ポイント
- 半月板損傷を対象とする国内初の再生医療等製品が製造販売承認を取得
- 患者由来の滑膜幹細胞を用い、半月板の温存と修復を目指す低侵襲治療を実現
- 大学発の再生医療シーズが、医師主導治験を経て実用化に至った先駆的事例
概要
東京科学大学(Science Tokyo) 再生医療研究センター長の関矢一郎教授らの研究グループは、半月板[用語1]をできるだけ温存するための再生医療技術を開発しました。半月板は、膝関節で衝撃を吸収するクッションの役割を担う重要な組織です。本技術は、関節の内側を覆う「滑膜[用語2]」という組織から採取した患者自身の細胞を用いるものです。
本技術では、患者自身の膝関節内にある「滑膜」から採取した組織由来の間葉系幹細胞[用語3]を培養し、関節鏡[用語4]下で半月板周囲に移植することで、損傷した半月板の修復を促進します。従来、半月板切除術[用語5]が選択されることの多かった症例に対し、半月板の温存を目指す新たな治療法として期待されています。半月板切除は、短期的には症状改善が期待される一方、長期的には変形性膝関節症[用語6]の進行リスクを高めることが知られており、本技術はこうした課題に対する画期的な治療選択肢となることが期待されます。
本技術は、富士フイルム富山化学株式会社が開発を進めた半月板損傷を対象とする再生医療等製品[用語7]「セイビスカス®注」として、国内で初めて製造販売承認を取得しました。これは、東京科学大学の研究成果が、産学連携を通じて実際の医療現場へ届けられたことを示す象徴的な成果です。
本成果は、関矢教授が2005年より推進してきた基礎研究から臨床応用に至る研究開発に加え、日本医療研究開発機構(AMED)の支援のもとで実施された医師主導治験[用語8]および企業との共同研究によって得られたものです。その後に実施された第III相臨床試験では、膝機能評価指標(リスホルムスコア[用語9])の改善、MRIによる修復所見の改善、再断裂による再手術例が認められなかったことなどから、有効性と安全性が確認されました。
半月板損傷は、スポーツ外傷や加齢に伴って広く発生しており、日本国内でも年間約5万件の手術が行われています。 本技術の実用化により、半月板機能の温存を通じて、将来的な関節疾患の予防や患者の生活の質(QOL)の向上への寄与が期待されます。
今回の技術開発は、東京科学大学が掲げる「善き未来」の実現に向け、「善き生活」「善き社会」「善き地球」というビジョンを推進するVisionary Initiatives(VI:ビジョナリーイニシアティブ)の象徴的な事例です。特に、本研究を主導した関矢教授が参画するVIの1つ「Well-Vitality Visionary Initiative」は、真に豊かな人生を実現する「善き生活」の実現を目指しています。膝の痛みや機能障害に苦しむ患者のQOLを向上させる本成果は、まさに「善き生活」に直結するものであり、健康寿命の延伸を通じた「善き社会」の実現にも大きく寄与します。
また、本件は、大学発の再生医療シーズが医師主導治験を経て社会実装に至った代表的な成功事例であり、国際卓越研究大学として東京科学大学が推進する研究力強化と産学連携の成果の1つです。理工学と医歯学の融合によって創出された知を社会へ還元し、新たな医療価値を創造するという本学の使命を体現する象徴的なプロジェクトであり、アカデミア発イノベーションのモデルケースとしても重要な意義を有しています。
今後は、本技術を基盤としたさらなる適応拡大や、再生医療の高度化・普及を通じて、整形外科領域における新たな治療体系の構築が期待されます。
背景
半月板は膝関節のクッションとして重要な役割を担っていますが、半月板手術の約半数は切除術です。半月板切除術は、長期的に変形性膝関節症の進行リスクを高めることが知られており、半月板を温存する治療(Save the meniscus[用語10])の重要性が国際的にも高まっています。一方で、半月板を温存する縫合術には、再断裂が多いという課題があります。
本技術では、患者自身の膝関節内の滑膜組織から採取した細胞を培養し、以下のメカニズムによって損傷部の修復を促進します。また、治療後には半月板組織の再生を示唆する症例も確認されています。
- 損傷部への細胞の接着
- 軟骨細胞への分化と基質産生
- 滑膜組織の誘導による修復促進
さらに、本技術は関節鏡を用いた低侵襲な投与法で実施可能であり、患者負担の軽減にも寄与します。
研究成果
関矢一郎教授が主導した医師主導治験およびその後の第III相臨床試験では、以下の成果が示されました。
- 膝機能評価(リスホルムスコア)が大幅に改善
- 改善効果は投与後2年間にわたり維持
- MRI評価で約7割の症例に修復改善を確認
- 再断裂による再手術例は認められず
- 重篤な有害事象は認められず
これらの結果は、半月板損傷に対する再生医療の有効性と安全性を裏付けるものです。
社会的インパクト
今回の成果により、従来の治療では十分な修復が難しく、半月板切除が選択されることの多かった患者に対して、半月板を温存しながら修復を促す新たな治療選択肢を提供できることが期待されます。半月板機能を維持することで、変形性膝関節症の進行予防、スポーツ活動の継続、高齢社会におけるQOL向上にもつながる可能性があります。
また、年間約5万件にのぼる半月板手術のあり方に変革をもたらす可能性があり、整形外科領域における重要な進展といえます。さらに、今回の研究成果は、国の研究支援を受けて進められてきた大学発・日本発の再生医療技術が、国内で製造される製品として承認され、実際に患者へ届けられる段階に至った点でも重要な意義を有しています。
今後の展開
今後は、富士フイルム富山化学株式会社と連携しながら、本技術の臨床現場への円滑な導入と適正使用を進め、安全かつ有効な普及を図ります。あわせて、市販後調査を通じて長期的な有効性および安全性に関するエビデンスを蓄積し、治療成績のさらなる最適化を目指します。
さらに、東京科学大学では、本技術を基盤として適応拡大や再生医療の高度化を進め、理工学と医歯学の融合による研究成果を社会へ還元していきます。膝の痛みや機能障害に苦しむ多くの患者に新たな希望を届けるとともに、健康寿命の延伸と持続可能な医療の実現を通じて、「善き未来」への貢献を目指します。
関矢一郎教授のコメント
半月板は、一度損傷すると、極めて限られた場合を除き元に戻らないと考えられてきました。本研究は、患者自身の細胞を用いて半月板の修復を可能にする、新たな再生医療への扉を開くものです。今後も、患者の生活の質向上に貢献できる再生医療の実用化を進めてまいります。
付記
本研究は、以下の支援を受けて行われました。
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実用化研究事業
- 研究開発課題「滑膜幹細胞による変形性膝関節症(軟骨・半月板)の再生医療の実用化」(支援期間:2015~2017年度)
- 研究開発課題「自家滑膜幹細胞の半月板損傷を対象とする医師主導治験」(支援期間:2018~2019年度)
参考文献
- [参考文献1]
- JST・中間評価報告書:再生医療の実現化ハイウェイ「滑膜幹細胞による膝半月板再生」(平成23年度採択課題、代表機関:東京医科歯科大学、研究代表者:関矢一郎)
- [参考文献2]
- AMED・プレスリリース(2017年7月29日):「自家滑膜幹細胞の半月板損傷を対象とする医師主導治験」開始のお知らせ―国内で初めての半月板損傷患者を対象とした再生医療等製品の治験開始―
- [参考文献3]
- 富士フイルム株式会社・ニュースリリース(2023年2月14日):「自家滑膜間葉系幹細胞を用いた再生医療等製品『FF-31501』の半月板損傷を対象とする臨床第III相試験を国内で開始」
用語説明
- [用語1]
- 半月板:膝関節の大腿骨と脛骨の間にある三日月形の線維軟骨。膝にかかる荷重を分散し、関節を安定させるクッションの役割を持つ。近年では、半月板が膝関節機能の維持や変形性膝関節症の予防に重要な役割を果たすことが認識されており、できるだけ温存する治療の重要性が高まっている。
- [用語2]
- 滑膜:関節の内側を覆う薄い膜。関節液を産生し、関節の動きを滑らかに保つ働きを持つ。本技術では、患者自身の滑膜組織の一部を採取し、細胞加工施設で細胞を分離した後、培養によって細胞数を増やして用いる。
- [用語3]
- 間葉系幹細胞:骨、軟骨、脂肪などの組織に分化する能力を持つ細胞。組織修復に関わる性質を有し、再生医療への応用が進められている。iPS細胞のような人工的に作製される多能性幹細胞とは異なり、体内の組織に存在する細胞であり、本技術では患者自身の滑膜から採取して用いる。自己細胞であるため、免疫拒絶のリスクが低いことも特徴である。
- [用語4]
- 関節鏡:小さな切開部から関節内に挿入する内視鏡。膝関節内部を観察しながら診断や治療を行うために用いられる。本技術では、1回目の手術で半月板を縫合し、滑膜の一部を採取する際に使用される。また、採取した滑膜から培養した幹細胞を、2回目の手術で半月板周囲へ移植する際にも用いられる。
- [用語5]
- 半月板切除術:損傷した半月板の一部を切除する手術。半月板では、血流がある範囲が外縁の一部に限られており、血流の乏しい部位では縫合しても癒合しにくく、再断裂しやすいことが知られている。そのため、縫合術の適応とならない損傷に対しては、痛みや引っかかりなどの症状改善を目的として切除術が行われてきた。一方で、半月板のクッション機能が低下するため、長期的には変形性膝関節症の進行リスクが高まることが知られている。
- [用語6]
- 変形性膝関節症:関節軟骨や半月板がすり減ることで、関節に炎症や変形が生じる病気。現在、痛みを和らげる薬はあるものの、傷んだ関節の構造そのものを改善する治療法は確立されていない。進行すると痛みや機能障害が強くなり、人工膝関節置換術が必要となる場合がある。
- [用語7]
- 再生医療等製品:細胞や遺伝子などを用いて、病気やけがによって失われた組織や機能の修復・再生を目指す製品。医薬品医療機器等法に基づき承認される製品区分である。日本ではすでに複数の再生医療等製品が承認されているが、本製品は半月板損傷を対象とする再生医療等製品として国内初の承認例である。
- [用語8]
- 医師主導治験:医師が自ら計画し、実施する治験。新しい医薬品や再生医療等製品などについて、有効性や安全性を確認し、製造販売承認を目指す開発段階で行われる。本研究開発では、大学での基礎研究・臨床研究の成果をもとに医師主導治験が実施され、その後、企業による第Ⅲ相臨床試験を経て、製造販売承認につながった。
- [用語9]
- リスホルムスコア:膝の痛み、不安定感、腫れ、歩行、階段昇降などを点数化した評価指標。0~100点で評価し、点数が高いほど膝の状態が良好であることを示す。膝関節機能を総合的に評価するために用いられる。
- [用語10]
- Save the meniscus:2010年頃から提唱されている、半月板の温存を目的とした国際的なスローガン。「セイブ・ザ・メニスカス」は、セイビスカス®の名称の由来にもなっている。
研究者プロフィール
関矢 一郎 Ichiro Sekiya
東京科学大学 国際医工共創研究院 再生医療研究センター 教授
研究分野:再生医療、整形外科学