東京科学大学(Science Tokyo)大学院修士課程を2026年3月に修了したアーティスト・ファッションデザイナーの津野青嵐(つの せいらん)さんが、2026年5月、ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)の特別展「Costume Art」に作品を出品し、さらに同館への作品収蔵が決まりました。世界最高峰の美術館の一つであるMETへの収蔵は、アーティストにとって大きな栄誉です。
津野さんは、精神科看護師として働きながら創作活動を続け、自身の身体経験や精神医療の現場での出会いをもとに独自の作品世界を築いてきました。その独創的な表現世界を育んだ背景には、Science Tokyo未来社会創成研究院DLab+ディレクター/リベラルアーツ研究教育院の伊藤亜紗教授との出会いがありました。伊藤教授との対話は、津野さんが自身の身体経験を研究と表現へと昇華する大きな転機となったそうです。
世界へ羽ばたくきっかけとなった作品のこと、身体をテーマに表現を続ける理由、そしてScience Tokyoで得た学びについて、学外共創拠点「もしも:まちと未来の実験室」にて津野さんにお話を伺いました。
特別展「Costume Art」とは
ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)で2026年5月から開催されている特別展「Costume Art」は、「芸術の歴史は、同時に衣服の歴史でもある」という視点から、衣服と身体、芸術の関係を探る大規模企画展です。展覧会を企画したコスチューム・インスティテュートの主任キュレーター、アンドリュー・ボルトン氏は、衣服を単なる装飾やファッションではなく、人間の身体の記憶や存在を映し出す表現として位置づけています。会場では、妊娠した身体、肥満の身体、障がいのある身体など、これまで十分に語られてこなかった多様な身体のあり方にも光が当てられ、「誰のための身体なのか」「理想の身体とは何か」という問いが投げかけられています。
津野青嵐さんの作品も、その文脈の中で展示されています。精神科看護師としての経験や、自身の身体との対話から生まれた立体作品は、3Dペンによって描かれた繊細で有機的なフォルムが特徴です。作品は、強い不安や孤独を象徴するムンクの《叫び》の上に展示されています。津野さんの作品は、身体や精神の揺らぎを表現しながらも、苦しみを乗り越えた先にある解放感や安らぎを感じさせるものとして、多くの来場者の関心を集めています。
インタビュー: 津野さんが語る「身体」と「表現」の原点
― まずは、メトロポリタン美術館での展示・収蔵決定、おめでとうございます。率直なお気持ちをお聞かせください。
津野さん:ありがとうございます。今でも信じられないです。2025年の秋に、メトロポリタン美術館のファッション部門(コスチューム・インスティテュート)の主任キュレーターのアンドリュー・ボルトンさんから、特別展に向けた協力依頼についてご連絡をいただきました。METはもともと憧れの場所でしたが、まさかこのタイミングで依頼がくるとは思ってなかったのでとても驚きました。自分が作り続けていた作品たちが海を越えて届いていたこと、そしてMETという特別な場所で展示・収蔵していただけることを、本当に嬉しく感じています。
― 今回展示されている作品には、どのような思いが込められているのでしょうか。
津野さん:「思いを込める」と言われると、少し答えにくいのですが、「どうにかして服を作りたかった」というのが正直なところです。この作品を作ったのは、ファッションスクールに通っていた頃です。当時の私は頭飾りばかり作っていて、服を作ったことがありませんでした。ITSというヨーロッパのファッションコンペに挑戦するにあたり、相談していた講師から「なぜ頭飾りばかりで、服を作らないのか」と問われたことがありました。そのとき、自分でも明確な答えがあるわけではなかったので、「じゃあ作ってみるか」と試しに作ってみたのがきっかけです。ただ、布を用いて縫製するような従来の服作りには強い苦手意識があり、それ以外の方法を探していました。そうした中で偶然、3Dペンという道具と素材に出会い、少しずつ自分なりの技法を編み出していきました。そこから、今回展示されている《Out of Body, In Dress》シリーズが生まれました。今振り返ると、この作品を作ったことが、それまで無意識のうちに避けてきた「身体」というテーマに触れる最初のきっかけになったのだと思います。
自分の身体にワクワクする感覚を持てた、新しい視点
― もともと身体への関心はどこから生まれたのでしょうか。
津野さん:強く自覚したのは、伊藤ゼミに入ってからです。ただ、私は子どもの頃から太っていたので、自分の体との付き合い方には長年悩んできました。10代に入ると、太っていることで社会から向けられるまなざしの厳しさを感じるようになり、ダイエットを含め、いろいろな対処をしてきました。そうしたまなざしに無防備でいることの悲しさに耐えられず、かなり周囲との関係を拗らせていた時期もあります。他者が私を見て「デブ」と言う前に、自分から先回りして、相手が言う余地を奪うようなことをしていました。例えば、街で悪口を言われ続ける自虐的な漫画を描いて周囲に見せたり、メイクや衣装で全身を覆うような仮装をしたり、多岐にわたります。
― Science Tokyoへの進学を決めたきっかけを教えてください。
津野さん:「coconogacco(ここのがっこう)」を卒業したあと、これから自分がどのように活動していくのかを考える中で、いわゆる産業としてのファッションにはうまく乗れないだろうという予感がありました。もともと精神科看護師として働く中で考えてきたことと、coconogaccoで学んだクリエーションの経験が重なり、自分のように異なる領域のあいだにいるからこそ見えるものがあるのではないかと思うようになりました。その頃、coconogaccoの講評にも来られていた伊藤亜紗先生が、障害のある人の経験を美学の観点から研究されていることを知り、自分が学びたいことにとても近いと感じました。自分の制作や関心を、もう少し時間をかけて考え、言葉にしてみたいと思ったことが、東京科学大学大学院への進学につながりました。
― 伊藤研究室ではどのような学びがありましたか。
津野さん:一番大きかったのは、自分の体について、「どう見られるか」ではなく、「どう感じるか」「何が起きているのか」という視点に出会えたことです。私は長いあいだ、自分の体を「どう見られるか」という軸で捉えてきました。でもそれは、常に他人の体との比較に支えられているので、終わりがありません。鏡を見るたびにため息をつくような、切ない時間でもありました。一方で、「どう感じるか」「何が起きているのか」という視点には、正解や平均のようなものがありません。どんなに奇妙な感覚でも、それをよく観察してみると思いがけない発見がある。その視点に出会って初めて、自分の体に対して少しワクワクするような感覚を持てたのだと思います。そうした学びの中で、自分の研究テーマも、執筆も、作品制作も、自然と身体の経験を扱うものになっていきました。伊藤先生は、答えを与えるというより、問いを投げかけてくださる方でした。先生との対話や研究を通して、自分の体を比較や評価の対象としてではなく、まるでミステリー小説のように捉えられるようになっていきました。
伊藤先生との対談で確認した、身体を考えることの面白さ
― 伊藤先生の著書『体の居場所をつくる』(朝日出版社)の重版記念イベントでは、ゲストとして伊藤先生と対談されたそうですが、その際に印象に残ったことを教えてください。
津野さん:伊藤先生の研究を通して、私は初めて自分の体に出会う経験をしました。特に、『体の居場所をつくる』の第1章に登場する、摂食障害の経験をもつ方へのインタビューは大きなきっかけでした。その方が、自分の体を支配してきたことや、その体からの逆襲に苦しんできたこと、それでももう一度体と出会い、和解したいと語っていることに、とても親近感を覚えました。体の声を聞くことや、体を感じることは、決して当たり前ではない。でも、それでももう一度感じたい、出会い直したいと思っていいんだと。その語りを読んで、伊藤先生とお話しする中で、だんだん自分の体にも命が吹き込まれていくような感覚がありました。「あ、私にも体があったんだ」と気づくような感覚です。
そこから、自分の体に対する親しみや愛おしさのようなものが生まれる一方で、これまで自分の体にしてきたことへの罪悪感のようなものも湧いてきました。どうしたらその体と関係を修復できるのか、どうやって罪滅ぼしをすればいいのか。そういう思いから、服を作ったり、体について書いたりすることが、自分にとって和解のための試みになっていきました。ただ、そうしたからといって都合よく関係が変わることはありませんでした。体を大事にしたいと思いながらも、体のことを忘れて、今の快楽に流れてしまいたくなる時間は、今でもやってきます。体にとってよくないとわかっていても、そちらへ向かってしまいます。私はそういう時間や性質を、「妖怪タイム」や「妖怪性」と呼んでいます。体と和解したいという気持ちと、体を忘れてしまいたいという気持ちは、一見すると真逆のように見えます。でも、私の中ではどちらも同じ体との関係から生まれているものです。伊藤先生との対談では、その両方を含めて体を考えることの面白さを、改めて確認できたように思います。
作品制作の大きな力になった祖母の存在
― 修士論文ではどのような研究に取り組まれたのでしょうか。
津野さん:修士論文のタイトルは『「ファット」な身体との付き合い方――衣服の共同制作を手がかりに――』です。自分の身体を「太っている」と感じてきた人たちが、どのような身体感覚を持ち、どのように自分の身体と付き合っているのかを探る研究でした。当事者研究とアートベース・リサーチの考え方を手がかりに、協力者の方々と一緒に服を作りながら、言葉だけでは捉えにくい身体の感覚を探っていきました。医学的な「肥満」ではなく「ファット」という言葉を用いたのは、体重や数値だけでは語りきれない、それぞれの身体の経験に目を向けたいと考えたからです。研究方法そのものを手探りで作っていく難しさもありましたが、付き合いにくさを抱えた身体と、どうすれば共にあれるのかを、協力者の方々と考え続けるとても大切な時間になりました。
― 作品制作では、お祖母さまの存在も大きかったそうですね。
津野さん:はい。私は昔から無類のおばあちゃん子でした。幼い頃から祖母の姿に強く惹かれていて、似顔絵を描いたり、人形を作ったりしていました。年を重ねるにつれて、祖母の皮膚のたるみやしわ、身体の動き方にもますます惹かれるようになりました。声や匂い、話し方、語る内容も含めて、祖母の存在そのものが、私にとって特別な魅力を持っています。ずっとミューズのような存在だったので、何かいい服ができたら祖母に着てもらいたいと思うのは、とても自然なことでした。3Dペンのドレスも、祖母のために作ったものではありませんが、ごく自然な流れで着てもらいました。
研究テーマに出会い、私自身の体の感覚についてリサーチする中で、自分の脂肪細胞をイメージした人形を作ったことがあります。それを見た祖母が「これは私ね」と言ったことがありました。そのとき、自分が考えていた身体の問題や愛着、記憶といったものが、祖母との関係と深く結びついていることに改めて気づかされました。祖母と過ごす時間は今でも毎日新鮮で、いつも、私にとって一番尊い時間です。
長い長い問いの旅は、私にとって大きな宝
― 北海道・浦河町の「べてるの家」での看護師としての経験も大きな影響を与えたそうですね。
津野さん:とても大きかったです。私は大学院に進学する前、北海道浦河町に移住し、精神障害などの経験をもつ人たちが活動する「べてるの家」で看護師として働いていました。そこでは、自分自身の生活上の困りごとを仲間と一緒に研究する「当事者研究」が行われています。それまで私は、ルールの厳しい病院での勤務経験が長かったので、べてるの家はとてもスリリングで、同時にのびのびとした場所でした。共同生活や一緒に働く方々の中で、自分の体験を語りあう中で、それぞれの感覚にしっくりくるような言葉や助け方が生まれていきます。その過程は、まるで仲間たちと一緒に、自分のためのオーダーメイドの服を作ってはリメイクし、永遠に繕い続けていくようにも見えました。一方で事前に本で読んで想像していた理念や方法だけでは通用しない場面も多くありました。言葉にすることで開かれる一方で、すべてが言葉に回収されていくことで溢れ落ちてしまうこと、その怖さも同時に感じました。だからこそ、日々の出来事に私自身も戸惑いながら、皆さんと一緒に悩み、考えながら働いていました。この経験は、その後の研究や作品制作にも大きくつながっています。
―今回の展示では、ムンクの《叫び》の上に作品が展示されています。それを見ていると、不安や抑圧を象徴する《叫び》の先に、身体が解放されていく姿が表現されているようにも感じられました。
津野さん:事前に、METの収蔵作品とペアで展示されるとは聞いていたので、自分の作品が何と並ぶのか気になっていました。現地でそれがムンクの《叫び》だと知り、驚くと同時に「なぜ?」と少し笑ってしまいました。その後、キュレーターのボルトンさんのテキストを読んで、ムンクの精神的な不安や病の経験と、私自身の看護師としての経験を重ねて捉えてくださっているのだとわかりました。ただ、この作品は、最初から明確なコンセプトがあって制作したものではありません。先ほど話したように「服を作りたい」という衝動から始まり、当時の偶然が重なって生まれたものです。制作時に精神医療の経験を直接意識していたわけではないので、作品ができた後に振り返ることでしか説明できない部分があります。
私自身としては、長いあいだ抱えていた、自分の体が自分のものではないような感覚や、体から逃げ出したいという感覚が、作品に表れているのだと思います。重たい体からふっと抜け出してどこかへ飛んでいってしまうようなイメージに、私自身も支えられてきました。でも、作品がムンクの《叫び》と並び、ボルトンさんのテキストを読むことで、そうした感覚が特定の個人のものではなく、心身が自分の思い通りにならないという多くの人が経験する感覚とも通じるように思えてきました。自分では意図していなかった意味が、展示の文脈によって立ち上がったように感じています。
―最後に、Science Tokyoの学生や卒業生へのメッセージをお願いします。
津野さん:Science Tokyoには、理工学や医歯学だけでなく、人文学や社会科学の視点を取り入れながら、分野を横断して学べる環境があります。私は看護師として働きながら大学院で学びました。社会人学生にとって大変な授業もありましたが、休学も含め、自分のペースで学ぶことができ、非常に贅沢な時間でした。同じ社会・人間科学コースの中でも、まったく異なる分野を研究している方々と交流する機会があり、バックグラウンドの違う方に自分の研究ややりたいことを伝える力も身についたと思います。
大学院で学ぶ中で、個人的な経験の中だけで考えてきたことが、近い問いを探求してきた多くの先人たちの言葉や、自分では出会うことのなかった学問領域とつながっていきました。修士論文は提出しましたが、正直これで終わりにできないという悔しさも残りました。気づけば、長い長い問いの旅に乗せられているように思います。それは私にとって、とても大きな宝です。学生や卒業生の皆さんにも、終わらない問いに、どうか焦らず、末長く付き合ってみてほしいと思います。
プロフィール
津野 青嵐 Seiran Tsuno
アーティスト、ファッションデサイナー、看護師
1990年生まれ。看護大学卒業後、精神科病院勤務と並行して山縣良和主宰のファッションスクールcoconogaccoで学ぶ。2018年欧州最大のファッションコンペ『ITS』のファイナリストに選出された3Dペンを使用したドレスのコレクションが注目される。2019年より北海道にある精神障害当事者等の地域活動拠点「浦河べてるの家」で看護師として勤務。今春、東京科学大学大学院修士課程修了。芸術祭での作品展示や文芸誌などで執筆も行う。金沢21世紀美術館で初の個展「アペルト20 津野青嵐 共にあれない体」を開催。現在、初の著書『「ファット」な身体(仮)』(文藝春秋)を準備中。
もしも:まちと未来の実験室
「もしも:まちと未来の実験室」は、大岡山キャンパスの正門前に設置された社会との対話により誰も想像しなかったオルタナティブな未来像をつくりあげる「まちと未来の実験室」です。トークイベントやワークショップ、即興劇の上演やアート作品の展示などさまざまな活動を通じて無数の未来仮想(If)を重ね合わせ、手触りのある未来社会像づくりに取り組みます。