ポイント
- リンパ節転移のない早期胃がんは内視鏡的切除で治療可能ですが、治療前にリンパ節転移リスクを正確に評価することが難しく、多くの患者が不要な外科手術を受けています。
- 本研究では、血液中のDNAメチル化レベルを解析し、治療前に早期胃がんのリンパ節転移リスクを予測できる分子診断モデルを開発しました。
- このモデルにより、内視鏡的切除の適応を高精度に判定でき、早期胃がんの個別化医療の実現が期待されます。
概要
東京科学大学(Science Tokyo)大学院医歯学総合研究科 消化管外科学分野の奥野圭祐助教、徳永正則准教授、絹笠祐介教授らの研究チームは、早期胃がんのリンパ節転移リスクを治療前に予測するリキッドバイオプシー[用語1]モデルを開発しました。
早期胃がんのうちリンパ節転移を認めるものは20%未満であり、リンパ節転移のない早期胃がんは外科手術ではなく内視鏡的切除で治療することが可能です。しかし、治療前にリンパ節転移リスクを正確に評価することが難しいため、実際には多くの早期胃がん患者が侵襲的な外科手術を受けています。
本研究では、血液中に含まれるDNAのメチル化[用語2]レベルを解析することで、早期胃がんのリンパ節転移を予測する分子診断モデルを開発しました。これにより、内視鏡的切除と外科手術の治療選択をより正確に行えるようになることが期待されます。
本成果は、2025年10月18日付(英国時間)の「United European Gastroenterology Journal」誌に掲載されました。
背景
早期胃がんとは、胃がんの中でもがんの深達度が粘膜または粘膜下層にとどまるものを指します。リンパ節転移のない早期胃がんは、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)などの内視鏡的切除で治療が可能です。しかし、約10~20%の症例ではリンパ節転移を伴い、外科的な胃切除術とリンパ節郭清が必要となります。
現行の診断法では、治療開始前にリンパ節転移リスクを正確に評価・診断することが難しいため、結果として多くの早期胃がん患者が外科手術などの不要で侵襲的な治療を受けています。治療開始前に早期胃がんのリンパ節転移リスクを正確に評価・診断できれば、不要な治療を回避し、患者一人ひとりに最適な治療を提供する「個別化医療」の実現につながります。さらに、これにより治療後の生活の質(QOL)の向上も期待されます。
近年、さまざまな分子バイオマーカーを用いた早期胃がんのリンパ節転移リスク予測に関する研究が世界中で進められています。しかし、多くの研究では手術で切除した組織検体を使用しており、治療開始前に予測が可能かどうかは明らかにされていませんでした。そのため、実際に臨床現場で利用されている分子バイオマーカーは存在していません。
研究成果
本研究グループは、早期胃がん患者から治療開始前に採取した血液検体を用いてバイオマーカー開発を行い、治療開始前にリンパ節転移リスクを予測できるリキッドバイオプシーモデルを開発しました。本研究は従来研究の課題を克服し、より臨床応用に近い形を目指したものであり、本成果により開発したリキッドバイオプシーモデルを用いた早期胃がんの個別化医療への応用が期待されます。
本研究では、早期胃がんのDNAメチル化データを網羅的に解析し、リンパ節転移を伴う早期胃がんに特徴的なDNAメチル化異常を6領域同定しました。これら6領域をバイオマーカーとして、そのDNAメチル化レベルを、当院で胃切除術を受けた早期胃がん患者の外科手術検体を用い、メチレーションPCR法で測定しました。
得られたメチル化レベルと術前に撮影したCT画像所見を組み合わせることで、早期胃がんのリンパ節転移を予測するモデルを開発しました。開発したモデルはArea under the curve(AUC)[用語3]0.84を示し、統計学的な解析においてリンパ節転移の独立予測因子であることが確認されました。
さらに、このモデルをリキッドバイオプシーに応用するため、治療開始前に採取した血液検体を用いて検証を行いました。その結果、このモデルから算出されるスコアは、リンパ節転移陽性の早期胃がん患者で有意に高く、AUC 0.86、感度70%、特異度95%でリンパ節転移を予測できることが示されました(図1)。
最終的に、開発したリキッドバイオプシーモデルを用いることで、現在外科的胃切除術およびリンパ節郭清を受けている早期胃がん患者の約44%が外科的手術を回避し、内視鏡的切除による治療で対応可能となる可能性が示唆されました。
社会的インパクト
本研究では、早期胃がん患者から治療開始前に採取した血液検体中のDNAメチル化レベルを解析することで、リンパ節転移リスクを正確に予測できるリキッドバイオプシーモデルを開発しました。
本研究成果により、このリキッドバイオプシーモデルを用いた早期胃がんの個別化医療の実現が期待されます。
今後の展開
今後の研究では、臨床応用に向けて国内外の複数施設で収集した臨床検体を用い、モデルの検証を行う予定です。
また、本研究では、臨床でリンパ節転移リスクが高いと診断され外科手術を受けた患者を対象としており、リンパ節転移リスクが低いと診断され内視鏡的切除を受けた患者は含まれていません。今後は、実際に内視鏡的切除を受けた早期胃がん患者においても、開発した分子診断モデルが良好に機能するかどうかを検証する予定です。
付記
本研究は、主に以下の研究助成の支援を受けて実施されました。
- 日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP23K19499、JP24K18571)
- 公益財団法人 小林がん学術振興会 2024年度研究助成
用語説明
- [用語1]
- リキッドバイオプシー:血液や体液などに含まれる成分の遺伝子変異等を検出する解析技術のことで、血液や体液を用いてがんの診断や治療に必要な情報を取得することができ、近年注目されている。
- [用語2]
- DNAメチル化:DNAの一部に「メチル基」という小さな化学物質が付くことで、遺伝子の働きを調節する仕組みで、遺伝子の配列そのものを変えずに、スイッチのように「オン・オフ」を切り替える役割を持つ。近年、がんや老化、生活習慣病などの研究で注目されている。
- [用語3]
- Area under the curve (AUC):バイオマーカーなどを用いたモデルの評価指標として用いられる値で、0.0~1.0の値をとる。値が1.0に近いほどモデルの判別能力が高いことを示す。
論文情報
- 掲載誌:
- United European Gastroenterology Journal
- タイトル:
- Cell-free DNA methylation-based liquid biopsy assay to identify lymph node metastasis in T1 gastric cancer
- 著者:
- Keisuke Okuno, Adwait Joshi, Shuichi Watanabe, Sakiko Oba, Kenta Yao, Toshiro Tanioka, Masanori Tokunaga, Daisuke Ban, Yusuke Kinugasa
- DOI:
- 10.1002/ueg2.70132
研究者プロフィール
奥野 圭祐 Keisuke OKUNO
東京科学大学 大学院医歯学総合研究科 消化管外科学分野 助教
研究分野:消化器癌の分子診断バイオマーカー開発、消化器癌の低侵襲治療