通信を支えるLDPC符号の設計理論を量子コンピューターへ

2026年9月9日 公開

大きな最小距離が期待でき、スレッショルド現象を示す量子LDPC符号を実現

ポイント

  • 通信・記憶装置を支える古典LDPC符号の設計理論は、量子力学上の制約により、量子LDPC符号へそのまま利用できなかった。
  • 量子誤り訂正に必要な部分だけに制約を課すことで、古典LDPC符号の設計自由度を量子符号に取り入れた。
  • 9,216個の物理量子ビットで4,612個の論理量子ビットを守る高符号化率の符号を構成し、大きな最小距離を期待できる構造と明瞭なスレッショルド現象を確認した。
  • 本成果をもとに、中性原子方式や論理演算に向けた国際的な研究が進展している。

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 工学院 情報通信系の笠井健太准教授は、現在の通信や記憶装置を支える古典LDPC(低密度パリティ検査)符号の設計理論に沿って、新しい量子LDPC符号[用語1]を構成しました。

古典LDPC符号では、検査の接続数やランダム性、短いループを制御することで、より多くの誤りを見つけて訂正できる“大きな最小距離[用語2]”と、雑音が一定値を下回ると訂正性能が急に向上する“スレッショルド現象[用語3]”を両立できます。しかし量子コンピューターでは、2種類の誤りを調べる検査が互いに邪魔をしないように構成しなければならないという量子力学上の制約があり、古典LDPC符号の設計理論をそのまま使えません。

本研究では、2種類の誤り検査が互いに邪魔をしないための量子力学上の制約を、量子誤り訂正[用語4]に実際に使う部分だけに課し、それ以外には古典LDPC符号と同様の設計自由度を残しました。構成した9,216量子ビットの符号では、設計上生じやすい弱点に対する距離が48であることを確認し、詳細な探索でも低い重みの論理エラーは見つかりませんでした。符号全体の最小距離は未証明ですが、48近傍であることを強く示唆しています。

さらに性能曲線は、古典LDPC符号の理論が予測する境界に近い位置で急激に改善し、スレッショルド現象に対応する明瞭なウォーターフォールを示しました。雑音4%ではフレーム誤り率(FER)[用語5]は10-8、すなわち1億回に約1回を達成しています。著者の知る限り、古典LDPC符号の設計理論に沿って、大きな最小距離を期待できる構造とスレッショルド現象を同時に明瞭に示した量子LDPC符号の初の具体例です。

2026年1月のプレプリント公開後、複数の研究チームが本設計を中性原子方式や論理演算へ発展させています。こうした展開は、本成果の波及効果を示しています。

本研究成果は2026年9月9日(現地時間)付で量子科学分野の学術誌「Quantum」に掲載されました。

図1. 提案した量子誤り訂正符号の基本設計(ボストンでの招待講演資料[参考文献4]より)。ĤXとĤZは2種類の誤りを見つけるための検査を表す。色は、行列の小さなブロックを規則正しく並べる方法を示している。
図2. 2種類の検査が互いに邪魔をしないようにする組み合わせ(ボストンでの招待講演資料[参考文献4]より)。横線より上が実際の誤り訂正に使う部分。右の表では、制約を課す組み合わせをCで示している。

背景

量子コンピューターは周囲のわずかな雑音にも影響されやすく、計算中に生じる誤りを見つけて直す「量子誤り訂正」が欠かせません。量子LDPC符号は、一度に少数の量子ビットだけを調べて誤りを訂正する検査を組み合わせるため、大規模な量子計算に適した方法として研究されています。

LDPC符号には、古典コンピューターの領域で長年にわたり発展してきた明確な設計理論があります。検査の接続数を選ぶと、雑音にどこまで耐えられるかを示すスレッショルドを予測できます。さらに、規則性と適度なランダム性を保ち、短いループを避けると、最小距離が符号の長さとともに大きくなることが期待できます。つまり、スレッショルド現象であらわされる急峻な性能改善と低い失敗率を、同じ設計図の上で狙えます。

ところが量子コンピューターでは、2種類の誤りを調べる検査が互いに邪魔をしないようにする、量子力学上の制約があります。この制約を設計全体に一律に課すと、検査のつながりに短いループが生じたり、誤りに弱い部分ができたりする問題がありました。

本研究の問いは、量子力学の制約を守りながら、古典LDPC符号の設計理論を量子へ移し、大きな最小距離とスレッショルド現象の両方を備えた符号を作れるか、というものでした。

研究成果

本研究では、同じ大きさの小さな行列を、ずらし方を変えながら規則正しく並べる「アフィン置換行列(APM)」を使いました。2種類の誤り訂正検査が互いに邪魔をしないという条件を、実際の誤り訂正に使う部分だけに課します。それ以外にはランダム性を残し、検査の接続数や短いループを古典LDPC符号と同じ考え方で設計できるようにしました。

この方法で、9,216個の物理量子ビットを使って4,612個の論理量子ビットを守る符号を構成しました。各量子ビットは3個の誤り訂正検査につながり、各検査は12個の量子ビットを調べます。最短のループの長さを示すgirthは8です。重み48の論理演算子を具体的に構成でき、設計上生じやすい潜在部分の距離も48であることを確認しました。さらに、詳細な探索と低誤り率までのシミュレーションで、これより小さい論理エラーは観測されていません。符号全体の最小距離は未証明ですが、48近傍であることを強く示唆しています。専門的には[[9216, 4612, d]](d≤48)と表します。

復号には、各量子ビットが誤っている可能性を繰り返し計算するBP[用語6]を用いました。性能曲線は、古典LDPC符号の理論予測である密度発展の境界に近い位置で急激に低下しました。これは、雑音が一定値を下回ると訂正性能が急向上するスレッショルド現象に対応する「ウォーターフォール」です。量子の制約を入れても、古典LDPC符号の設計上の利点が保たれたことを示します。簡単な追加処理を組み合わせ、雑音4%でフレーム誤り率10-8(1億回に約1回)を達成しました。この低い失敗率に加えて、とくに重要なのは、量子力学の直交制約を満たす有限長の量子LDPC符号で得られたウォーターフォールが、対応する古典LDPC符号アンサンブルに対して密度発展が予測するBPのしきい値へ接近している点です。これは、古典LDPC符号で確立された「接続次数から復号限界を予測し、その予測を目標に設計する」という考え方が、量子LDPC符号でも有効に働くことを示唆します。

図3. シミュレーションで確認したフレーム誤り率(FER)。横軸は量子ビットに生じる雑音の割合、縦軸はFERを表す。青点は、ある境界を下回るとFERが急低下するスレッショルド現象(ウォーターフォール)を示している。緑線は、対応する古典LDPC符号アンサンブルに対して密度発展が予測するBPのしきい値であり、青点のウォーターフォールがこの予測へ接近している。雑音4%ではFER 10-8(1億回に約1回)を達成した。赤線は量子通信路の理論限界。

社会的インパクト

本成果の意義は、1つの高性能な符号を作ったことだけではありません。古典LDPC符号で確立された設計理論を使って、量子LDPC符号のスレッショルド、最小距離、短いループ、訂正しにくい誤りパターンを同じ枠組みで設計できる可能性を示した点にあります。これは、通信技術で蓄積された知識を量子コンピューターへ移す道を開き、量子情報を長く保存する量子メモリーや、誤りに強い大規模量子コンピューターの開発を加速すると期待されます。

なお、本成果は理論設計と数値実験によるものであり、現時点で特定の量子ハードウェア上の実装性能を直接保証するものではありません。

2026年1月のプレプリント公開後、複数の研究チームが本研究の設計を中性原子方式へ発展させています[参考文献1]。さらに、より規則的な「Cornucopia codes」[参考文献2]や、中性原子の移動と論理演算を設計段階から組み込む一般的枠組み「GALA」[参考文献3]へ展開されています。これらの研究では本研究の符号が「Kasai code」(Kasai符号[用語7])と呼ばれており、本成果が量子LDPC符号の新たな設計基盤として活用され始めていることを示しています。

本成果については国内外の大学・企業・研究機関で招待講演を行っており、2026年10月には量子LDPC符号の近年の進展に関する基調講演を予定しています。

今後の展開

今後は、符号全体としてどの程度の誤りに耐えられるかを数学的に明らかにするとともに、同じ性能をより少ない量子ビットで実現できる設計を目指します。また、訂正が難しい特定の誤りパターンをさらに減らします。

実際の量子装置では、すべての量子ビットを自由につなげられるわけではなく、操作や測定にも誤りが生じます。今後は、こうした現実の条件や、音響光学偏向器(AOD)[用語8]を使った中性原子の移動方法までシミュレーションに取り込み、装置と誤り訂正を一体として設計することを目指します。

付記

本研究は、JSPS科研費 JP26K07504の助成を受けて実施されました。

参考文献

用語説明

[用語1]
量子LDPC符号:一度に少数の量子ビットだけを調べる検査を多数組み合わせて、誤りを効率よく見つけて直す方法。
[用語2]
最小距離:符号がどの程度の誤りに耐えられるかを表す基本指標。一般に大きいほど、多くの誤りを見分けて訂正できる。
[用語3]
スレッショルド現象(ウォーターフォール):雑音がある境界を下回ると、訂正失敗率が急激に下がる現象。古典LDPC符号の重要な性能指標。
[用語4]
量子誤り訂正:量子ビットに生じた誤りを、量子情報そのものを直接読み出さずに検出・訂正する技術。
[用語5]
フレーム誤り率(FER):1つの符号語(フレーム)全体の復号に失敗する確率。10-8は1億フレームに約1回の水準を表す。
[用語6]
BP:各量子ビットが誤っている可能性を、周囲の検査結果と何度もやり取りしながら更新して、正しい状態を推定するsum-product法(積和法)。
[用語7]
Kasai符号:本研究の設計をもとにした量子LDPC符号の総称。QuEra・ハーバード大学・MITの共同研究論文で「Kasai code」と呼ばれ、清華大学を含む研究チームやGALA論文でも、この設計が発展・一般化されている。
[用語8]
音響光学偏向器(AOD):音の波を使ってレーザー光の向きを素早く変える装置。中性原子方式の量子コンピューターでは、原子をつかむレーザーの位置を動かすために使われる。

論文情報

掲載誌:
Quantum
タイトル:
Breaking the Orthogonality Barrier in Quantum LDPC Codes
著者:
Kenta Kasai

研究者プロフィール

笠井 健太 Kenta Kasai

東京科学大学 工学院 情報通信系 准教授
研究分野:情報理論、誤り訂正符号、量子誤り訂正

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東京科学大学 工学院 情報通信系
准教授 笠井 健太

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