ポイント
- 従来法では解析困難だった三糖類「メレジトース」の構造決定に成功
- 糖の動きが、周辺環境に依存してどのように制御されるのかを解き明かした
- 医薬品候補の分子設計や最適化への応用に期待
概要
東京科学大学(Science Tokyo) 生命理工学院 生命理工学系の小島摩利子大学院生(現 東北大学助教)、Yao Xinchen(ヤオ・シンチェン)大学院生(研究当時)、安部聡助教(現 京都府立大学准教授)、古田忠臣助教、上野隆史教授(兼 科学技術創成研究院 自律システム材料学研究センター)らの研究グループは、糖鎖の柔軟な構造と動態を原子レベルで解明する新しい解析基盤を開発しました。
研究グループは、白血球に存在する糖結合性タンパク質の一種「ガレクチン10(Gal-10)[用語1]」が生体内で自然に結晶化する性質に着目し、当研究グループが開発した無細胞タンパク質結晶化(Cell-Free Protein Crystallization, CFPC)[用語2]を応用することで、精製を必要とせず迅速に高品質なタンパク質結晶を得ることに成功しました。このGal-10結晶を用いることで、従来の方法では解析が難しかった三糖類[用語3]の一つである「メレジトース[用語4]」の結合構造を世界で初めて原子分解能で決定しました。さらに、本学の「TSUBAME4.0スーパーコンピュータ」を用いた分子動力学シミュレーション[用語5]を組み合わせて解析することで、糖鎖の柔軟性がどのように結合部位の構造によって制御されるのかを明らかにしました。
本成果は、糖鎖の立体構造と動態を原子レベルで理解するための新しい基盤技術を確立したものであり、創薬研究、糖分子の機能解析など、幅広い分野に展開できる可能性があります。
本成果は、先端計測・構造解析分野の学術誌「Small Structures (Wiley刊行)」のオンライン版で10月23日(現地時間)に公開されました。
背景
糖鎖は、細胞同士の認識やシグナル伝達など、多様な生命現象に関わる重要な分子です。しかし糖鎖は柔軟で複雑な構造を持つため、従来の解析手法ではその立体構造や動きを詳細に理解することが困難でした。特に、糖鎖がタンパク質に結合した際にどのように「ゆらぎ」ながら機能するのかは、生命科学・創薬研究の大きな課題となっていました。そこで本研究では、糖と結合するタンパク質「ガレクチン10(Gal-10)」を結晶化し、これを足場に活用した、糖分子の構造とゆらぎの解析技術を開発しました。
研究成果
本研究では、白血球に存在する糖結合性タンパク質「ガレクチン10(Gal-10)」の結晶を利用し、内部に糖分子を取り込ませて均一に配向させることで、X線結晶構造解析を行いました。このGal-10は、喘息などの疾患時に体内で異常に結晶化することが知られていますが、構造解析に適した高品質な結晶を得るためには、生体内から取り出した結晶を一度溶かして再結晶化する必要がありました。そこで研究チームは、独自に開発した「無細胞タンパク質結晶化(CFPC)」をGal-10に適用し、試験管内でわずか1日で高品質な結晶を量産することに成功しました。
この新開発の方法によって得られたGal-10結晶を糖分子溶液に浸し、結晶内部に糖分子を取り込ませてX線結晶構造解析を行った結果、二糖類や三糖類の構造を明らかにすることができました(図3)。二糖類や三糖類は、糖の最小単位である単糖がグリコシド結合で連なった小分子で、この結合の回転により分子構造が常に揺らぐため、均一に配向させて構造を解析することが難しいとされてきました。特に三糖類メレジトースは、世界で初めて原子分解能での立体構造が決定されました。
続いて、研究チームは、Gal-10の糖結合部位にわずかな改変を加えた変異体(E33A変異体)を作製し、メレジトースのX線結晶構造解析を行いました(図3)。得られた結晶構造データを用いて、結晶のゆらぎ解析を行ったところ、メレジトースは野生型Gal-10内ではゆらぎが大きく、E33A変異型ではより固定されることが分かりました(図3)。また、野生型ではメレジトースの結合に伴って周辺アミノ酸のゆらぎが増大するのに対し、E33A変異型では低下することが判明しました。さらに、本学の「TSUBAME4.0スーパーコンピュータ」を用いた分子動力学シミュレーションにより、野生型ではE33A変異型よりもメレジトースがとりうる構造のバリエーションが多く、複数の構造を遷移することを確認し、糖分子の「ゆらぎ」がタンパク質の微細な構造に依存して制御されていることを明らかにしました。このように、本研究は、結晶構造解析とシミュレーションを統合することで、これまで困難だった小分子の「構造とゆらぎ」を同時に捉えることを可能にしました。
社会的インパクト
本成果は、糖分子に限らず、タンパク質に結合するさまざまな小分子の構造と動きを解析できる新しい基盤技術を提供します。これにより、薬剤候補分子の結合様式やゆらぎを原子レベルで理解できるようになり、医薬品の設計や最適化に大きく貢献すると期待されます。また、糖鎖が生体内でどのように機能しているかを解明する手がかりともなり、生命科学研究の幅広い分野に影響を与える成果です。
今後の展開
今後は、本技術を糖分子にとどまらず多様な小分子に適用し、迅速なスクリーニングによって多数の結晶構造を蓄積することで、タンパク質―小分子相互作用の体系的理解を進めます。特に薬剤候補化合物の結合様式やゆらぎを網羅的に解析することは、阻害剤や分子標的薬の合理的設計に直結します。また、結晶構造解析と分子動力学シミュレーションを組み合わせることで、これまで曖昧であった動的過程を可視化し、分子認識や構造変化の基本原理の解明に貢献できます。将来的には、結晶ライブラリーの構築と計算設計を融合させ、創薬から生命現象解明までを支える強力な研究基盤の確立が期待できます。
付記
本研究は、文部科学省科研費研究課題(22H00347, 25H02254, 22K19266)、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) 先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)・JPMJTR20U1, JPMJTR224A、公益財団法人サントリー生命科学財団「SUNBOR SCHOLARSHIP」の支援を受けたものです。
用語説明
- [用語1]
- ガレクチン10(Gal-10):白血球に多く含まれる糖結合性タンパク質(レクチン)の一種。細胞内外で糖分子と結合する性質をもち、好酸球で高発現する。喘息などの疾患により、「シャルコー・ライデン結晶」と呼ばれる結晶を形成することが知られている。
- [用語2]
- 無細胞タンパク質結晶化(Cell-Free Protein Crystallization, CFPC):細胞から抽出される翻訳機構を利用して、抽出溶液内で組換えタンパク質発現を利用した結晶化方法。従来の結晶化手法と比べ、迅速かつ微量での結晶化が可能である。
- [用語3]
- 三糖類:3つの単糖がグリコシド結合によって連結した糖分子。代表例にはラフィノースやメレジトースがあり、腸内環境改善や免疫調節などに関わる「プレバイオティクス分子」として注目されているものの、タンパク質と結合している状態の構造はほとんど捉えられてこなかった。
- [用語4]
- メレジトース:2つのグルコースと1つのフルクトースが特定の位置で連結した三糖類。生体内での役割は未解明な点が多く、立体構造情報も限られている。
- [用語5]
- 分子動力学シミュレーション:原子や分子の運動をコンピュータ上で再現し、相互作用や構造変化を解析する手法。実験では観測が難しい原子レベルの動きを可視化することができる。本研究では、本学の「TSUBAME4.0スーパーコンピュータ」を用いて計算を行なった。
論文情報
- 掲載誌:
- Small Structures
- タイトル:
- Cell-Free Protein Crystallization Enables Rapid Structure Determination of Disaccharides and Trisaccharides Using Galectin-10 Crystals
- 著者:
- Mariko Kojima, Xinchen Yao, Satoshi Abe, Tadaomi Furuta, Kunio Hirata, Ririko Kobayashi, Taiga Suzuki, and Takafumi Ueno*
研究者プロフィール
小島 摩利子 Mariko KOJIMA
東北大学 多元物質科学研究所 助教
研究分野:タンパク質工学、構造生物化学
上野 隆史 Takafumi UENO
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 教授
研究分野:タンパク質工学、生物無機化学