ポイント
- 大規模な台風被害が近年相次いだマカオにおける災害対策をソフト/ハードの両面から調査。
- 行政の台風対応に対するマカオ住民の評価は高まっており、安全を最優先とした迅速な対応が、住民の安心感や行政への信頼の向上につながっている。
- 特にソフト対策が急速に強化されており、ハード対策を重視する日本の高潮対策に対しても有益な示唆を与える。
概要
東京科学大学 環境・社会理工学院 融合理工学系の髙木泰士教授らの研究チームは、2017年から2025年にかけてマカオに大きな被害をもたらした3つの台風(2017年Hato(ハト)、2018年Mangkhut(マンクット)、2025年Ragasa(ラガサ))の直後に現地調査を実施し、台風時の行政の対応および住民の避難行動について、経年的な変化を分析しました。いずれの台風でも高潮により市街地が浸水し、住民生活に深刻な影響が生じました。特に2017年の台風Hatoでは甚大な被害が発生し、警報発令の遅れに対する市民の不満から気象局長が辞任する事態となりました。
これに対して、2018年の台風Mangkhutや2025年の台風Ragasaでは、警報発令の早期化、行政主導の見回りの強化や避難誘導が住民の早期避難に大きく寄与しました。さらに、台風Hatoの経験を経て、高潮警報システム[用語1]の導入、高潮危険表示ポール[用語2]や水位観測システム[用語3]の整備、簡易防潮板[用語4]の設置などのソフト的な高潮対策が進み、台風対応能力は短期間で大きく改善するとともに、行政に対する住民の評価も高まったことが明らかになりました。
一方、構造物対策は限定的であり、台風Hato以降も視界を遮るような高い防潮堤は建設されておらず、海に近接した良好な環境が維持されています。マカオのソフト対策の取り組みは、ハード対策を中心とする日本の沿岸域の高潮対策にも有益な示唆を与えると考えられます。
本研究成果は、2026年4月19日、国際学術誌「International Journal of Disaster Risk Reduction」に掲載されました。
背景
2017年から2025年にかけて、3つの強い台風(Hato、Mangkhut、Ragasa)がマカオに大きな被害をもたらしました。いずれの台風においても顕著な高潮が発生し、浸水被害を受けた市街地では、住民生活に深刻な困難が生じました。特に、2017年の台風Hatoでは、人口70万人に満たないマカオにおいて死者10名という異例の人的被害が発生するとともに、甚大な経済被害も生じました。さらに、台風警報の発令の遅れに対して市民の不満が高まり、最終的には気象局長の辞任に至りました[参考文献1]。本研究では、3つの台風の直後に現地調査を実施し、行政の対応および住民の避難行動について、経年的な変化の分析を行いました。
研究成果
マカオでは台風Hato以降、台風やそれに伴う高潮への対応が急速に改善されており、2018年台風Mangkhutや2025年台風Ragasaでは、警報発令の早期化や避難誘導、停電等の復旧の迅速化といった点で、行政の対応が住民から高く評価されるようになりました。最大の改善点として警報(台風シグナル)の早期発令が挙げられ、これにより避難のリードタイムが拡大し、住民の安全な避難に寄与していることが示されました。
マカオや香港の台風シグナルの警戒度は5段階で、1、3、8、9、10という不連続な番号で設定された独自のシステムを採用しています。特に、シグナルが8に引き上げられると、学校や職場が閉鎖され、主要な島を結ぶ橋の通行が制限されるなど、生活に大きな影響が及びます[参考文献2]。2018年以降、重要な警報であるシグナル8の発令時期は大幅に前倒しされ、台風RagasaおよびMangkhutの際には、台風Hatoと比べて10時間以上早く、台風中心がマカオから300 km以上離れている段階で発令されていたことが明らかとなりました(図1、図2)。
台風Ragasaに関しては、最終的にマカオを直撃しなかったものの、先行する2つの台風よりも勢力が強かったこともあり(図1、図3)、最高レベルの予防的対応が講じられたと考えられます。一方、批判を受けた台風Hato時のシグナル8の発令についても、高解像度台風数値モデルによる再検証により、警報基準を規定風速17.5 m/sとした場合、必ずしも遅延とはいえないことが示されました(図2)。すなわち、台風Hatoは判断基準に則った運用、台風Ragasaは被害の甚大さを見込んだ安全側の運用であったと解釈できます。
対策面では、台風Hato以降、高潮警報システムの導入や高潮危険表示ポールの設置、水位観測システムの整備(図4a、b、c)、簡易防潮板の設置、排水ポンプの導入、警報表示方法の改善、行政による見回りの強化など、避難行動の促進に重きを置いたソフト対策が急速に進展しています。さらに、市民の高潮防災意識も高まっており、浸水が相次いだ地域では、住民自らが過去の台風による水位を記録し、次の台風に備える動きが確認されています(図5)。
一方で、視界を遮る高い防潮堤など大規模な構造物対策は講じられておらず、海に近接した良好な環境が維持されています(図4d)。また、マカオは珠江デルタ河口域に位置し、マングローブが自生する地域であることから、植生を活用した海岸保全が積極的に進められています(図4e、f)。
社会的インパクト
風速や気圧に基づく警報は、数値に基づき客観的に判断できる一方で、台風の進行速度や中心までの距離、急速な勢力の強化など、個々の台風によって大きく異なる特性を過小評価してしまう可能性があります。警報の空振りや経済活動の停止による影響を考慮すると、行政の判断は容易ではありませんが、これら3つの台風に対するマカオの行政対応の変遷は、安全最優先の対応が市民の行政への信頼向上に直結することを実証的に示しています。
今回の研究では、マカオでは過去10年間にソフト対策を重視した取り組みが進められ、特に高潮対策を中心に台風対応が短期間で大きく改善されるとともに、住民の行政に対する評価も高まったことが明らかになりました。高度に近代化した市街地における大規模な高潮は一般にまれであり、こうしたマカオの経験は、ハード対策を重視する日本の沿岸域の災害対策にも有益な示唆を与えると考えられます。
今後の展開
アジアは高潮や津波などの沿岸域災害が多発する地域ですが、各地域の対策はハード対策重視とソフト対策重視に分かれる傾向があります[参考文献3]。日本は明らかに前者ですが、マカオは後者を代表する地域の一つといえます。どちらにも一長一短はありますが、両者を組み合わせたハイブリッド型の対応が、21世紀型防災の主流になると予想されます。このような防災の実現に向けて、対策面・政策面・社会面を横断的に捉える融合型研究の役割は今後ますます重要になると考えられます。
参考文献
- [参考文献1]
- Takagi, H., Xiong, Y., & Furukawa, F. (2018). Track analysis and storm surge investigation of 2017 Typhoon Hato: were the warning signals issued in Macau and Hong Kong timed appropriately?. Georisk: Assessment and Management of Risk for Engineered Systems and Geohazards, 12(4), 288-298.
DOI:10.1080/17499518.2018.1465573 - [参考文献2]
- Takagi, H., Yi, X., & Fan, J. (2019). Public perception of typhoon signals and response in Macau: did disaster response improve between the 2017 Hato and 2018 Mangkhut typhoons?. Georisk: Assessment and Management of Risk for Engineered Systems and Geohazards, 13(1), 76-82.
DOI:10.1080/17499518.2019.1676453 - [参考文献3]
- Takagi, H., Anh, L. T., Islam, R., & Hossain, T. T. (2023). Progress of disaster mitigation against tropical cyclones and storm surges: A comparative study of Bangladesh, Vietnam, and Japan. Coastal Engineering Journal.
DOI:10.1080/21664250.2022.2100179
用語説明
- [用語1]
- 高潮警報システム:マカオにおいて、従来から運用されてきた台風の強さの予測に基づく台風シグナルに加え、2018年の台風Hato以降、高潮を対象とした新たな警報システムが導入された。
- [用語2]
- 高潮危険表示ポール:高潮の危険性を視覚的に示すポールであり、台風Hato以降、マカオ市内の歩道や公園などに設置されている。高潮レベルは5段階(青、黄、オレンジ、赤、黒)で色分けされている。高潮警報システムにより、市民には携帯電話などを通じて危険レベルが色で伝達されるため、近くのポールを参照することで、どの程度まで高潮が上昇するかを容易に把握できる。例えば、2025年の台風Ragasaでは、上から2番目に高い赤色の高潮警報が発令された。これは道路面上約1.5~2.5 mの浸水が予測されるレベルであり、実際にこの高さまで海水が上昇したことが本研究により確認されている(図3b参照)。
- [用語3]
- 水位観測システム:マカオ市内19地点(2026年4月時点)に水位観測施設が設置されており、インターネットを通じてリアルタイムで水位を確認できる。
- [用語4]
- 簡易防潮板:高潮の浸入を防ぐため、2018年の台風Hato以降、個人宅や商店において簡易的なゲートを設置する動きが急速に高まっている(図3a参照)。設置費用の一部については、政府から補助が支給されている。
論文情報
- 掲載誌:
- International Journal of Disaster Risk Reduction
- タイトル:
- Storm surge responses in Macau: Early warnings and soft adaptation
- 著者:
- Hiroshi Takagi, Yuzhe Zhao
研究者プロフィール
髙木 泰士 Hiroshi Takagi
東京科学大学 環境・社会理工学院 融合理工学系 教授
研究分野:沿岸域防災、グリーンインフラ、海洋エネルギー