ポイント
- 白骨化や高度腐敗したご遺体でも、たった1本の歯から出生年・死亡時年齢・居住地域・薬物使用歴・性別・DNA型の6種類の法医学的情報を統合的に取得できることを世界で初めて実証
- 歯を構成する4組織(エナメル質・象牙質・歯髄・セメント質)の特性を生かし、それぞれに最適な分析法を組み合わせることで、1本の歯から多面的な個人識別を実現
- 災害や事件・事故などで高度に損傷したご遺体の身元確認を迅速・高精度化し、限られた試料から最大限の個人識別情報を引き出す新たな法歯学的手法として期待
概要
東京科学大学(Science Tokyo) 医歯学総合研究科 法歯学分野の斉藤久子准教授、山田明佳大学院生、ならびに山形大学高感度加速器質量分析センターの門叶冬樹教授らの研究グループは、死後長期間が経過したご遺体の1本の歯から、出生年、死亡時年齢、居住地域、薬物使用歴、性別、DNA型という6種類の法医学的情報を統合的に取得できることを世界で初めて実証しました。
歯は人体の中で最も硬い組織であり、腐敗や白骨化が進行したご遺体においても、最後まで残存しやすい組織です。これまで、出生年推定、死亡時年齢推定、居住地域推定、薬毒物分析、ならびに性別判定を含むDNA型解析は、それぞれ異なる歯、あるいは歯全体を用いて個別に行われていました。
本研究では、白骨化や高度腐敗したご遺体から採取した1本の歯から、歯を構成する各組織の特性を生かし、エナメル質、象牙質、歯髄、セメント質それぞれに最適な分析法を適用しました。具体的には、エナメル質では放射性炭素(14C)[用語1]分析による出生年推定[用語2]と炭素安定同位体(13C)[用語3]分析による居住地域推定、象牙質ではアスパラギン酸ラセミ化反応[用語4]による死亡時年齢推定、歯髄および象牙質では薬毒物分析、セメント質および象牙質ではDNA型解析(性別判定を含む)を実施し、1本の歯から6種類の法医学的情報を統合的に取得できることを実証しました。
本研究成果は、災害、事故、事件などで高度に損傷したご遺体の身元確認精度の向上に加え、限られた試料から最大限の個人識別情報を引き出す新たな法歯学的アプローチとして期待されます。さらに、将来的には、これらの生化学的情報に歯の形態学的情報を組み合わせることで、より高精度かつ多面的な個人識別システムの構築につながることが期待されます。
本成果は、8月19日(英国時間)の「Scientific Reports」誌に掲載されました。
背景
日本は世界有数の災害多発国です。2011年の東日本大震災では、2026年2月末時点で死者1万5,901人、行方不明者2,519人という甚大な被害が発生しました[参考文献1]。死後長期間が経過したご遺体では、顔貌による身元確認が困難となるため、指紋、歯科所見、DNA型などの客観的な科学的手法による個人識別が行われます。しかし、これらの方法を用いても身元を特定できない事例は少なくありません。
近年では、14C分析による出生年推定、安定同位体分析による居住地域推定、アスパラギン酸ラセミ化反応による死亡時年齢推定、薬毒物分析による薬物使用歴の評価など、生化学的手法を用いた新たな個人識別法が開発されています。しかし、従来の生化学的手法では、それぞれ異なる組織を用いて個別に解析する必要があるため、多くの試料を消費することに加え、解析結果を統合的に評価できないという課題がありました。
2025年には、オランダの研究グループが、ご遺体7例から採取した歯と足趾の爪を用いて、出生年、死亡時年齢、性別、DNA型、居住地域、薬物使用歴などの情報を取得できることを報告しました[参考文献2]。しかし、この研究では歯に加えて爪も必要であり、対象も死後経過時間が短く、死後変化の少ないご遺体に限られていました。
歯は人体の中で最も硬い組織の1つであり、白骨化や高度腐敗が進行したご遺体でも最後まで残存しやすい組織です。そのため、たった1本の歯から出生年、死亡時年齢、居住地域、薬物使用歴、性別、DNA型といった複数の個人識別情報を統合的に取得できれば、限られた試料を有効活用しながら、身元確認の迅速化と高精度化に大きく貢献することが期待されます。
研究成果
本研究では、死後長期間が経過した15体のご遺体から採取した下顎第一小臼歯1本(n = 15)を用いて、14C分析、13C分析、アスパラギン酸ラセミ化分析、薬毒物分析、およびDNA型解析(性別判定を含む)を同一歯から実施し、その有用性を検証しました。
14C分析では、15例中14例で出生年の推定が可能であり、推定出生年と実際の出生年との誤差は0.57±6.36年(平均絶対誤差5.01年、r = 0.95)と、高い精度を示しました。また、アスパラギン酸ラセミ化分析では、死亡時年齢の推定誤差は−5.82±6.87年(平均絶対誤差7.93年、r = 0.86)となり、実際の死亡時年齢との高い相関が認められました。
13C分析による居住地域の推定結果は既知の個人情報と矛盾せず、薬毒物分析では、解剖時の薬毒物スクリーニング結果や生前の服薬歴と一致する薬物が検出されました。
DNA型解析では、全例で性別判定に成功し、12例では個人識別に十分な常染色体STR型を取得できました。また、Y染色体STR型解析およびミトコンドリアDNA型解析でも良好な結果が得られました。
これらの結果から、死後長期間が経過したご遺体であっても、たった1本の歯から出生年、死亡時年齢、居住地域、薬物使用歴、性別、DNA型という6種類の法医学的情報を統合的に取得できることが示されました。本手法は、身元候補者を迅速かつ効率的に絞り込むための新たな個人識別法として期待されます。
社会的インパクト
日本では、地震や豪雨などの大規模災害が繰り返し発生しており、多数の犠牲者が生じた際には、迅速かつ正確な身元確認が重要な課題となります。また、事件や事故、あるいは死後長期間が経過したご遺体では、顔貌や所持品による身元確認が困難となり、歯科所見やDNA型などの科学的手法を用いても、身元を特定できない場合があります。
本研究により、死後も残存しやすい歯がたった1本あれば、出生年、死亡時年齢、居住地、薬物使用歴、性別、DNA型という6種類の法医学的情報を取得できる可能性が示されました。また、従来は困難であった硬組織からの薬毒物分析についても、歯を用いて実施できる可能性を示しました。これらの多角的解析により、身元不明者の候補を効率的に絞り込み、従来の歯科所見やDNA型による照合を補完することが期待されます。
本研究成果は、災害、事件、事故などにおける身元確認の迅速化と高精度化に寄与し、身元判明率の向上や、ご遺体の早期返還につながる可能性があります。さらに、限られた試料を有効に活用できることから、貴重なご遺体試料の保存や将来の再鑑定への備えに加え、法医学・法歯学鑑定の効率化にも貢献することが期待されます。
今後の展開
本研究で示した各生化学的解析手法について、今後は解析精度と再現性をさらに高め、実際の法医学・法歯学鑑定で広く活用できる標準的な解析法の確立を目指します。
さらに、出生年、死亡時年齢、居住地域、薬物使用歴、性別、DNA型といった生化学的情報に加え、歯科所見、CT画像、口腔内スキャン(Intraoral Scanner : IOS)などから得られる形態学的情報を統合し、多角的な個人識別システムの構築を進めます。
このような統合的アプローチにより、災害、事件、事故などにおける身元確認の迅速化と高精度化を図り、将来的には「身元不明者ゼロ」の実現に貢献することを目指します。
付記
本研究は、JSPS科学研究費助成事業(JP20K13244、JP21K10517、JP25K21792)、JST SPRING(JPMJSP2106、JPMJSP2180)の支援を受けて実施されました。
参考文献
- [参考文献2]
- Hulst, R. V. et al. A multidisciplinary approach to forensic biological profiling on a single tooth and nail sample. Int. J. Legal Med. 139, 361-374, 10.1007/s00414-024-03357-2 (2025).
用語説明
- [用語1]
- 放射性炭素(14C):14Cは炭素の放射性同位体の1つで、宇宙線によって大気中で生じた中性子が窒素14と反応することで生成される。一方、冷戦期の大気圏内核実験によって大気中の14C濃度は急激に上昇し、1963年頃をピークに、海洋や陸上生物圏へ移行することなどによって急速に低下した。この大気中14C濃度の経年変化を示す曲線は、「bomb curve(ボムカーブ)」と呼ばれる。
- [用語2]
- 14Cによる出生年推定:歯のエナメル質は、歯冠の形成が完了すると外部との炭素交換がほとんど起こらないため、形成当時の14C濃度を保持している。そのため、エナメル質中の14C濃度を加速器質量分析法(Accelerator Mass Spectrometry:AMS)で測定し、ボムカーブと照合することで歯冠形成時期を推定し、その結果に基づいて出生年を推定する。
- [用語3]
- 炭素安定同位体(13C):炭素安定同位体とは、放射線を放出しない安定した炭素の同位体であり、炭素12(12C)と炭素13(13C)が存在する。食物中の炭素安定同位体比(13C/12C)は食生活や生育環境によって異なるため、歯に含まれる炭素安定同位体比を測定することで、生前の食生活や居住地域に関する情報を推定できる。
- [用語4]
- アスパラギン酸ラセミ化反応:テキストアスパラギン酸ラセミ化反応とは、生体内に主に存在するL型アスパラギン酸が、加齢に伴ってD型アスパラギン酸へ徐々に変化する化学反応である。歯では、象牙質中のD型アスパラギン酸とL型アスパラギン酸の比(D/L比)が年齢とともに増加するため、この比率を測定することで死亡時年齢を高い精度で推定できる。
論文情報
- 掲載誌:
- Scientific reports
- タイトル:
- Multiple forensic insights for human identification using single teeth with applicability to advanced postmortem remains
- 著者:
- Sayaka Yamada1,*, Hisako Saitoh1,*, Kanju Saka2, Saki Minegishi1, Toru Moriya3, Mirei Takeyama3, Hajime Utsuno1, Shuuji Namiki1, Muhammad Garry Syahrizal Hanafi1, Nanami Aoki1, Yohsuke Makino2, Hirotaro Iwase4, Fuyuki Tokanai3, Koichi Sakurada1
1東京科学大学 医歯学総合研究科 法歯学分野
2東京大学 大学院医学系研究科 法医学教室
3山形大学 高感度加速器質量分析センター
4千葉大学 大学院医学研究院 法医学教室
研究者プロフィール
斉藤 久子 Hisako Saitoh
東京科学大学 医歯学総合研究科 法歯学分野 准教授
研究分野:法歯学、法遺伝学
山田 明佳 Sayaka Yamada
東京科学大学 医歯学総合研究科 法歯学分野 大学院博士課程4年
研究分野:法歯学、法遺伝学
坂 幹樹 Kanju Saka
東京大学 大学院医学系研究科 法医学教室 技術専門員
研究分野:法医学、法中毒学
峰岸 沙希 Saki Minegishi
東京科学大学 医歯学総合研究科 法歯学分野 助教
研究分野:法歯学、法科学
門叶 冬樹 Fuyuki Tokanai
山形大学 高感度加速器質量分析センター センター長
研究分野:原子核実験、加速器質量分析
櫻田 宏一 Koichi Sakurada
東京科学大学 医歯学総合研究科 法歯学分野 教授
研究分野:法歯学、法科学
関連リンク
お問い合わせ
東京科学大学 医歯学総合研究科 法歯学分野
准教授 斉藤 久子
- saitoh.hisako@tmd.ac.jp
- Tel
- 03-5803-4164
- FAX
- 03-5803-4163
山形大学 総務部 総務課 秘書広報室
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