固体NMRにおける高効率13C–13Cスピン分極移動法の開発

2026年3月13日 公開

神経変性病関連の凝集タンパク質の速やかな構造解析に向けて

ポイント

  • 信号移動の効率が極めて高い、炭素–炭素相関の固体NMR手法を開発。
  • 炭素–炭素間の磁化移動を半選択的に生じさせることで、最新の超高速MAS法を使った測定において最大で3倍(平均1.7倍)と高い信号移動効率を実現。
  • 高次元固体NMRによる凝集タンパク質の構造解析を高速化することで、神経変性疾患の原因解明・治療法開発に寄与。

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 生命理工学院 生命理工学系の石井佳誉教授、松永達弥助教らの研究チームは、固体NMR[用語1]で炭素–炭素間の核スピン分極の移動[用語2]を高効率で実現する新しいNMR測定法であるSMART-HCP法を開発しました。本手法を用いてタンパク質の主鎖中の炭素–炭素間の磁化移動を半選択的に生じさせることで信号感度を向上させ、従来法と比較して最大で3倍の感度増加が得られることを示しました。これは測定時間を1/9に減らす事につながります。

近年、超高速MAS法[用語3]を使った多次元固体NMR測定[用語4]によるタンパク質の構造解析が広まっています。アルツハイマー病[用語5]など、いくつかの病気はタンパク質が異常な構造をつくり、アミロイドと呼ばれる凝集体を形成する事が原因と言われており、凝集した生体高分子の構造解析は病気の原因解明や治療薬の開発において非常に重要です。多次元固体NMRはこれらの凝集した生体高分子に対して、核スピン分極由来の磁化が生む信号の原子間の移動を観測する事で原子レベルでの構造情報が得られる強力な測定法ですが、磁化移動に伴う信号減少のため測定時間が長くなるという問題があります。特に4次元以上の高次元NMR測定では多くの磁化移動ステップを伴うため、1ヵ月以上の測定時間が必要になり実験が実質的に不可能になることも珍しくありません。そのため、信号感度を上げるための高効率な磁化移動手法が常に求められています。

本研究で開発したSMART-HCP法は、超高速MAS下で狙った炭素–炭素間の磁化移動の選択性を高めることで、不要な磁化移動による信号の損失を抑え、測定時間の大幅な短縮を可能にします。これにより、これまで不可能であった高次元固体NMR実験を可能として、タンパク質の構造解析がよりスムーズに行われることが期待できます。

本成果は、2月2日付(現地時間)の「ACS Measurement Science Au 」に掲載されました。

図1. プロテインG B1ドメインの13Cα13CO2次元NMRスペクトル。左は従来手法であるDREAM法、右は本研究で開発したSMART-HCP法を使い、13Cα13CO間で磁化移動を行った。SMART-HCP法で測定した信号感度は最大で3倍(平均1.7倍)大きくなった。従来手法では、信号感度を3倍にするために32≃9倍の実験時間が必要となる。

背景

認知症の6割以上を占めるアルツハイマー病は、アミロイドβと呼ばれるたんぱく質が変性した凝集体が脳神経を傷付ける事が原因と考えられています[参考文献1]。アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患の原因の解明や治療薬の開発においては、変性タンパク質の構造に着目することが多く、固体NMRはこれらの凝集したタンパク質などの構造を崩すことなく、原子レベルの情報を測定出来る非常に強力な構造解析手法です[参考文献2]。近年では、単純な1次元測定と比べて多くの情報が得られる多次元固体NMRによるタンパク質の構造解析が広く使われるようになってきました。

他方で、研究の進展と共に複雑な試料の解析のニーズが生じており、より分解能が高い4次元以上の高次元固体NMRの利用の必要性が高まっています。しかし、高次元NMRの測定時間は多くの場合で1次元測定の数百万倍以上と非常に長く、測定時間を大幅に短縮するための手法の開発が求められています。高次元NMRは複数の核間の磁化移動のステップを必要とすることから、各ステップでの磁化移動の効率を高めることが大幅な測定時間の短縮に直結します。

研究成果

本研究は多次元固体NMRにおいて高効率な磁化移動を実現するSMART-HCP法を開発しました。この方法では、磁化移動が起きる条件を明確にする事で特定の炭素間磁化移動を半選択的に起こし、磁化移動の効率を最大で3倍(平均1.7倍)高くする事に成功しました。これは従来の磁化移動法と比較して最大9倍のNMR測定の高速化が可能となります。つまり、従来法では1ヵ月の実験時間が必要である実現困難な高次元NMR実験が、SMART-HCP法を用いることで最短3日程度で容易に実装可能になります。

また、この手法は近年、高分解能NMRスペクトルを得るために用いられている超高速MAS法[参考文献3]と相性が良く、測定試料を回転させる速度が大きくなるほど磁化移動効率が高くなります。そのため、今後さらに高速なMAS法を用いて測定する際にSMART-HCP法を適用することで、実験の高速化に寄与する事が期待されます。

社会的インパクト

タンパク質は炭素2つと窒素1つが交互に並ぶ主鎖構造と、炭素鎖からなる側鎖構造を持ち、NMRによる構造解析を行う上で炭素–炭素間の磁化移動は必須とも言える技術です。そのため、本研究で開発したSMART-HCP法は多くの構造解析において大幅な測定時間の短縮をもたらします。また、治療薬としても利用される抗体などがアミロイド凝集体に結合した複合体などをターゲットとした高次元固体NMRへの利用が期待されます。

今後の展開

本研究室では今回開発したSMART-HCP法を使い、アミロイドβを始めとした変異タンパク質の構造解析や発生メカニズムの解明を行っていく予定です。

付記

本研究はJSPS科学研究費助成事業(JP22K18328)、および一部JST-MIRAI Program (JPMJMI17A2)による支援を受けて実施されました。

参考文献

[参考文献1]
アルツハイマー型認知症:V.H. Finder, J. Alzheimer's Dis. 22, 2010, S5−S19.
[参考文献2]
固体NMRによるタンパク質解析:J. Stanek, et al., Angew. Chem., Int. Ed. 2016, 55 (50), 627 15503−15509.
[参考文献3]
超高速MAS:A. Wickramasinghe, et al., Solid State Nucl. Magn. Reson. 617 2015, 72, 9−16

用語説明

[用語1]
固体NMR:固体試料を対象とした核磁気共鳴(NMR)測定。測定は1つの同位元素(1Hや13C)に対して行われる。同じ同位体であっても化合物によって化学シフトと呼ばれる信号の周波数が異なるため、例えば水とアルコールが混ざっている場合でも、それぞれの1H信号を分けて測定する事ができる。NMRでは原子核が持つ小さな磁化を測定しており、試料の原子レベルでの情報が得られる。また、タンパク質の機能は固体状態での構造が大きく関わっており、固体NMRによる構造解析が病気の原因解明において非常に重要である。
[用語2]
核スピン分極の移動:原子核の持つ小さい磁化を生み出す核スピンの分極を別の原子の核スピンへ移動させる手法。磁化の移動は化学結合を持つ、または距離の近い原子間で起こるため、この情報を基にスペクトルと原子の紐づけや、分子構造の決定ができる。
[用語3]
超高速MAS法:固体試料を毎秒6万回転以上で高速回転させる事で、非常に高分解能かつ高感度な固体NMR信号を測定する技術(Magic-Angle Spinning, MAS)。一般に固体NMRはピークの幅が広く、複数のピークが重なってしまうが、MAS法によりピークを分離できる。回転が速いほど分解能や信号感度が向上し、毎秒6万回以上では広く使われている1Hや13CのNMR信号がはっきりと分離するようになるため高分解能測定の1つの指標となっている。
[用語4]
多次元固体NMR測定:磁化移動を使い化学シフトで分けられた2つ以上のスペクトルを連動して測定する手法。結合している原子や距離の近い原子のNMR信号同士を結びつける事ができる。高次元NMRでは4つ以上のスペクトルを連動する。
[用語5]
アルツハイマー病:認知症の6割以上を占める神経変性疾患。アミロイドβと呼ばれるペプチドが脳内で繊維上に固まり沈着する事で脳神経を傷つけ発症すると考えられている。アミロイドβは本来無害なペプチドであるが、変性し特異な分子構造を採る事によって毒性を示す。アルツハイマー病の様に変性したタンパク質によって引き起こされる病気がいくつか知られており、近年、病気の解明や治療に向けたタンパク質の構造に基づいた研究が広く行われている。

論文情報

掲載誌:
ACS Measurement Science Au
タイトル:
Breaking the 13C–13C Polarization Transfer Barrier for High-Dimensional Protein Solid-State NMR with Ultra-fast MAS
著者:
Tatsuya Matsunaga, Tsukito So, Ryo Takahashi, Yoshiki Shigemitsu, and Yoshitaka Ishii

研究者プロフィール

石井 佳誉 Yoshitaka Ishii

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 教授
研究分野:物理化学、構造生物学

松永 達弥 Tatsuya Matsunaga

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 助教
研究分野:物理化学

宗 月都 So Tsukito

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 大学院生(修士課程修了)
研究分野:分子生物学

高橋 涼 Ryo Takahashi

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系 大学院生(修士課程修了)
研究分野:分子生物学

重光 佳基 Yoshiki Shigemitsu

東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 研究員
研究分野:分子生物学

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