乱れた磁性体に隠れた「純粋な顔」を発見

2026年6月15日 公開

特別な条件下で複雑系が複雑でなくなることを証明

ポイント

  • スピングラスが特別な条件下で通常の磁石と同じ状態を示すことを厳密に証明。
  • ランダムさの間の相関を扱える数少ない厳密解析例を提示。
  • 機械学習や量子誤り訂正など幅広い分野への波及を期待。

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 総合研究院 基礎研究機構の西森秀稔特任教授は、相互作用にランダムさがある磁性体の模型であるスピングラス[用語1]について、これまで困難とされてきたランダムさの間の相関を含めた場合でも厳密に解析できる、新しい理論的枠組みを構築しました。

スピングラスの従来研究では、各場所のランダムさは互いに独立と仮定されていますが、現実の物質や量子デバイスでは「相関を持つランダムさ」が生じるという問題があります。そこで本研究では、相関を持つランダムさがあるスピングラスについて、近似に頼らず厳密に解析できる模型を提示しました。その上でこの模型では、本来は複雑性を生じるはずのランダムさが、ある条件下では物理量から消えてしまうことを示しました。具体的には、この模型の磁化や相関関数といった多くの物理量が、西森ライン[用語2]と呼ばれる温度とランダムさの間の特別な条件の下では、ランダムさのない通常の磁石(強磁性イジング模型[用語3])の物理量と完全に一致することを証明しました。これは例えるなら、ざらざらしたノイズだらけの画像をある特殊な方法で見ると、ノイズが消えてなめらかな写真が現れるような不思議な現象が、磁性体の世界で起きているということです。さらに、相転移点での振る舞いを支配する臨界指数[用語4]も通常の磁石とほとんど同じになることが導かれました。これは従来知られていたスピングラス模型の相転移とは異なる新しいタイプの臨界現象の存在を示唆しています。

本成果は、鉛筆と紙だけを用いた厳密な論証によって得られたものであり、数値シミュレーションや近似計算に頼らざるを得なかったこの分野に、新たな足場を築くものです。機械学習や量子誤り訂正など、ノイズの相関が問題となる広い領域への波及効果が期待されます。

本成果は、5月15日付(米国東部時間)の「Physical Review E 」誌に掲載されました。

背景

スピングラスは、スピン同士の相互作用が場所ごとに不規則に変化するため、無数の安定状態を持つ複雑な磁性体です。スピングラスの理論は、パリージらの平均場近似に基づく研究に対して2021年にノーベル物理学賞が授与されるなど[参考文献1]、統計物理学の中核的な役割を果たしてきました。一方で、平均場近似が適用できない現実の物質や有限次元の系での理解は不十分で、数値シミュレーションや近似計算に大きく依存してきたのが実情です。

さらに、従来の研究では、各場所のランダムさは互いに独立であると仮定するのが一般的でした。しかし現実の物質や量子デバイスでは、作製過程や微視的な相互作用の影響で、異なる場所のランダムさやノイズの間に相関が生じることが珍しくありません。とりわけ量子コンピュータの実現に向けては、量子ビットに作用するノイズの相関が、誤り訂正の性能を左右する本質的な要因として注目されています。

図1. スピンがランダムに凍結したスピングラス

ところが、こうした「相関を持つランダムさ」を含むスピングラスは、数学的にも物理的にも扱いが難しく、厳密な結果はほとんど得られていませんでした。本研究は、この未開拓の問題に対して、近似に頼らず厳密に解析できる具体的な模型を提示したものです。これは、相関を持つランダムさがあるスピングラスに関する一連の研究に続く、最新の成果でもあります [参考文献2, 3, 4]

研究成果

本研究では、ランダムな相互作用の間に特定の相関を持たせた、新しいイジング・スピングラス模型を導入しました。この模型には次の2つの大きな特徴があります。

1つ目の特徴は、ランダムさの強さを表すパラメータを変えることで、ランダムさのない通常の磁石(強磁性イジング模型)から、標準的なスピングラス(エドワーズ・アンダーソン模型)まで、なめらかにつなぐことができる点です(図2)。この相図からは、両極端の間の中間領域に、これまで知られていなかった豊かな世界が存在することが分かります。

2つ目の特徴は、「西森ライン」と呼ばれる、温度とランダムさの間の特別な条件の下で、磁化や相関関数、エネルギーなど多くの物理量が、ランダムさのない通常のイジング模型の物理量と厳密に一致することを証明した点です。これは、複雑さの原因であるはずのランダムさが、ある条件下では物理量からきれいに消えることを意味します。

図2. 本研究で導入した模型の相図。
右端(ランダムさなし)は通常の磁石、左端は標準的なスピングラスに対応する。両者の間の破線が西森ライン(NL)で、この線上で多くの物理量が通常の磁石(右端)と厳密に一致する。

特に注目すべきは比熱の振る舞いです。通常、磁石が相転移を起こす点では比熱が発散しますが、本模型の西森ライン上では、比熱が「比熱」ではなく「エネルギー」と対応する形で表されることが分かりました。その結果、比熱は相転移点でも有限のままになります。「ランダムさは多くの量から消えるが、比熱だけはランダムさのない問題との違いが残る」という一見奇妙な性質は、スピングラスの臨界現象を理解する新たな手がかりとなります。

さらに、相転移点での振る舞いを特徴づける臨界指数が、通常のイジング模型の臨界指数と一致することも導かれました。これは、スピングラスの相転移としては従来知られていなかった新しいタイプの臨界現象の存在を示唆するもので、今後の理論的・数値的検証が期待されます。

これらの結果は、いずれも数値計算や近似ではなく、ゲージ対称性と呼ばれる数学的な性質を巧みに用いた厳密な論証によって得られたものです。「同じになる物理量」と「違いが残る物理量」の両方を厳密に示した点が、本研究の重要な特徴です。

社会的インパクト

本研究は基礎物理学の成果ですが、その射程は広く現代技術の根幹にも及びます。現実の複雑なシステムでは、ランダムさやノイズが本質的な役割を果たし、しかもそれらは独立ではなく互いに相関している場合がしばしばあるためです。たとえば機械学習で扱うデータには偏りや相関が含まれることが普通であり、その理論的解析にはスピングラスと共通する数学的構造が現れることが知られています。

また、量子コンピュータの実現に不可欠な量子誤り訂正には、スピングラス理論が応用されてきました。量子ビットに作用するノイズの相関は、誤り訂正の精度を決定づける重要因子として、近年改めて注目されています。本研究はその精度向上に向けた第一歩として、相関を持つノイズを厳密に扱える数学的枠組みを提供します。

本研究は、相関を持つランダムさを厳密に扱える数少ない例だと言えます。複雑なノイズや不規則性を含むシステムを理解するための「基準点」として、情報科学、機械学習、量子技術といった広範な分野への波及が期待されます。

今後の展開

今後は、本研究で得られた厳密な結果を出発点として、相関を持つランダムさが相転移や臨界現象に与える影響を、より広いクラスの模型について体系的に調べることが課題となります。

特に、本模型で見出された「通常の磁石と同じ臨界指数」は、これまでスピングラスの相転移として知られていた臨界現象とは異なるため、新しい普遍性クラスの確立に向けた数値シミュレーションや繰り込み群解析との比較による相転移の統計物理学の発展が期待されます。

さらに、機械学習における統計的推定理論との接続を進めることで、ノイズに相関を含む現実的な状況下でのデータ解析法や新しいアルゴリズムの開発につながる可能性があります。

参考文献

[参考文献2]
Hidetoshi Nishimori, Anomalous distribution of magnetization in an Ising spin glass with correlated disorder, Physical Review E 110, 064108 (2024)
[参考文献3]
Hidetoshi Nishimori, Instability of the ferromagnetic phase under random fields in an Ising spin glass with correlated disorder, Physical Review E 111, 044109 (2025)
[参考文献4]
Hidetoshi Nishimori, Masayuki Ohzeki, and Manaka Okuyama, Temperature chaos as a logical consequence of the reentrant transition in spin glasses, Physical Review E 112, 044140

用語説明

[用語1]
スピングラス:通常の磁石と異なり、原子の持つ微小磁石(スピン)がランダムな方向に凍結した磁性体。相互作用の不規則性により、無数の安定状態を持つ。
[用語2]
西森ライン:スピングラスの性質を厳密に解析できるよう設定された、温度とランダムさの間の特別な条件を表す線。
[用語3]
強磁性イジング模型:磁石の最も基本的な模型。各点に上向きか下向きのスピンを置き、隣り合うスピン同士の相互作用が場所によらず一定になっている。相転移現象を理解するための統計物理学の基礎。
[用語4]
臨界指数:物質が相転移を起こす臨界点の近くで、物理量がどのような特異な振る舞いを示すかを特徴づける数値。同じ臨界指数を持つ系は同一の「普遍性クラス」に分類される。

論文情報

掲載誌:
Physical Review E
タイトル:
Exact mapping of a spin glass with correlated disorder to the pure Ising model
著者:
Hidetoshi Nishimori

研究者プロフィール

西森 秀稔 Hidetoshi Nishimori

東京科学大学 総合研究院 基礎研究機構 特任教授
研究分野:統計物理学

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