概要
東京科学大学 理学院 化学系の前田和彦教授、京都大学大学院人間・環境学研究科 山本健太郎 特定准教授(現:奈良女子大学 研究院工学系 准教授)、内本喜晴教授らの研究グループは、トヨタ自動車株式会社、東京大学、兵庫県立大学、東北大学と共同で、リチウムイオン二次電池[用語1]を超える次世代の二次電池として期待されている全固体フッ化物イオン二次電池[用語2]用の新規高容量インターカレーション[用語3]正極材料の開発に成功しました。本研究では逆ReO3型構造を有する窒化物Cu3N正極が、現在のリチウムイオン二次電池正極の2倍を優に超える550 mAh/gの高い容量を示すことを見出しました(図1)。フッ化物イオンの挿入・脱離機構をX線吸収分光法、共鳴非弾性X線散乱法[用語4]などさまざまな分析技術を用いて多角的に解析した結果、Cu3N正極はフッ化物イオン挿入時に構造内で分子状窒素を形成する(窒化物イオンの電荷補償を活用する)ことで、結晶構造から予想されるよりも遥かに多くのフッ化物イオンを可逆的に挿入可能にしていることを明らかにしました。これまでの蓄電池では、正イオンの遷移金属の価数変化を利用していましたが、負イオンである窒素の価数変化を活用した超セラミックス[用語5]正極材料の報告は世界初であり、従来と比べてはるかに高容量を実現できることから、蓄電池の革新が起こる可能性を示したものです。
本成果は、2025年1月13日に米国の国際学術誌「Journal of the American Chemical Society」にオンライン掲載されました。

背景
リチウムイオン二次電池は、高エネルギー密度、高入出力密度、長期耐久性などの理由から、電子機器などに広く用いられており、電気自動車用の電源としても応用されています。しかし、近年では、電気自動車の長距離化のニーズが高まっており、リチウムに頼らない高エネルギー密度の二次電池開発が求められています。現行のリチウムイオン二次電池を凌駕するエネルギー密度の二次電池を開発するためには、正極および負極に多電子反応を利用することが考えられますが、マグネシウムイオン(Mg2+)やアルミニウムイオン(Al3+)などの多価イオンは固体内での拡散が遅いことなど速度論的に不利な要素が多くあります。しかし、1 価のアニオンであるフッ化物イオン(F–)をキャリアとして用いる場合、F–はイオン半径が小さく(1.33 Å[用語6])、酸化物イオン(O2–)のイオン半径(1.40 Å)とほぼ同じであるにもかかわらず、 1 価であるため固体中の高速なイオン伝導が可能です。また不燃性の固体を電解質として用いることで安全性を向上させることができます。このような特徴からF–をキャリアとして用いる全固体フッ化物イオン二次電池は高エネルギー密度、高入出力密度、高安全性が理論的に見込める二次電池として注目を集めています。
全固体フッ化物イオン二次電池用の正極材料として、従来は金属/金属フッ化物が開発されてきましたが、これらの正極材料は充放電時、つまりフッ化/脱フッ化時における大きな体積変化のため、サイクル特性や入出力特性が乏しくなるという課題が存在します。そのため、電極材料のサイクル特性や入出力特性の課題解決に向けて、リチウムイオン二次電池で適用されている電極材料と同様に、トポタクティック[用語7]なF–のインターカレーション反応を利用する正極材料が開発されつつあります。これらの材料は金属/金属フッ化物と比較して、サイクル特性や入出力特性が劇的に向上するものの、利用可能な容量が小さくなるという問題点がありました。山本准教授、内本教授らのグループはこの問題を解決するために、これまで酸素分子結合形成を用いる酸フッ化物正極を開発してきましたが(2024年京都大学よりプレスリリース)、リチウムイオン二次電池の正極材料を超える容量は得られていませんでした。
研究手法・成果
本研究では逆ReO3型構造を有するCu3N窒化物が、結晶構造から予想されるよりもはるかに多くのF–を可逆的に挿入可能であり、既存のリチウムイオン二次電池正極材料の2倍を優に超える550 mAh g-1という高い可逆容量を示すことを見出しました(図1)。さらに大型放射光施設 SPring-8[用語8]におけるX線吸収分光法、共鳴非弾性X線散乱法などさまざまな分析技術を用いることで、Cu3N正極の反応機構を多角的に解析したところ、F–挿入時に正イオンである遷移金属に加えて負イオンである窒素が電荷補償を担っていること、窒素が電荷補償をする際に構造内で分子状窒素を形成することで結晶構造から予想されるよりもはるかに多くのF–の挿入を可能にしていることを明らかにしました(図2)。この反応機構がCu3N正極の高容量につながっています。

波及効果、今後の予定
本研究では逆ReO3型構造を有するCu3N窒化物がF–挿入時に構造内で分子状窒素を形成することで高い容量を示すことを世界で初めて見出しました。リチウムイオン二次電池においては、正イオンである遷移金属の価数変化(Co3+ → Co4+ + e–)を用いています。最近では負イオンである酸素からの分子状酸素の形成(2O2– → O2 + 4e–)が部分的に起こることが報告され、高エネルギー密度化に向けて開発が進められています。今回の窒素からの分子状窒素の形成(2N3– → N2 + 6e–)は酸素よりも多くの電子を取り出すことができること、負イオンの価数変化が従来のような部分的ではなく大規模に起こることで、超高容量を実現しました。今後、構造内での分子状窒素形成を利用した多量のF–の挿入・脱離反応を制御することによって、Cu3Nよりもさらに高容量を示すインターカレーション正極材料とそれを用いた高エネルギー密度の全固体フッ化物イオン二次電池の開発が期待されます。この正極を用いることにより、航続距離が従来のリチウムイオン二次電池を搭載した電気自動車の2倍を優に超える、安全な電気自動車の実用化を目指します。
研究プロジェクト
本研究の一部は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「超セラミックス:分子が拓く無機材料のフロンティア(課題番号: JP22H05143、JP22H05145、JP22H05146、JP22H05148)」、科学技術振興機構(JST)の先端国際共同研究推進事業「TopのためのASPIRE」「次世代複合アニオン科学:反応・構造制御と新機能」(課題番号:JPMJAP2408)による助成を受けて実施されました。
用語説明
- [用語1]
- リチウムイオン二次電池:エネルギー密度が高く、スマートフォンやノートパソコンなどの携帯機器や電気自動車の電源として利用されている二次電池です。正極・負極の電極と有機溶媒を用いた電解質が主な構成要素であり、リチウムイオンが動くことで充放電反応が進行します。移動用電源として用いられる場合、大型化とともにさらなる安全性の向上が開発の至上命題となっています。
- [用語2]
- 全固体フッ化物イオン二次電池:電解質として固体のフッ化物イオン伝導体が用いられ、正極・負極間でフッ化物イオンが動くことで充放電反応が進行する二次電池です。現在最も普及しているリチウムイオン二次電池と比較して、高エネルギー密度、高安全性、低コストが実現可能な次世代の二次電池系として期待されています。2011年以降に研究開発が加速しましたが、克服すべき課題も多くあります。
- [用語3]
- インターカレーション:物質の空隙に他の物質が挿入される現象または反応の総称です。
- [用語4]
- 共鳴非弾性X線散乱法:物質の内殻準位に共鳴するX線を照射し、散乱されたX線をエネルギー分解することによって、バルク敏感かつ元素ごとに、電子励起状態や振動などの物質が持つ素励起を調べることができる分光手法です。
- [用語5]
- 超セラミックス:無機材料に分子性のユニットを組み込んだ物質群を「超セラミックス」と定義しています。
- [用語6]
- Å:1 Åは10–10 m = 0.1 nmです。
- [用語7]
- トポタクティック:物質の基本骨格が保たれたまま、一部の元素が出入りすることを意味します。
- [用語8]
- 大型放射光施設SPring-8:世界最高性能の放射光を生み出す施設で、兵庫県の播磨科学公園都市にあります。理化学研究所が所有し、その運転管理と利用促進は高輝度光科学研究センターが行っています。ほぼ光速で進む電子が磁石などによってその進行方向を変えられると、接線方向に電磁波が発生し、その電磁波を放射光といいます。SPring-8では、この放射光を用いて、物質科学・地球科学・生命科学・環境科学・産業利用などの幅広い分野の研究開発が加速的に進められています。
論文情報
- 掲載誌:
- Journal of the American Chemical Society
- 論文タイトル:
- Cathode Design Based on Nitrogen Redox and Linear Coordination of Cu Center for All-solid-state Fluoride-Ion Batteries
- 著者:
- Datong Zhang, Kentaro Yamamoto, Zulai Cao, Yanchang Wang, Zhuoyan Zhong, Hisao Kiuchi, Toshiki Watanabe, Toshiyuki Matsunaga, Koji Nakanishi, Hidenori Miki, Hideki Iba, Yoshihisa Harada, Koji Amezawa, Kazuhiko Maeda, Hiroshi Kageyama, and Yoshiharu Uchimoto
- DOI:
- 10.1021/jacs.4c12391
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