ポイント
- 中質量原子の核分裂における質量分布と運動エネルギーの予測精度を大幅に向上させる新しい数値モデルを開発。
- 近年注目されている水銀180および190同位体の「非対称分裂」のメカニズムを五次元ランジュバン方程式によって初めて動的に再現。
- 原子核の「シェル構造」の影響が、従来の理解よりも高い励起エネルギーでも維持されることを確認。
概要
東京科学大学(Science Tokyo)総合研究院 ゼロカーボンエネルギー研究所の石塚知香子准教授、ウクライナのキエフ核研究所 F. A. Ivanyuk(イワニューク)博士、フランスのストラスブール大学 C. Schmitt(シュミット)教授、株式会社NATの千葉敏特別研究員(東京科学大学名誉教授)らの国際研究チームは、長年の謎だった質量数180や190の「水銀同位体が核分裂する際に見られる左右非対称な核分裂パターンと放出されるエネルギー」が、これまでの理論ではうまく説明できない原因に注目し、これを解き明かすために、原子核の形の変化やエネルギーのやりとりを同時に追いかける、新しい「五次元ランジュバン動力学モデル」を開発しました。このモデルを使うことで、核分裂後のかけら(=分裂片)の質量(図1)やエネルギー(図2)が、実験で得られたデータと非常によく一致することが分かりました。

さらに、核分裂の途中で複数の中性子が飛び出す「マルチチャンス核分裂」[用語1]の影響もモデルに組み込み、これまで説明が難しかった実験結果を再現することに成功しました。特に驚きだったのは、「シェル効果」[用語2]という、原子核の中の特別な安定性が、30〜50 MeVという高いエネルギーでも残っていることをはっきりと確認できた点です。これまでシェル効果はエネルギーが高くなると消えると考えられていましたが、その常識に一石を投じる結果となりました。
この成果は、核分裂の仕組みをより深く理解するための大きな一歩であり、原子力の安全な利用や新しい元素の合成といった幅広い分野にも貢献が期待されます。
本研究は、米国物理学会の学術誌「Physical Review C」に2025年5月20日付で発表され、特に注目度の高い「Editor's Suggestion(編集部推薦論文)」として選ばれました。

背景
ウランやプルトニウムの核分裂は非常に良く研究されており、二重閉殻で非常に安定な鉛近傍の核種と、そのおつりとされる軽い核種に非対称核分裂することが知られています。この非対称核分裂はウランを含むアクチノイド核種固有のものだと考えられていましたが、2010年に中程度の質量を持つ水銀180でも非対称核分裂が確認され、物理学者の間に衝撃が走りました。なぜなら水銀180の非対称核分裂では閉殻構造を持たない質量数80と100の原子核が沢山生成されたからです。その後も、準鉛領域の核種で従来の予測から外れたエネルギー依存性などの核分裂挙動の発見が続き、その背後にある物理学的要因の解明が長らく求められていました。
研究成果
東京科学大の石塚准教授らの研究チームはこれまでもアクチノイド核種の核分裂における形の変化とエネルギーの流れを同時に高精度に予測できる唯一の理論模型である4次元ランジュバン模型を開発・研究してきましたが、水銀同位体は上手く説明できずにいました。しかし、複合核の形状を表すパラメータを全て変数として時間変化させる5次元ランジュバン方程式による動的核分裂モデルを構築することで、質量180および190の水銀元素(180Hgおよび190Hg)が、核分裂した際に生成する原子核(核分裂片)の質量分布と全運動エネルギー分布を理論的に再現することに成功しました。特に、アクチノイド核種では励起エネルギーが20MeV程度で消失すると考えられていた原子核の殻構造の影響が、30〜50 MeVという高励起エネルギーでも保持されること、また分裂前に中性子を放出する「マルチチャンス核分裂」が示すように運動エネルギーに強く影響することを初めて定量的に示しました(図2)。

社会的インパクト
アクチノイド核種の核分裂は原子力の安全制御、核燃料サイクルの設計、宇宙における元素合成の理解に不可欠です。アクチノイド核種だけでなく、近年精力的に調査されている鉛近傍の核種での新たな核分裂についても、核分裂で作られる核種や量、そして核分裂で放出されるエネルギーまでも驚くべき精度で統一的に予測できる本研究の成果は理学研究としての新しさだけでなく、新たな核分裂応用の可能性を拓く基礎データを与えます。本研究で得られた成果は、今後の核理論や原子力応用における理論的基盤として広く貢献することが期待されます。
今後の展開
現在、国内外でアクチノイド核種以外の核分裂についての実験計画が提案されている中で、実験的な制約とは無関係、かつ、高い予言力を持った核分裂様式の探査が本研究によって可能となります。本手法は、さらに軽い核種や超重元素への応用にも拡張可能であり、核図表の未解明領域における分裂挙動の予測に寄与することが期待されます。これにより、核分裂における熱力学的効果と量子効果の交差領域に関する新たな理論的検証にも繋がると見込まれます。
付記
本研究は、JSPS科学研究費助成事業21H01856の助成を受けたものです。
用語説明
- [用語1]
- マルチチャンス核分裂:励起状態の原子核が、核分裂に至る前に中性子を一つ以上放出する過程のこと。原子核の励起状態が段階的に変化するため、分裂断片のエネルギーや質量に影響を及ぼす。
- [用語2]
- シェル効果:原子核内部の中性子・陽子の配置が安定する特定の数(魔法数)で、核分裂時の断片の質量分布などに大きく影響を与える効果のこと。
論文情報
- 掲載誌:
- Physical Review C, Vol.111, 054620 (2025)
- タイトル:
- Shell effects and multichance fission in the sub-lead region
- 著者:
- F. A. Ivanyuk, C. Schmitt, C. Ishizuka, S. Chiba
研究者プロフィール
石塚 知香子 Chikako ISHIZUKA
東京科学大学 総合研究院 ゼロカーボンエネルギー研究所 准教授
研究分野:核データ / 核反応 / 核変換/ 状態方程式 / 理論核物理、宇宙物理