2025年ノーベル物理学賞を読み解く:小さな世界の現象を大きなもので実現できるか?超伝導量子コンピューターへの第一歩

2025年12月30日 公開

2025年のノーベル物理学賞は、大きなマクロの世界でも、小さなミクロの世界で起こる量子力学の現象が見られることを実証したジョン・クラーク博士(米カルフォルニア大学バークレー校・名誉教授)、ミシェル・デボレ博士(米イエール大学・名誉教授、ならびに米カリフォルニア大学サンタバーバラ校・教授)、ジョン・マルティニス博士(米カリフォルニア大学サンタバーバラ校・名誉教授)の3名に贈られました。受賞理由と研究内容について、東京科学大学(Science Tokyo)理学院 物理学系の松尾貞茂(まつお・さだしげ)准教授が解説します。

ノーベル物理学賞の受賞理由を教えてください

松尾  今年のノーベル物理学賞の受賞者は、クラーク博士、デボレ博士、マルティニス博士の3人です。約40年前、クラーク博士の研究室には、研究員のデボレ博士と、大学院生のマルティニス博士が所属していました。そして、この3人が1980年代半ばにかけて発表した一連の研究が高く評価され2025年の受賞に至りました。受賞理由は「電気回路における巨視的量子トンネルとエネルギーの量子化の発見」です。

私たちの日常生活ではニュートン力学によって物理現象が説明されます。しかし、原子や電子のようなミクロの世界を説明するためには、ニュートン力学ではなく、量子力学と呼ばれる物理理論が必要であることが提唱されてほぼ100年がたちます。なぜミクロの世界で起きることがマクロの世界で起きないのかということは、物理学者を長年悩ませてきました。ノーベル賞を受賞した3人は、ミクロの世界でしか起こらないと思われていた量子現象を、わたしたちが暮らす日常スケールの中でも「見られる」という実例を示し、その理由を明確にするという画期的な成果を挙げました。具体的には、わたしたちの身の周りに普通にあるスケールの電気回路において、量子トンネルやエネルギーの量子化と呼ばれる、小さい世界でしか起こらないと考えられてきた量子現象が起こることを発見しました。この研究成果は、現在の超伝導型量子コンピューター開発にもつながり、「量子産業革命」と呼ばれる動きの源泉の一つになっています。

松尾貞茂准教授

量子現象は日常のマクロの世界で見えないのですか?

松尾  日常のマクロの世界で、コップにピンポン玉を入れたとしましょう。すると、ピンポン玉はコップの中に居続け、外に出ていくことはありません。また、電池と豆電球を回路でつなげば電流が流れて光ります。こうした現象は力学や電磁気に代表される古典物理で説明され、基本的には制御しやすく扱いやすい現象です。

一方、小さなミクロの世界、つまり原子1個や電子1個のスケール(原子はおよそ0.1nmで、アルミホイルの厚さの約10万分の1)では事情が変わります。重要なのは、原子や電子などが粒子と波の2つの性質を持つことです。その波の性質こそが、古典物理では想定されない性質であるために、古典物理では説明しきれない現象、つまり日常世界では起きない不思議な量子現象を引き起こすのです。その代表例が、量子トンネルとエネルギーの量子化です。トンネル現象とは、原子が壁に向かって進んだとき、ときどき壁をすり抜けてしまう現象です。他方、エネルギーの量子化とは、エネルギーは連続的に変わるのではなく、決まったエネルギーに「飛び飛び」でしか変わらない現象です。たとえば、原子内の電子が、s軌道やp軌道といった決まった軌道にしか入れない、というのが具体的な例です。

では、量子現象はなぜ日常のマクロの世界で見えないのでしょうか。その理由は、大きなマクロの世界では、粒子が多数集まることにより、それぞれの波が重なり合い、波の性質を保ち続けるのが難しいからです。波の性質が保てないと、量子現象そのものが表に出てこなくなります。

超伝導を使うとマクロな世界でも量子現象が見えるのですか?

松尾  量子現象は20世紀前半に盛んに研究され、量子力学の確立へと進みました。その過程で「量子現象をどう制御するか」という根本的な問いが生まれていきました。そこで、原子や電子など量子力学に従う小さな粒子の制御技術をつくる研究が進み、例えばイオントラップ(電気の力でイオンを空中に固定する装置)や原子冷却(レーザー光を使って、原子の動きをゆっくりにする(=とても冷たくする)方法)という技術に結びつきました。

同時に研究者たちは、「日常世界のような大きな世界で量子現象を実現できれば、制御もできるのではないか」と考えました。実際には非常に難しい挑戦でしたが、研究が進むにつれて注目されたのが超伝導体です。超伝導体は電気抵抗がゼロになる物質で、その中にいる多数の電気の運び手となる粒子はすべて同じ波の性質を持つことが分かりました。この発見を受け、1980年にアンソニー・レゲット博士(2003年のノーベル物理学賞受賞者)は「超伝導体で電気回路を作れば、波の性質を観測し制御できるのではないか」と考えました。つまり、超伝導体の回路なら、マクロな系でも量子性が表れうる、という発想です。

マクロの世界で量子現象をどうやって制御できるようになったのですか?

松尾  制御の鍵になる構造がジョセフソン接合(ジョセフソン博士が提唱し、1973年にノーベル物理学が授与された物理:図1)です。2つの超伝導体の間に薄い絶縁体を挟むと、本来は電気を流さないはずの絶縁体を挟んでも、超伝導体間を電流が抵抗ゼロで流れます。この電流は、2つの超伝導体が持つ波の性質を反映します。これを回路に組み込み、電流を流して電圧を測ります。

通常は電流を上げると電圧も比例して上がりますが、ジョセフソン接合を使うと、抵抗ゼロで電流が流れる領域が現れます。抵抗ゼロで流れる電流を超伝導電流と呼び、抵抗がゼロから有限になる電流をスイッチング電流(図2)と呼びます。このスイッチング電流には揺らぎがあります。1980年代初頭に、その揺らぎと量子トンネルの関係が指摘されましたが、「本当に量子トンネルなのか」は決定打に欠けるという批判もありました。

図1:ジョセフソン接合

そこで今回の受賞者3人は、「エネルギーの量子化をみる」という発想で実験を行いました。基本は、ジョセフソン接合のスイッチング電流の分布(どれくらい揺らぐか)を測る実験ですが、彼らは外から高周波のマイクロ波を照射し、分布がどう変化するかを調べました。その結果、超伝導体でできたマクロな電気回路でも量子現象が実際に起き、マクロなスケールで量子トンネル現象とエネルギーの量子化という代表的な量子現象が見えることを見事に示しました。実はこの研究は、「回路が原子と同じようにふるまう可能性」を示したものでもありました。そのため、回路の制御技術を使って人工的に原子を実現し、人工原子の量子状態を電圧や電流などの「マクロなパラメータで」制御できるのかという関心が高まりました。

図2:スイッチング電流

回路中の人工原子の量子状態を観測・制御した成果として有名なのが、中村泰信(なかむら・やすのぶ)博士(東京大学・教授)と蔡兆伸(ツァイ・ヅァオシェン)博士(東京理科大学・教授)の研究です。超伝導体で人工原子に対応する電気回路を作り、マイクロ波照射の時間を変えることで回路の応答(波として現れる量子性)を操れることを示しました。これが超伝導量子ビット誕生の瞬間です。そして、多数の超伝導回路(=多数の人工原子)を結合し、1個1個を精密に制御する量子コンピューターへと発展していくのです。

この流れは、1981年にリチャード・ファインマン博士(1965年のノーベル物理学賞受賞者)が「自然は古典的ではない。自然を完全にシミュレーションしたいなら量子力学に基づく方法がよい」と述べたこととも符合します。巨視的な量子現象を理解し、人工原子の量子状態を制御して、量子コンピューターの実現へとつながっていく流れは、まさに基礎科学の進歩が新しい技術へと結実していく好例と言えるでしょう。

今回の受賞が示した大切なことは何ですか?

松尾  今回のノーベル物理学賞は、「マクロの大きな世界では量子現象を示すのか?」という基礎物理の疑問に、実験で答えた成果だと言えます。そして「回路に人工原子を実現し、制御する」という夢を掲げた点でも重要でした。さらに、この研究からわかるのは、研究成果はすぐに応用につながるとは限らないということです。40年前の発見が、ようやく現在の量子コンピューターという形で結実しはじめました。研究者の興味にしたがって基礎学理を進めることが、世界の理解を深め、結果として技術革新につながる——その大切さを、今回の受賞ははっきり示していると思います。



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*本記事は、2025年11月26日(水)にオンライン開催されたScience Tokyoノーベル賞解説講演会の内容をもとに制作しています。

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