病院排水中バイオフィルムが薬剤耐性進化の温床となる仕組みの一端を解明
薬剤耐性遺伝子の蓄積と活性化の実態を解明しワンヘルスに基づく環境標的型感染対策へ
ポイント
- 病院排水中のバイオフィルムが、カルバペネマーゼ遺伝子を高濃度に蓄積・活性化させている実態を明らかにしました。
- メタゲノム・メタトランスクリプトーム解析と全ゲノム解析を組み合わせ、バイオフィルム内で薬剤耐性遺伝子が活発に働く仕組みを解明しました。
- 病院排水中のバイオフィルムを標的とした新たな薬剤耐性対策や、環境モニタリングによる院内感染リスク評価への応用が期待されます。
概要
東京科学大学(Science Tokyo) 医歯学総合研究科 微生物・感染免疫解析学分野の太田悠介助教と齋藤良一教授らの研究チームは、病院排水環境に形成されるバイオフィルム[用語1]が、薬剤耐性遺伝子、特に広範囲の抗菌薬を無効化するカルバペム分解酵素(カルバペネマーゼ)[用語2]をコードする遺伝子の強力な潜伏・拡散リザーバーとして機能していることを、先端的なメタゲノム・メタトランスクリプトーム解析[用語3]により、世界で初めて動的に明らかにしました。
研究チームは、病院排水中に設置したプラスチック表面に形成された実際のバイオフィルムと排水を比較した結果、バイオフィルム内では、環境適応型の細菌群の定着や、可動性遺伝因子[用語4]と結びついた多様なカルバペネム耐性遺伝子群の発現が著しく活性化していることを見いだしました。
さらに、培養法と全ゲノム解析を組み合わせることで、実際にカルバペネマーゼを保有する多剤耐性菌をバイオフィルムから分離することに成功し、オミクスデータ解析の結果を裏付けました。
本成果は、人・動物・環境の健全性を一体として捉えるワンヘルスアプローチ[用語5]の視点から、薬剤耐性菌の環境中での動態の制御、さらには排水系を標的とした新たな院内感染防止策の構築に大きく貢献するものです。
本研究成果は、2026年6月23日(現地時間)に国際学術誌「Biofilm」にオンライン掲載されました。
背景
抗菌薬が効かない薬剤耐性菌の拡大は世界的な脅威となっており、2050年には年間822万人が薬剤耐性に起因して死亡すると予測されています。中でも、カルバペネム系抗菌薬を分解するカルバペネマーゼ産生菌は、多剤耐性を示すことが多く、治療を極めて困難にします。
これらの薬剤耐性菌や抗菌薬の残留物が集まる病院排水は、薬剤耐性の貯蔵庫として注目されてきました。しかし、排水管の壁面などに形成されるバイオフィルムが、薬剤耐性遺伝子の維持や拡散に対して具体的にどのような機能的役割を果たしているのかについては、特に実環境における網羅的な遺伝子レベルでの解析が十分に行われていませんでした。
研究成果
本研究では、東京科学大学病院の排水環境にバイオフィルムを形成させ、メタゲノム・メタトランスクリプトームの統合解析と単離菌解析を実施しました。
1. 高い薬剤耐性菌の蓄積性
薬剤耐性大腸菌の汚染率を調べたところ、バイオフィルム内には、周辺の排水と比較して著しく高濃度に耐性菌が蓄積していることが判明しました。
2. 独自の細菌相と多様な耐性遺伝子
バイオフィルム内では、環境適応能力に優れた細菌群が優占しており、blaIMP-1、blaIMP-11、blaNDM-1、blaOXA-23など、臨床的に重要な多様なカルバペネム耐性遺伝子群が検出されました。
3. 耐性遺伝子発現の活性化
網羅的な発現解析の結果、バイオフィルム内では、日本で最も蔓延しているblaIMPファミリー遺伝子の発現量が、排水中と比べて著しく増加していることを明らかにしました。これは、可動性遺伝因子が中心的なハブとして機能し、薬剤耐性遺伝子と周囲の環境細菌群を結びつけるネットワーク構造によるものと考えられます。
4. 培養による実証と全ゲノム解析
遺伝子発現解析の結果と一致して、バイオフィルムから実際にカルバペネム耐性を示すCitrobacter freundii や Pseudomonas aeruginosa など、計4株のblaIMP-1産生株を分離しました。全ゲノム解析の結果、耐性遺伝子は可動性遺伝因子に隣接して存在しており、これが環境ストレス下での高い遺伝子発現や、他菌種への伝播能力の源泉となっている可能性が示されました。
社会的インパクト
これまで、病院排水が薬剤耐性因子の「拡散」に関与することは知られていましたが、薬剤耐性の「進化」に果たす役割については十分に明らかになっていませんでした。
本研究は、排水管内のバイオフィルムという安定した構造体が、単に薬剤耐性遺伝子を高濃度に蓄積するだけでなく、遺伝子発現や可動性遺伝因子の再編を活発化させることで、薬剤耐性の獲得や拡散を促進する「薬剤耐性進化の温床」として機能していることを、世界で初めて動的に示しました。
この成果により、病院や都市の排水処理システムにおけるバイオフィルムの制御が、薬剤耐性菌の拡大や新たな耐性の進化を抑制するための重要な環境対策となることが明らかになりました。
今後の展開
本研究で得られた基盤的知見を基に、将来的には病院排水管内のバイオフィルム形成を特異的に抑制・除去する手法や、より効果的な管腔内洗浄プロトコルの開発に向けた応用研究への発展が期待されます。
また、排水環境モニタリングにおいて、「水」そのものの検査に加え、「付着バイオフィルム」を評価対象に加えることで、病院内や地域における未知の薬剤耐性菌の流行兆候をより早期に把握し、次世代の「環境動態型リスクアセスメント体制」の構築に貢献することを目指します。
付記
本研究の一部は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(KAKENHI)基盤研究(B)(23K28241、24K02682、26K03093)の助成を受けて実施されました。
用語説明
- [用語1]
- バイオフィルム:細菌が固体表面に付着し、自ら産生した多糖類やタンパク質などの細胞外マトリックスに包まれて形成される微生物の集合体。台所のぬめりや歯垢もその一種であり、薬剤の浸透を妨げて細菌を保護する性質を持つ。
- [用語2]
- カルバペネム分解酵素(カルバペネマーゼ):医療現場で重症感染症の切り札として使用される強力な抗菌薬「カルバペネム系抗菌薬」を分解して無効化する酵素。これを産生する細菌は多くの抗菌薬に耐性を示すため、世界的に警戒されている。
- [用語3]
- メタゲノム・メタトランスクリプトーム解析:環境中の微生物群から、培養を介さずにDNA(メタゲノム)やRNA(メタトランスクリプトーム)を丸ごと抽出し、次世代シーケンサーで網羅的に解析する手法。メタゲノム解析では「どのような遺伝子が存在するか」を、メタトランスクリプトーム解析では「それらの遺伝子がどの程度活発に働いているか」を明らかにする。
- [用語4]
- 可動性遺伝因子:ゲノム上を自律的に移動できる遺伝因子。薬剤耐性遺伝子を取り込み、他の細菌へ「水平伝播」させることで、薬剤耐性の急速な拡大を引き起こす主要な要因となる。
- [用語5]
- ワンヘルスアプローチ:人、動物、環境の健全性は互いに密接につながっているという考え方に基づき、これらを一体として捉え、分野横断的に課題の解決を図るアプローチ。
論文情報
- 掲載誌:
- Biofilm(Volume 12, 2026, 100377)
- タイトル:
- Genomic insights into activated antimicrobial resistance of in situ hospital-wastewater biofilm
- 著者:
- Yusuke Ota, Yoko Nukui, Yoshiaki Gu, Ryoichi Saito
研究者プロフィール
太田 悠介 Yusuke Ota
東京科学大学 医歯学総合研究科 微生物・感染免疫解析学分野 助教
研究分野:細菌学、感染症学、薬剤耐性
齋藤 良一 Ryoichi Saito
東京科学大学 医歯学総合研究科 微生物・感染免疫解析学分野 教授
研究分野:細菌学、感染症学、薬剤耐性
関連リンク
お問い合わせ
東京科学大学 医歯学総合研究科 微生物・感染免疫解析学分野
助教 太田 悠介
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