ポイント
- 天然Si-MOS 量子ビットにおいて、新しい量子ビット制御方式を開発。
- マイクロ波の連続照射と位相制御によりコヒーレンス時間とゲート忠実度を大幅に向上。
- 大規模量子プロセッサの実現を加速し、量子コンピュータの社会実装に大きく貢献。
概要
東京科学大学(Science Tokyo)工学院 電気電子系の小寺哲夫准教授、久野拓馬博士後期課程学生、株式会社日立製作所らのグループは、天然Si MOS量子ビット[用語1]に対して、位相変調マイクロ波によるConcatenated Continuous Drive(CCD)方式[用語2]を適用し、環境雑音に強い量子ビット制御を実現しました。
天然シリコンには最も存在比の高い28Si以外に核スピンを持つ29Si同位体[用語3]も存在し、これに起因する磁気雑音が量子ビットのコヒーレンスを著しく低下させていました。本研究では連続マイクロ波駆動とその位相変調制御で2重ドレスト状態を形成することで量子状態を安定化し、コヒーレンス時間[用語4]を0.14 µsから40.7 µsへと大きく向上させました。また、ランダマイズド・ベンチマーキング[用語5]によって単一量子ビットゲート忠実度[用語6]が99%以上に到達することを示し、天然シリコンでも高い量子ビット制御性能を達成できることを明らかにしました。これらの成果は、既存CMOS技術と互換性の高いSi-MOSプロセスを用いた大規模量子コンピュータの実現に向けて重要な進展となります。
本成果は、2月19日付(現地時間)の「npj Quantum Information」誌に掲載されました。
背景
量子コンピュータの実用化に向けて、量子ビットを多数集積し、安定して動作させる技術が重要です。シリコンを使った量子ビットは、既存の半導体製造プロセスを活用できることから、大規模化に適した方式として注目されています。一方で、一般的な天然シリコン材料には最も存在比の高い28Si以外に核スピンを持つ29Si同位体が含まれ、これが磁気雑音となって量子ビットのコヒーレンスを低下させることが課題でした[参考文献1]。量子ビットは重ね合わせ状態を保ちながら計算を進めますが、コヒーレンス時間が短いと途中で状態が崩れ、計算が成り立ちません。コヒーレンスが長いほど、多くの操作を安定して実行でき、量子計算の規模拡大や高精度化に直結します。29Si同位体を減らしたシリコン材料を用いる方法が検討されてきましたが、材料の確保や量産プロセスへの導入に課題が存在します。本研究は材料の同位体純化によるアプローチではなく、量子ビットの制御に工夫を加える方法でノイズに対する堅牢性を向上することを目指しました。
研究成果
本研究では、マイクロ波連続駆動と位相変調を組み合わせた Concatenated Continuous Drive(CCD)方式[参考文献2]を天然Si-MOS量子ビットへ適用し、環境ノイズに強い量子ビット制御を実現しました。本技術では、まず量子ビットに電子スピン操作用のマイクロ波を連続的に印加し、ノイズの影響を受けにくい状態(ドレスト状態)を作ります。ドレスト状態では外部からのノイズの影響が平均化されて誤差が蓄積しにくくなります。さらに、マイクロ波の位相を変調制御することで、より安定した状態(2重ドレスト状態)を形成します。その結果、29Si同位体由来の磁気雑音に加え、マイクロ波強度の変動といった制御系のノイズの影響も受けにくくなり、量子状態を長く安定して保つことが可能となります。加えて、位相変調制御による新しいスピン操作方式を開発し、量子計算に必要な基本操作を高い精度で実行できることを確認しました。
本手法の有効性を評価した結果、以下の成果を得ました。
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コヒーレンス時間の大幅な向上
コヒーレンス時間が0.14µsから40.7µsへと約280倍に向上。 -
高忠実度な量子操作[用語7]の達成
単一量子ビットのゲート忠実度を95%から99.1%に向上。(本方式導入前後の比較)
量子誤り訂正[用語8]の実現には99%超の単一量子ビットゲート忠実度が必要とされていますが、本成果では天然Si-MOS量子ビットでこの水準に達する量子ビット操作精度を実現しました。
社会的インパクト
本成果は天然Si-MOS技術を用いた量子コンピュータ開発において非常に大きな意義を持ちます。天然シリコンをそのまま利用できるため、29Si同位体を減らす工程を必要とせず、製造コストと生産性の観点で大きな優位性があります。また、既存のCMOS産業インフラを活用できるため、量子技術の大規模化・商用化を大きく加速する可能性があります。本研究で見出した雑音に強い量子制御技術は、センサーなど他分野にも応用でき、量子技術全体の発展に寄与します。
今後の展開
今後は、本手法をより大規模な量子デバイスへ適用し、複数量子ビット系におけるノイズ抑制効果や操作精度の向上を検証していきます。また、量子誤り訂正と組み合わせた実用的な量子計算アーキテクチャへの統合を進めることで、商用量子コンピュータに必要な高い信頼性と高精度制御を実現する基盤技術の確立を目指します。
付記
本研究の一部は、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業 目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター: 北川勝浩)」の研究開発プロジェクト「大規模集積シリコン量子コンピュータの研究開発(プロジェクトマネージャー: 水野弘之)グラント番号 JPMJMS2065」および日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(No. 23H05455)による助成を受けて行われました。
本研究は本学、株式会社日立製作所、日立ケンブリッジラボ、国立大学法人東京大学、国立研究開発法人理化学研究所による共同研究として行われました。
参考文献
- [参考文献1]
- Kawakami, E. et al.:Nat. Nanotech. 9, 666–670 (2014).
- [参考文献2]
- Ramsay, A. J. et al.:Nat. Commun. 14, 461 (2023).
用語説明
- [用語1]
- Si-MOS(Silicon Metal–Oxide–Semiconductor)量子ビット:量子コンピュータを構成する最小の情報単位である量子ビットを、シリコン基板上に形成したMOS 構造に閉じ込めた単一電子のスピン状態として実装したもの。
- [用語2]
- Concatenated Continuous Drive(CCD)方式:2重ドレスト状態を形成し、外部雑音の影響を平均化して量子状態を安定化させる手法。
- [用語3]
- 29Si同位体:核スピン(1/2)を持ち、電子スピン量子ビットに磁気ゆらぎを与える主要なノイズ源となるシリコンの同位体。天然シリコン中に約4.7%含まれる。
- [用語4]
- コヒーレンス時間:量子ビットが量子状態を保持し続けられる時間を表す指標。
- [用語5]
- ランダマイズド・ベンチマーキング:多数のランダム化された量子ゲート列を用いて、量子ゲート操作の忠実度を統計的に評価する測定手法。
- [用語6]
- 単一量子ビットゲート忠実度:理想的な量子ゲート操作と実際の操作がどれだけ一致しているかを示す精度指標。高いほど誤りの少ない量子操作が可能であることを意味する。
- [用語7]
- 量子操作:マイクロ波などによって量子ビットの状態を意図的に変化させる操作。複数の量子操作を組み合わせることで量子計算が実行される。
- [用語8]
- 量子誤り訂正:量子ビットの誤りを冗長符号化と検出・補正によって抑制し、量子計算を可能にする手法。
論文情報
- 掲載誌:
- npj Quantum Information
- タイトル:
- Robust spin-qubit control in a natural Si-MOS quantum dot using phase modulation
- 著者:
- Takuma Kuno, Takeru Utsugi, Andrew J. Ramsay, Normann Mertig, Noriyuki Lee, Itaru Yanagi, Toshiyuki Mine, Nobuhiro Kusuno, Raisei Mizokuchi, Takashi Nakajima, Shinichi Saito, Digh Hisamoto, Ryuta Tsuchiya, Jun Yoneda, Tetsuo Kodera and Hiroyuki Mizuno
研究者プロフィール
小寺 哲夫 Tetsuo Kodera
東京科学大学 工学院 電気電子系 准教授
研究分野:半導体量子ビット
久野 拓馬 Takuma Kuno
東京科学大学 工学院 電気電子系 博士後期課程学生
研究分野:半導体量子ビット