適応的表現型の分子基盤研究が、ヒトの疾患との相同性によって、予想外な医学的発見にも貢献できる可能性を示唆しています。

今後の展開

平行進化メカニズム解明のためには、本研究で明らかになった湖を越えた共通の分子基盤がどのように進化してきたのか、その進化メカニズムを明らかにする必要があります。また、進化発生学的には、今回明らかになった遺伝子が唇肥大種の発生過程でどのように機能し、唇肥大化の形態形成が行われているかを解明することも同様に重要です。今後は三大湖の各種を用いたゲノム比較研究および唇肥大化の発生過程について、より詳細な比較研究を行う予定です。

付記

本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業 国際共同研究加速基金 国際共同研究強化(B)(20KK0167)および特別研究員奨励費(23KJ0951)、東京工業大学SPRINGスカラシップ 研究奨励費(JPMJSP2106)の支援を受けて実施されました。また、一部の解析はライフサイエンス推進機器共同利用室および情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所 遺伝研スーパーコンピュータシステムを用いて実施されました。

用語説明

[用語1]
平行進化:異なる系統でありながら、共通した特徴が観察されること。
[用語2]
プロテオグリカン:コンドロイチン硫酸などの糖鎖が多量に結合した細胞外マトリックスの構造タンパク質の総称。
[用語3]
細胞外マトリックス:コラーゲンやヒアルロン酸などの組織を構成する細胞外に存在する物質の総称。
[用語4]
適応放散:祖先となる少数の種が多様な環境に適応することで、短期間のうちに多様な形態・生態を持つ種が生じること。
[用語5]
RNA-seq(RNAシーケンシング):組織に発現する遺伝子を網羅的に読み取り、定量する手法。

論文情報

掲載誌:
eLife
タイトル:
Pronounced expression of extracellular matrix proteoglycans regulated by Wnt pathway underlies the parallel evolution of lip hypertrophy in East African cichlids
著者:
Nagatoshi Machii, Ryo Hatashima, Tatsuya Niwa, Hideki Taguchi, Ismael A Kimirei, Hillary DJ Mrosso, Mitsuto Aibara, Tatsuki Nagasawa, Masato Nikaido

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東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系

准教授 二階堂 雅人

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