「食べる」を起点に、口腔医療の枠を越える
VI-Researcherインタビュー:Innovative-Life Society Visionary Initiative
戸原 玄 教授(医歯学総合研究科)
2025年4月に導入したVisionary Initiatives(VI)は、現行の医学、歯学、理学、工学、情報学、物質理工学、環境・社会理工学、生命理工学、リベラルアーツといった分野別縦割りの研究体制を、分野横断型へと大きく変革する仕組みです。研究者はいずれかのVIを選択し、異分野融合研究を加速していきます。
戸原玄教授が担当するInnovative-Life Society VIは、AIやロボティクス、デジタルツインなどを活用し、サイバー空間とフィジカル空間を融合させることで、食、産業、都市、医療を含む新たな生活空間の創出を目指しています。
「なぜこのVIを選んだのか」「異分野研究者との出会いでこれから何が生まれるのか」、研究者一人一人のエピソードを紐解きます。
Innovative-Life Societyで広がる研究の自由
摂食嚥下障害と在宅訪問診療を専門とし、「食べること」「話すこと」を支える研究に取り組む戸原教授。一見すると意外にも思えるInnovative-Life Societyへの参画をきっかけに、スマート農業やデジタルツイン、美学など、多様な分野との交流が生まれています。さらに、口腔から全身疾患を検出する研究や、魚の摂食行動の解明へと、研究の対象も大きく広がり始めました。戸原教授が感じる異分野融合の面白さと、次世代に伝えたい「研究の自由」について聞きました。
――専門分野と、現在の研究テーマを教えてください。
専門は、摂食嚥下障害と在宅訪問診療です。食べ物を噛んで飲み込むことが難しくなった方に、どのように安全に、そしてその人らしく食べ続けてもらうかを考え、診療と研究に取り組んでいます。
継続して進めている研究の一つが、マウスピース型人工喉頭「Voice Retriever®」です。病気などによって声を失った方の発声を支える装置で、実用化後も、より使いやすいものへと発展させる研究を続けています。
その他、今、特に力を入れようとしているのが、東京大学との共同研究によるラマン分光法を用いた研究です。光を当てた際に得られる分子レベルの情報を分析し、口腔から全身疾患の兆候を検出できないかと考えています。口は、全身の健康状態を映す入り口でもあります。口腔の情報から病気を早期に、簡便に発見する技術につなげたいと思っています。
また、東京電機大学の研究者と一緒に、魚がものを食べる様子も真剣に調べようとしています。人の摂食嚥下を研究してきた視点から、異なる生物の「食べる」を観察することで、新しい発見があるのではないかと期待しています。
――なぜInnovative-Life Societyを選んだのでしょうか。
実は私はVIの初期メンバーなので、自分で積極的に選んだというより、「気が付いたら入っていた」というのが正直なところです(笑)。
ただ、もともと自分の専門分野だけで研究を完結させるより、さまざまな人と一緒に仕事をすることが好きでした。Innovative-Life Societyは、サイバー空間とフィジカル空間を結び、新しい暮らしや社会をつくろうとするVIです。医療や食、生活に関わる私たちの研究とも、実は多くの接点があると感じています。
――VIへの参画によって、研究にどのような広がりが生まれましたか。
大学統合前から、時間栄養学を専門とする高橋英彦先生(医歯学総合研究科)とは交流がありましたが、VIへの参画後は、スマート農業、デジタルツイン、美学などを専門とする先生方とのやり取りが増えました。
企業との連携も以前から進めていましたが、最近は、いわゆる嚥下障害の枠にとどまらないテーマでの連携が広がっていると感じます。
「食べる」という行為は、医療だけでなく、農業、食品、工学、情報、デザイン、文化など、非常に多くの分野と関係しています。VIという枠組みができたことで、これまで見えていなかった接点が見えやすくなり、新しい研究の可能性について話す機会が増えました。
――Science Tokyoならではの異分野融合に、どのような可能性を感じていますか。
最初は、正直なところ「本当にそんなに変わるのだろうか」と思っていました。異なる専門分野の研究者を組み合わせても、すぐに何かが生まれるわけではありません。新しい組み合わせができたからといって、急に研究成果が出るほど簡単ではないとも考えていました。
ところが最近は、大岡山キャンパスへ行く機会や、理工学系をはじめとする異分野の先生方と打ち合わせをする機会が増えました。「これが全部、本格的に動き始めたらどうなるのだろう」と思うほど、さまざまな話をしています。
以前、大学の広報用ポスター案として「科学って自由」という言葉を出したことがあります。今、研究の面では、本当にどんどん自由になっていると感じます。もっとも、雑務は増え続けて、日常生活はかなり不自由になっていますが(笑)。
――今後、Innovative-Life Societyを通じて実現したいことを教えてください。
自分は、新しい動きを始める最初の「コマ」のようなものだと思っています。もともと、いろいろな分野の人と一緒に仕事をすることは好きでしたが、歯学分野全体が必ずしも同じ方向を向いていたわけではありません。自分の研究室の大学院生も、全員が最初から異分野融合を意識しているわけではありません。
だからこそ、同じ範囲をぐるぐる回るのではなく、恥ずかしがらずに新しいアイデアを出し、これまで取り組んでこなかったことにも挑戦する。それが特別なことではなく、当たり前になるような雰囲気をつくりたいと思っています。
今後数年のうちに、専門の外へ踏み出すことの面白さを後進の研究者たちに伝えたい。それが研究文化として根付いた頃には、私自身も安心して引退を考えられるのではないでしょうか。
プロフィール
戸原 玄(とはら・はるか)
東京科学大学 医歯学総合研究科 摂食嚥下リハビリテーション学分野 教授。Innovative-Life Society VIのサブ・プログラム・ディレクター。博士(歯学)。専門は高齢者歯科、摂食嚥下リハビリテーション、訪問歯科診療。摂食嚥下障害の診療・研究をはじめ、マウスピース型人工喉頭「Voice Retriever®」の開発、口腔情報を活用した疾患検出など、「食べる」「話す」を支える研究に取り組んでいる。