どんな研究?
矯正歯科治療とは、さまざまな矯正器具を介して力を加え、少しずつ歯を動かすことで歯並びやかみ合わせを改善する治療です。歯を動かすとき、歯の根元(歯根)の周りの骨や組織がどのように変化するのかという仕組みは、「メカノトランスダクション(力を細胞に伝える仕組み)」や「圧力-張力説」などで説明されています。
では、矯正力で歯を押すと何が起こるのでしょうか?これまでは、歯が移動する側(圧縮側とよばれています)の歯根周囲に局所的な酸素不足(低酸素)が起こり、それが歯槽骨を壊して吸収する現象を引き起こすと言われてきました。しかし、低酸素そのものが歯の動きをどれほど左右するのか、あるいは全身がずっと低酸素状態にある場合、例えば、肺や血液の病気、喫煙、高地での生活などによって体全体に酸素が行きわたりにくくなるような状態にある場合、歯はどう動くのか、また歯が動いた後の歯槽骨の状態など、実際の治療で重要となる点については、まだ明らかになっていないことが多くあります。
ここが重要
東京科学大学(Science Tokyo)の森山啓司(もりやま・けいじ)教授と小林起穗(こばやし・ゆきほ)歯学部内講師らの研究チームは、ラットを使った実験で、全身の低酸素状態が歯の動きや骨の変化にどう影響するのかを世界で初めて詳しく調べました。
その結果、全身が低酸素の状態にあると、通常よりも1.6倍も早く歯が動くことがわかりました。その理由は、圧迫側で骨を壊す破骨細胞が増える一方、その反対側の引っ張られた側では骨を作る骨芽細胞が減ったためでした。研究チームは、このような現象に関わる細胞や遺伝子のレベルでの変化を詳細に調べ、低酸素状態では血管を増やす物質や、骨づくりを指令するタンパク質が減ることを突き止めました。つまり、圧縮でも引っ張りでも、低酸素状態は骨を壊す方向に働き、骨をつくる力を弱めてしまう可能性があるのです。
通常の矯正歯科治療では、圧縮側で血流が低下して局所的に低酸素状態が起こり、破骨細胞が働いて骨が吸収されます。一方、反対側の引っ張り側では酸素が十分に行き渡るため、骨芽細胞が活発になり新しい骨がつくられます。このように、「骨を壊す」反応と「骨をつくる」反応が両側でバランスよく進むことで、歯が少しずつ動いていくのです。
今後の展望
この研究は、矯正歯科の分野に大きな影響を与える可能性があります。なぜなら、歯の動きに関わる酸素の役割を、全身レベルで初めて示したからです。現在では、子どもだけでなく、40~50代の大人も矯正歯科治療を受けています。その中には、喫煙や持病などによって、体内で低酸素状態になりやすい人も少なくありません。この研究で明らかになった「低酸素が歯の動きに与える影響」は、そうした人たちに対して、より効果的で安全な治療法を考える上で、重要なヒントになるかもしれません。
研究者のひとこと
酸素が足りないと、歯の動きはどうなるのだろう? そんなシンプルな疑問が出発点でした。しかし、全身の低酸素環境が骨や細胞レベルでこのような影響を及ぼすとは、私自身にとっても驚きでした。今後もこの成果を活かし、矯正歯科治療をさらに良いものにしていきたいと考えています。
(森山啓司:東京科学大学 医歯学総合研究科 顎顔面矯正学分野 教授 / 東京科学大学 国際医工共創研究院 口腔科学センター センター長)
矯正歯科治療の対象年齢は、子どもだけではなく40代、50代へと広がってきています。さまざまな病気をお持ちの方が安心して矯正歯科治療を受けられ、口腔の健康がさらに増進されるよう、今後も研究を進めていきたいと思います。
(小林起穗:東京科学大学 医歯学総合研究科 顎顔面矯正学分野 ・歯学部内講師)
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