鉄が肝臓を傷つける—新たな細胞死フェロトーシスの正体とは

2025年5月30日 公開

手術後の回復を左右する鉄と100の遺伝子を発見、肝疾患の診断と治療に新たな可能性

ポイント

  • 鉄によって引き起こされる細胞死「フェロトーシス」が、肝疾患の進行や手術後の肝機能回復に関与することを解明した。
  • フェロトーシスの発生時に肝臓で特異的に変化する100個の遺伝子群「iFerroptosis」を新たに定義し、疾患の分子マーカーとして抽出した。
  • 手術前の血清鉄濃度が術後の肝傷害の程度を予測できる可能性を示し、バイオマーカーとしての有用性が期待される。

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 総合研究院 難治疾患研究所の諸石寿朗教授、熊本大学 消化器外科学講座の松本嵩史医員(研究当時、現パリ・サクレー大学 研究員)らの研究チームは、肝臓に過剰に蓄積した鉄が細胞死を誘導し、肝疾患の進行や手術後の回復遅延につながる仕組みを、動物実験および患者データの解析によって解明しました。

本研究では、細胞の鉄調節に重要な役割を果たす遺伝子FBXL5[用語1]を欠損させたマウスを用い[参考文献1]、鉄の過剰蓄積とフェロトーシス[用語2]との関連を明らかにしました。さらに、フェロトーシスの誘導時に肝臓で活性化される100個の遺伝子群を「
iFerroptosis[用語3]」として特定し、これを肝疾患の評価指標として活用する可能性を提示しました。

これらの成果は、フェロトーシスが肝疾患において果たす役割を再定義するとともに、術後予後の予測や新たな治療戦略(フェロトーシス抑制薬の開発など)への道を拓くものです。

本成果は、東京科学大学 制がんストラテジー研究室、熊本大学 消化器外科講座、熊本大学消化器内科講座、京都大学 がん免疫総合研究センターとの共同研究によって行われ、5月29日付で「Hepatology Communications」誌に掲載されました。

図. 研究の概要

背景

鉄は健康を保つために欠かせないミネラルで、成人の体内にはおよそ鉄釘1本分(約3~5グラム)の鉄が存在しています。鉄は、血液中で酸素を運ぶ役割に加えて、エネルギーの産生や細胞の働きにも関与しています。鉄が不足すると貧血を引き起こしますが、逆に過剰になると体に有害な活性酸素を生み出し、がんや神経の病気の原因になることがあります。このため、体内では鉄の量が厳密にコントロールされています。

特に肝臓は、体内の鉄を貯蔵する中心的な臓器であり、鉄代謝の異常が肝機能に与える影響は大きいと考えられています。これまで、過剰な鉄が細胞に毒性をもたらすメカニズムは明確ではありませんでしたが、近年、細胞内の鉄過剰による脂質の過酸化が誘導する新しい細胞死の概念としてフェロトーシスが発見され[参考文献2]、鉄毒性の分子機構が徐々に明らかになってきました。

これまでの研究では、フェロトーシスが肝炎や肝臓の線維化、肝臓がんなど、さまざまな肝疾患の発症や進展に関与する可能性が示唆されていましたが、肝臓における鉄の蓄積とフェロトーシスの関係や、フェロトーシスが具体的にどのように病気に関与するのかについては、十分に解明されていませんでした。

また、フェロトーシスは肝臓がんの手術や肝移植の際に起こる肝虚血再灌流傷害[用語4]とも関係していると考えられており、より詳しい仕組みの解明が求められていました。

研究成果

研究チームはまず、鉄を調節する重要なタンパク質「FBXL5」を欠損したマウスを用い、肝臓に鉄を蓄積させた状態で実験を行いました。このマウスにさらに鉄を過剰に与えると、肝臓内の細胞が酸化的ダメージを受けて急激に死に至ることが判明し、これがフェロトーシスによるものであることが確認されました。

さらに、このような肝臓傷害時に共通して現れる遺伝子変化を網羅的に解析することで、「iFerroptosis」と名付けた100個の特徴的な遺伝子群を同定しました。この遺伝子セットは、さまざまな肝疾患マウスモデルやヒトの臨床データにおいても高い再現性を示しており、肝臓でフェロトーシスが進行しているかどうかを評価する“サイン”として、信頼性の高い指標となり得ることが明らかになりました。

さらに、熊本大学病院で肝切除手術を受けた肝細胞がん患者のデータを解析した結果、術前の血清鉄濃度が高い患者では、術後の肝酵素(ALT・AST[用語5])の回復が遅れ、肝傷害が持続する傾向があることが示されました。血清鉄濃度が高い患者では、肝臓における鉄の蓄積がフェロトーシス感受性を高め、肝虚血再灌流傷害に伴う肝細胞死を助長していることが示唆されました。

本研究は、フェロトーシスの病的意義をマウスとヒトの両方のデータから明らかにした点で先駆的であり、鉄代謝の制御が外科的介入による肝傷害の予防・管理における新たな治療標的となる可能性を示しています。

社会的インパクト

本研究成果は、肝疾患の診断や予後予測に新たな視点をもたらすものです。たとえば、肝臓がんの手術や肝移植を行う前に、患者の血清鉄濃度や肝臓内の鉄蓄積の程度、さらにiFerroptosisの発現状態を調べることで、術後にどの程度のダメージが生じるか、肝臓がどの程度回復するかを予測できる可能性があります。

また、フェロトーシスを事前に抑制する治療(例:抗酸化薬の投与)を組み合わせることで、患者の予後を大きく改善できるような治療法の開発も期待されます。

このように、iFerroptosisを活用した診断ツールの開発や、フェロトーシス制御を目的とした新薬の創出といった今後の応用展開が期待されます。

今後の展開

本研究により、肝臓病とフェロトーシスの関係や、フェロトーシスの評価手法としてのiFerroptosisの有効性が示されました。今後は、心臓・腎臓・脳など他の臓器にも同様のアプローチを応用し、フェロトーシスが全身に及ぼす影響を広く検討していくことが求められます。

また、すでに市場に存在する鉄キレート剤や抗酸化薬をどのように活用・最適化し、フェロトーシスが関与する病態の予防や治療に役立てていくかも、今後の臨床研究における重要な課題となると考えられます。

付記

本研究成果は日本学術振興会 科学研究費補助金、科学技術振興機構、小林がん研究振興財団、高松宮妃癌研究基金、金原一郎記念医学医療振興財団、日本がん研究振興財団、加藤記念バイオサイエンス振興財団、日本医療研究開発機構、および健康長寿代謝制御研究拠点共同研究助成の支援を受けて実施したものです。

[1]
Toshiro Moroishi, Masaaki Nishiyama, Yukiko Takeda, Kazuhiro Iwai, Keiichi I. Nakayama, Cell Metabolism, 2011, 14, 339-351
DOI: 10.1016/j.cmet.2011.07.011
[2]
Scott J. Dixon, Kathryn M. Lemberg, Michael R. Lamprecht, Rachid Skouta, Eleina M. Zaitsev, Caroline E. Gleason, Darpan N. Patel, Andras J. Bauer, Alexandra M. Cantley, Wan Seok Yang, Barclay Morrison III, Brent R. Stockwell, Cell, 2012, 149, 1060-1072
DOI: 10.1016/j.cell.2012.03.042

用語説明

[用語1]
FBXL5:体内の鉄を適切に調節する役割をもつタンパク質。この遺伝子が欠損すると、鉄が過剰に蓄積する。
[用語2]
フェロトーシス:鉄による脂質の酸化によって誘導される、新しいタイプの細胞死の一つ。がんやさまざまな肝疾患との関連が注目されている。
[用語3]
iFerroptosis:本研究で特定された、肝臓でフェロトーシスが起きた際に共通して発現変化がみられる100個の特徴的な遺伝子群。
[用語4]
肝虚血再灌流傷害:肝臓への血流が一時的に途絶えた後、再び流れ始めたときに生じる組織傷害。手術時や肝移植の際に発生することがある。
[用語5]
ALT・AST:肝臓がダメージを受けると血液中で増加する酵素。肝機能を評価する血液検査項目として広く用いられている。

論文情報

掲載誌:
Hepatology Communications
タイトル:
Integrated hepatic ferroptosis gene signature dictates pathogenic features of ferroptosis
著者:
Takashi Matsumoto, Akihiro Nita, Yohei Kanamori, Ayato Maeda, Tomomi Nita, Noriko Yasuda-Yoshihara, Kosuke Mima, Hirohisa Okabe, Katsunori Imai, Hiromitsu Hayashi, Yuta Matsuoka, Katsuya Nagaoka, Keiichi I. Nakayama, Yuki Sugiura, Yasuhito Tanaka, Hideo Baba, Toshiro Moroishi

研究者プロフィール

諸石 寿朗 Toshiro MOROISHI

東京科学大学 総合研究院 難治疾患研究所 細胞動態学分野 教授
研究分野:分子生物学、細胞生物学

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教授 諸石 寿朗

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