ポイント
- 日本で開発された衝撃吸収床材『ころやわ®』が、高齢者の転倒による大腿骨近位部骨折の予防に有効であることを科学的に示しました。
- 実際に大腿骨骨折を受傷した高齢者のCTデータを基に、転倒時の衝撃を再現できる世界初の生体力学シミュレーションモデルを開発しました。
- 本モデルにより、安全かつ低コストに床材の骨折予防効果を評価できるようになり、最適な転倒骨折予防技術の開発と社会実装の加速が期待されます。
概要
東京科学大学(Science Tokyo) 医歯学総合研究科 整形外傷外科治療開発学講座の王耀東准教授らの研究チームは、株式会社Magic Shieldsとの共同研究により、高齢者の脆弱性大腿骨近位部骨折[用語1]に対する転倒衝撃吸収床材の予防効果を検証するため、生体データを用いたバイオメカニクス[用語2]解析モデルを開発し、衝撃吸収床材が高齢者の転倒による骨折予防に有効であることを科学的に実証しました。
高齢者の転倒による脆弱性骨折[用語3]の代表例である大腿骨近位部骨折は、寝たきりや生命予後の悪化につながるだけでなく、関連する医療・介護費の負担が社会全体に及ぶことから、深刻な世界的社会問題となっています。世界で初めて超高齢社会[用語4]となった日本では、脆弱性大腿骨近位部骨折の予防を目的とした薬物療法や運動療法、ヒッププロテクターなどの既存の手段に代わる新たな予防策として、日常生活では硬く安定し、転倒時には衝撃を吸収することで「転倒しても骨折しにくい」床材の開発が進められています。その発想の転換は大きな注目を集めていますが、社会実装[用語5]を推進するためには医学的エビデンスの構築が不可欠です。
本研究では、有限要素法[用語6]という数値解析手法を用いて、実際に大腿骨近位部骨折を受傷した日本人高齢女性患者の大腿骨CTデータを基に、転倒時の衝撃を再現した動的シミュレーションをコンピューター上で実施できるバイオメカニクス解析モデルを世界で初めて開発しました。このモデルを用いて、転倒時の衝撃に応じて変形する独自のメカニカルメタマテリアル構造[用語7]を特徴とする床材『ころやわ®』(22 mm厚、株式会社Magic Shields)が、歩行時や車椅子移動時の不安定さが課題であった従来のスポンジマット(40 mm厚)と同等の骨折予防効果を示すことを明らかにしました。
本モデルは、衝撃吸収床材による転倒骨折予防効果を実証しただけでなく、今後の製品開発や改良にも活用できることから、社会実装の加速に貢献することが期待されます。
本研究成果は、国際学術誌「Biocybernetics and Biomedical Engineering」において、2026年5月8日付でオンライン公開されました。
実際に大腿骨近位部骨折を受傷した日本人高齢女性患者の大腿骨CTデータと、各種床材の物理特性を組み合わせることで、転倒時の衝撃を再現した動的シミュレーションをデジタル上で実施できる有限要素モデルを開発しました。このバイオメカニクス解析モデルを用いて、転倒時の衝撃に応じて変形する独自構造を有する床材『ころやわ®』(22 mm厚、株式会社Magic Shields)が、高齢者の転倒による大腿骨近位部骨折の予防に有効であることを科学的に実証しました。(Oh Y, et al., Biocybernetics and Biomedical Engineering, 2026より転載. CC BY 4.0)
背景
世界的な高齢化に伴い、高齢者の転倒による大腿骨近位部骨折は急増しており、医療・介護費の増大を招く重要な社会課題となっています。日本では年間約20万件の大腿骨近位部骨折が発生し、関連する医療・介護費は年間約2兆円に達すると推計されています。
骨折予防策としてヒッププロテクターや衝撃吸収マットが用いられていますが、装着性や歩行時の安定性、十分な科学的根拠の不足などの課題があります。そこで、日本で開発された可変剛性構造を持つ衝撃吸収床『ころやわ®』(図1)に注目し、その骨折予防効果を安全かつ低コストに評価できるシミュレーション手法の開発に着手しました。
研究成果
本研究チームは、転倒衝撃吸収床材による脆弱性大腿骨近位部骨折の予防効果を科学的に検証するため、実際に大腿骨近位部骨折を受傷した日本人高齢女性の大腿骨CTデータと、『ころやわ®』をはじめとする床材の物理特性を組み合わせた新しい有限要素解析モデルの構築に成功しました(図2)。これにより、人体に直接危険を及ぼすことなく、転倒時の衝撃エネルギーに相当する動的衝撃試験をコンピューター上で再現し、床材の骨折予防効果を評価することが可能となりました。
コンクリート床の上に各種床材を設置した条件で転倒シミュレーションを行い、骨折予防効果を検証した結果、医療・介護施設で一般的に用いられるビニル製床シート(2 mm厚)では、大腿骨近位部の骨形状が完全に破壊されました。一方、スポンジマット(40 mm厚)と『ころやわ®』(22 mm厚)では、骨に加わる最大反力が、本モデルにおける大腿骨近位部骨折の発生閾値(1,400 N)を下回る1,200 Nに抑えられ、弾性反発によって骨形状が保持されました(図3)。
これらの結果は、高齢者の転倒による脆弱性大腿骨近位部骨折に対する新たな予防策として、転倒衝撃吸収床材が有効であることを示しています。また、このバイオメカニクス解析により、日常生活での歩行や車椅子移動時には硬く安定している『ころやわ®』が、歩行時の不安定さが課題であった従来のスポンジマットと同等の骨折予防効果を有することが、科学的かつ視覚的に示されました。
さらに、本モデルでは床材の厚みや構造要素の特性をデジタル上で自由に変更できるため、被験者を危険にさらしたり過大な開発コストを要したりすることなく、製品の最適化を迅速に進めることが可能です。今後、転倒骨折予防技術の開発や改良を加速する基盤としての活用が期待されます。
社会的インパクト
本研究は、高齢者の転倒による大腿骨近位部骨折を予防する新たな手段として、衝撃吸収床材の有効性を科学的に示しました。脆弱性骨折の発生抑制は、高齢者のQOL維持や健康寿命の延伸に加え、医療・介護費の負担軽減にもつながることが期待されます。
また、今回開発した有限要素解析モデルは、人体へのリスクを伴わずに床材の性能を評価できるため、今後の製品開発や改良を効率化する基盤技術となります。高齢化が進む世界に向けて、日本発の転倒骨折予防技術の社会実装を後押しする成果といえます。
さらに、本研究は、国際卓越研究大学として東京科学大学が推進する産学連携の賜物であると同時に、経済産業省商務情報政策局 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課が運営するHealthcare Innovation Hub(InnoHub)を介した産官学連携の成功事例としても重要な意味を持ちます。世界に先駆けて超高齢化が今なお進行し、高齢化に関連した多くの社会課題に直面している日本において、産官学が一体となって、ヘルスケア分野におけるエビデンスを構築しその最新の知見を世界へ発信したことは、今後同様の課題に直面する世界各国のヘルスケア産業をリードする画期的なイノベーションとしてのインパクトを秘めています。
今後の展開
本研究で確立したバイオメカニクス解析モデルは、日本発の転倒骨折予防技術の発展を支える、費用対効果の高いデータ駆動型プラットフォーム(基盤)となることが期待されます。今後は、多様な体格や骨質、設置環境に応じて最適化された床材の開発を促進し、その有効性と汎用性の向上を目指します。
また、本研究チームは、産官学の連携を強化しながら、転倒衝撃吸収床材の社会実装を加速させ、高齢者の転倒による骨折リスクの低減に貢献していきます。さらに、こうした取り組みを通じて、ヘルスケア分野における新たなエコシステムの構築を目指します。
付記
本研究は、東京医科歯科大学(現 東京科学大学)と株式会社Magic Shieldsの共同研究(研究期間:2021年7月27日~2023年3月31日)として行われました。
参考文献
- [参考文献1]
- Takusari E, Sakata K, Hashimoto T, et al. Trends in hip fracture incidence in Japan: estimates based on nationwide hip fracture surveys from 1992 to 2017. JBMR Plus 30, e10428 (2020).
- [参考文献2]
- Baba S. The super-aged society. World Health 46, 9-11 (1993).
- [参考文献3]
- Hagino H, Jackson M, Gitlin M, et al. Estimating the future clinical and economic benefits of improving osteoporosis diagnosis and treatment among women in Japan: a simulation projection model from 2020 to 2040. Arch Osteoporos 16, 156 (2021).
用語説明
- [用語1]
- 大腿骨近位部骨折:太ももの骨の付け根(股関節周辺)が折れる骨折。高齢者が転倒した際に発生しやすく、寝たきりや要介護状態の原因となる代表的な骨折である。
- [用語2]
- バイオメカニクス:生体力学。生物の構造や運動を物理学や力学の法則に基づいて解析する学問分野。骨や関節にかかる応力の評価や、人工関節、福祉機器などの設計や評価に活用されている。
- [用語3]
- 脆弱性骨折:骨粗鬆症などにより骨がもろくなった結果、立った高さからの転倒などの軽微な外力で生じる骨折。代表的な発生部位として、大腿骨近位部、脊椎、橈骨遠位端(手首)、上腕骨近位端(肩)がある。
- [用語4]
- 超高齢社会:総人口に占める65歳以上の割合(高齢化率)が21%を超えた社会。日本は2007年に超高齢社会となり、医療・介護体制の維持や社会保障費の増大が課題となっている。
- [用語5]
- 社会実装:研究開発によって生み出された技術や製品、知見を社会や産業の現場に導入し、実際の課題解決に活用すること。
- [用語6]
- 有限要素法:複雑な形状や性質を持つ物体を多数の小さな要素に分割し、それぞれの変形や応力を計算することで、物体全体の強度や挙動を解析する数値解析手法。
- [用語7]
- メカニカルメタマテリアル構造:素材そのものではなく、内部構造を設計することで特殊な機械的特性を実現した構造。「通常時は硬く、強い衝撃が加わったときだけ柔らかくなる」といった可変剛性を実現できる。
論文情報
- 掲載誌:
- Biocybernetics and Biomedical Engineering
- タイトル:
- Development of a CT-based finite element model to evaluate the efficacy of shock-absorbing floors for fragility hip fracture prevention: An industry–government–academia partnership in Japan’s super-aging society
- 著者:
- Yoto Oh, Kouhei Yamamoto, Atsushi Okawa, Takumi Kaku, Satoru Egawa, Toshitaka Yoshii
研究者プロフィール
王 耀東 Yoto Oh
東京科学大学 医歯学総合研究科 整形外傷外科治療開発学講座 准教授
研究分野:整形外傷外科、骨折治療、生体力学解析
吉井 俊貴 Toshitaka Yoshii
東京科学大学 副理事(医療戦略担当)/医歯学総合研究科 整形外科学分野 教授
東京科学大学病院 副病院長(医療安全)
研究分野:脊椎脊髄外科、骨再生
関連リンク
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東京科学大学 医歯学総合研究科 整形外傷外科治療開発学講座
准教授 王 耀東
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(経済産業省のヘルスケア政策 InnoHubに関すること)
東京科学大学病院 基盤診療部門 病理部 准教授
経済産業省ヘルスケア産業課 InnoHubアドバイザー
山本 浩平
- yamamoto.pth2@tmd.ac.jp