どんな研究?
私たちの体は数兆個もの細胞からできていますが、がんにかかると、その腫瘍の中には驚くほど多様な個性を持った細胞たちが混在します。これを「細胞の異質性(ヘテロジェニティ)」と呼びます。
従来は、患者さんのがんの進行を予測しようとしたとき、腫瘍全体をすりつぶして「平均値」として分析するバルク解析という手法が主流でした。しかし、これは例えるなら「フルーツスムージーを飲んで、どの果物の味が悪かったかを当てる」ようなものです。病気の進行に大きく関わる「一部の細胞のわずかな変化」や「細胞同士の関係」は見過ごされてしまいがちでした。
一方、細胞を1つずつ調べる「1細胞解析」も登場しましたが、コストが高く、多くの患者さんのデータを結びつけることは難しいという課題がありました。そこで東京科学大学(Science Tokyo)の島村徹平(しまむら・てっぺい)教授、博士後期課程2年の水越周良(みずこし・ちから)さんらを中心とする研究チームは、最新のAI技術と統計学を組み合わせた新手法「scSurv(エスシー・サーブ)」を開発しました。
この手法は、あらかじめ1細胞のデータから「細胞の種類や状態の特徴」を学習したAIが、バルクデータ(スムージー)を見て「どのような細胞がどれくらい含まれているか」を推定し、さらにそれぞれの細胞が患者さんの生存にどの程度影響しているかを計算する、という画期的なものです。
ここが重要
この研究のポイントは、細胞をグループではなく「1つひとつ」の単位で、生存への影響(ハザード:病気が悪化・死亡するリスクの強さ)として数値化した点にあります。本来、細胞の働きは1つずつ異なります。これを平均してしまうと重要な違いが従来の解析ではそれを直接扱うことができなかったため、「がん細胞」「免疫細胞」といった大まかな分類での評価にとどまっていました。しかし同じ種類の細胞でも、1つひとつの細胞の働きは大きく異なります。細胞ごとの違いが見えなくなってしまいます。scSurvは、各細胞の状態そのものからAIを用いてリスクを推定することで、今までは見逃されてきた1つの細胞ごとの生存への影響を定量化しました。
この手法により、「どの細胞が危険か」「どこが危険か」「どんな病気に応用できるか」という3つの点で新しい知見が得られました。
(1)「悪化のサイン」を見逃さない: 皮膚がんの一種であるメラノーマで、生存率に影響する特定の免疫細胞や遺伝子を1細胞レベルで特定しました。
(2)組織の「危険地帯」を可視化: 腎臓がんのデータに応用し、腫瘍組織の中のどの場所が最も生存に悪影響を与えているかを示す「空間ハザードマップ」を作成しました。これは、将来の精密な手術や治療に役立つ情報です。
(3)がん以外にも使える: 新型コロナウイルス(COVID-19)の患者さんのデータにも応用し、重症化に関わる細胞を特定できることを示しました。このことは、この手法がさまざまな病気の解析に応用できる可能性を示しています。
今後の展望
この技術が普及すれば、患者ごとに腫瘍の中の「原因となる細胞」を見つけ出し、それを狙った治療を選ぶ「個別化医療」が大きく進むと期待されます。
また、高価な1細胞解析を全員に行わなくても、既存の蓄積されたバルクデータと組み合わせることで、より詳細な解析が可能になります。将来的には、新しい治療標的の発見や、感染症の重症化予測など、さまざまな分野で活用されることが期待されています。
研究者のひとこと
細胞の「個性」を理解することは、病気の本質に迫るうえで欠かせません。しかしこれまでは、その多様性を患者さんの予後と直接結びつけることは困難でした。「scSurv」は、細胞レベルの微細な情報と臨床データをつなぐ架け橋となり、病気をこれまでよりも精密に捉えることを可能にします。この技術が、個々の患者さんに最適な治療を届ける新しい医療の基盤になることを願っています。
(島村徹平:東京科学大学 総合研究院 難治疾患研究所 計算システム生物学分野 教授)
がんの中には多様な細胞が存在しますが、実際にはどの細胞が人の生存に関連するのでしょうか。例えばがんの診断を行う際に、予後に影響する悪い細胞が確認されれば、他の患者さんとは異なる治療をすることで、生存率を上げることができるかもしれません。本研究では、AIを使って1細胞という細かい解像度で、どの細胞が生存に関わるのかを定量的に評価できるようにしました。
この手法によって、これまで見逃されてきた細胞の役割が明らかになり、新しい治療標的や診断方法の発見につながることが期待されます。
(水越周良:東京科学大学 総合研究院 難治疾患研究所 計算システム生物学分野 大学院生)
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