ポイント
- 接着剤の性能を左右する界面高分子鎖の運動は、これまで平均像でしか議論できなかった。
- 高分子1本の中の分子運動を直接観察し、吸着・脱離を伴う非平衡挙動[用語1]を発見した。
- 界面の高分子鎖を非平衡系として捉える新しい視点が、接着剤の分子設計を加速する。
概要
世界のエネルギー消費の約3割はモビリティ輸送に起因します。モビリティの低燃費化に向けた構造部材の軽量化はSDGs実現に向けた重要な課題であり、軽量化には異種材料を適材適所での組み合わせを可能にする高性能な接着技術が求められます。東京科学大学物質理工学院応用化学系の佐藤浩太郎 教授、九州大学大学院工学研究院応用化学部門/次世代接着技術研究センターの田中敬二 主幹教授/センター長らは、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業 大規模プロジェクト型「界面マルチスケール4次元解析による革新的接着技術の構築」を遂行しています。接着技術の革新には、接着界面の現象を分子レベルで明らかにし、精密に制御・最適化することが必要です。したがって、従来の界面高分子鎖の統計的理解を刷新し、接着界面の本質に迫るための1分子鎖レベルでの界面高分子鎖の描像の解明が求められていました。
本研究では、界面分子鎖1本の運動を分子レベルで初めて直接可視化し、非平衡挙動の存在を見出しました。九州大学大学院工学研究院応用化学部門 森田修治 大学院生、盛満裕真 助教、次世代接着技術研究センター 山本智 教授、工学研究院応用化学部門の田中敬二 主幹教授、および東京科学大学物質理工学院応用化学系の谷崎志帆 博士、久保智弘 助教、佐藤浩太郎 教授らの研究グループは、原子間力顕微鏡(AFM)[用語2]を用いて、固体表面上に存在する高分子鎖の運動を直接観察しました。その結果、1本の界面分子鎖の中に、熱活性セグメント[用語3]と過渡的な吸着によって運動が抑制されるセグメント(熱抑制セグメント[用語4])が共存しており、それらが固体表面との相互作用に依存した非平衡挙動を示すことを明らかにしました。
本成果は、「界面分子鎖は一様な運動性を持つ」という従来の考え方を刷新し、「界面分子鎖は、セグメント毎に独立した分子運動を有し、吸脱着を繰り返す非平衡系である」という新たな分子描像を提供することにより、異種材料接着剤の性能向上に向けた分子設計を加速させることが期待されます。
本研究は、JST未来社会創造事業、ならびに経済安全保障重要技術育成プログラムの支援を受けて実施されました。本研究成果は、米国科学雑誌「Journal of the American Chemical Society」のACS Editors' Choiceに選出されており、オンライン版に2026年3月11日(水)午後11時(日本時間)に掲載されました。
(左上段)AFM高さ像、(右上段)模式図、(下段)(1)熱活性、(2)熱抑制、(3)吸脱着を伴う非平衡挙動の模式図。
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研究の背景と経緯
世界のエネルギー消費の約3割は、人や物を運ぶモビリティ(輸送)によって占められており1)、その削減は持続可能な社会の実現に向けた喫緊の課題です。モビリティ分野におけるエネルギー消費を抑える有効な手段の一つが、構造部材の軽量化です。その実現には、金属や高分子材料などの異種材料を適材適所で組み合わせる複合化が不可欠であり、異種材料を強固につなぐ接着技術の重要性が高まっています。革新的な接着技術を設計するためには、接着剤と被着材が接する「接着界面」で起こる現象を分子レベルで理解することが不可欠です。
九州大学大学院工学研究院応用化学部門/次世代接着技術研究センターの田中敬二 主幹教授/センター長、東京科学大学物質理工学院応用化学系の佐藤浩太郎 教授らの研究グループは、接着界面の本質的理解に基づいて次世代接着技術を確立し、その基盤技術を構築することを目的として、JST未来社会創造事業 大規模プロジェクト型「界面マルチスケール4次元解析による革新的接着技術の構築」を遂行しています。本プロジェクトでは、高分子科学および先端計測を専門とする研究者と連携企業を結集し、特定先端大型研究施設などの支援の下、接着現象における界面の理解から社会実装に至るまでの研究開発を展開しています。特に、接着現象の本質的理解には、時空間スケールを適宜切り替え、分子中の官能基の配向状態といった微視的挙動から、巨視的な力学強度に至るまでを包括するマルチスケールな分子ダイナミクスの解明が不可欠であり、そのための解析手法の革新が進められてきました。
これまでに田中教授らの研究グループは、高分子系接着界面において、被着体表面に存在する高分子鎖の振る舞いが接着性能を大きく左右することを明らかにしています2)。接着界面と相互作用する高分子鎖の層は数nm(ナノメートル)[用語5]と非常に薄いものの、これらの高分子鎖の構造や熱運動性が、接着強度や剥離挙動に強く影響することが分かっていました。
一方、固体に接触する高分子鎖(界面鎖)の構造と熱運動については、これまで、複数の界面鎖の平均的な振る舞い、すなわち統計的理解が進められていました。材料内部(バルク[用語6])に存在する高分子鎖と比べて高密度に凝集しており、その分子運動が著しく抑制されていることが示されてきました。しかしながら、これらは、あくまで統計的議論であり、界面鎖を構成する各セグメントの分子運動が空間的にどのように異なるのかを直接捉えることは困難でした。そのため、1本の界面高分子鎖が実際にどのように振る舞うのかについての分子描像は、長年にわたって明らかにされていませんでした。
このような背景のもと、本研究では、界面分子鎖1本の運動を分子レベルで直接観察し、その分子運動を高い空間分解能で解析することで、接着界面における新たな分子描像の解明に挑みました。
研究の内容と成果
九州大学大学院工学研究院応用化学部門の森田修治 大学院生、盛満裕真 助教、次世代接着技術研究センター 山本智 教授、工学研究院応用化学部門の田中敬二 主幹教授、および東京科学大学物質理工学院応用化学系の谷崎志帆 博士、久保智弘 助教、佐藤浩太郎 教授らの研究グループは、原子間力顕微鏡(AFM)を用いて、固体表面上に存在する高分子鎖の運動を直接観察しました。本手法により、高い時間分解能(0.3~26 秒)と空間分解能(面内分解能 約0.4 nm、高さ分解能 0.1 nm 以下)を同時に実現し、1本の高分子鎖の中で、位置ごとに異なる分子運動を定量的に可視化することに成功しました。さらに、同一分子鎖を異なる温度条件で観察することで、各位置における分子運動の温度依存性を詳細に評価しました。
その結果、1本の界面分子鎖の中に、温度上昇とともに分子運動が活発化する熱活性セグメント(概要図中1)と、固体表面への一時的な吸着によって運動が抑制される熱抑制セグメント(概要図中2)が共存していることが明らかになりました。さらに、多くの部位では、吸着と脱離をランダムに繰り返す非平衡挙動(概要図中3)が観測されました。これらの結果は、界面分子鎖が一様な運動性を示すという従来の理解とは大きく異なるものです。これらの挙動の出現頻度や空間分布は、高分子と固体表面との相互作用の強さ、すなわち界面相互作用に強く依存しており、界面の化学的性質を変えることで分子運動が大きく変化することも示されました。
本研究は、界面分子鎖の熱揺らぎを分子レベルかつ実空間で直接観察および定量評価した世界初の成果であり、接着界面における分子運動が本質的に非平衡系として振る舞うことを明確に示したものです。
今後の展開
今回の成果は、「界面分子鎖が一様の運動性を示す」という従来の考え方を刷新し、「界面分子鎖は、部位ごとに独立した分子運動を示し、固体表面への吸脱着を繰り返す非平衡挙動を示す」という精密な分子描像を提供します。
本研究で得られた知見は、異種材料接着剤における分子設計の考え方を高度化し、接着界面に存在する高分子鎖に特異な「非平衡挙動」を含む構造や物性を積極的に活用する新たな接着技術の基盤を与えるものです。これらの知見を分子設計へと反映させることで、従来の「空間的に一様かつ擬平衡状態で凍結した界面高分子」を前提とした設計から、「界面内の運動性の空間分布や非平衡挙動、およびその頻度」を積極的に制御対象とする新たな設計概念へと転換することが可能になります。これにより、従来の発想では到達し得なかった高性能な接着剤の開発が期待されます。その結果、モビリティ部材における接着強度の向上にとどまらず、強靭性・耐久性の向上や自己修復性、易解体性といった接着界面の高度化が期待されます。これらの技術は、次世代自動車や次世代輸送機をはじめとするモビリティ構造の高性能化・軽量化を促進し、Society 5.0が目指す未来社会の実現に貢献すると考えられます。
謝辞
今回の研究成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
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科学技術振興機構(JST) 未来社会創造事業 大規模プロジェクト型
- 技術テーマ:「Society5.0の実現をもたらす革新的接着技術の開発」
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研究開発課題名:「界面マルチスケール4次元解析による革新的接着技術の構築」
(課題番号:JPMJMI18A2、研究開発代表者:田中敬二 九州大学教授)
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研究者:
・九州大学 大学院工学研究院/次世代接着技術研究センター 田中敬二 主幹教授/センター長
・東京科学大学 物質理工学院 佐藤浩太郎 教授 - 研究実施場所:九州大学および東京科学大学
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科学技術振興機構(JST) 経済安全保障重要技術育成プログラム
- 研究開発構想:「輸送機等の革新的な構造を実現する複合材料等の接着技術」
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研究開発課題名:「革新的軽量構造を実現する複合材接着技術に関する研究開発とその学理構築」
(課題番号:JPMJKP24W1、研究代表者:岡部朋永 東北大学教授) - 研究者:九州大学 大学院工学研究院/次世代接着技術研究センター 田中敬二 主幹教授/センター長
- 研究実施場所:九州大学
引用文献
- [参考文献1]
- REN21(Renewable Energy Policy Network for the 21st Century), Global Futures Report: Renewables for Sustainable Transport 2024.
- [参考文献2]
- R. Eto, T. Abe, Y. Morimitsu, K. Tanaka, ACS Macro Lett. 2025, 14 (12), 1813–1818.
用語解説
- [用語1]
- 非平衡挙動:吸着と脱離を繰り返しながら局所構造が時々刻々と変化し平衡状態に至らない分子運動の様式。
- [用語2]
- 原子間力顕微鏡(AFM):極めて鋭い探針を用い、探針―試料表面間の原子間力が一定になるようにステージの高さを走査し、試料表面をなぞることで、試料表面の形状や動きを直接観察できるプローブ顕微鏡。
- [用語3]
- 熱活性セグメント:温度上昇に伴って分子運動が加速する界面分子鎖中のセグメント。セグメントは、複数のモノマー単位がまとまって一つの運動単位として振る舞う部位。
- [用語4]
- 熱抑制セグメント:温度上昇に伴って分子運動が抑制される界面分子鎖中のセグメント。
- [用語5]
- nm(ナノメートル):1メートルの10億分の1。0.1 nmは水素原子の大きさに相当。水分子は約0.4 nm。
- [用語6]
- バルク:界面や表面の影響を受けない材料内部の領域。
論文情報
- 掲載誌:
- Journal of the American Chemical Society
- タイトル:
- Direct visualization of segment-like dynamics in isolated polymer chains on solid surfaces
- 著者:
- Shuji Morita, Yuma Morimitsu, Shiho Tanizaki, Tomohiro Kubo, Satoru Yamamoto, Kotaro Satoh, Keiji Tanaka
- DOI:
- 10.1021/jacs.5c23137
関連リンク
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東京科学大学 物質理工学院 応用化学系
教授 佐藤浩太郎
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