化学結合なしで電気的に半導体をキラル化

2025年12月15日 公開

「電気的キラリティ制御」という新パラダイムを開く

ポイント

  • 非キラルな半導体界面にキラリティを電気的に誘起
  • キラルイオン液体を組み込んだ電気二重層トランジスタにより、キラル分子イオンの半導体界面への吸着を制御
  • 化学結合を介さずに半導体をキラル化する新技術として期待

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 理学院 化学系の谷口耕治教授、黄柏融(コウ・ヴォロン)助教、安藤吉勇准教授らの研究チームは、東京大学 物性研究所の井手上敏也准教授、田中未羽子助教、西尾祐希人大学院生(修士課程)の研究チームと共同で、キラル[用語1]な分子イオンを電場の力で半導体表面に吸着させることにより、化学結合を伴わずに半導体界面の電子状態にキラリティを誘起することに成功しました。

「右手」と「左手」の性質にあたる「キラリティ」は、化学・物理学・生物学の多様な現象を支える基本概念です。これまで、アキラル(非キラル)な物質にキラリティを付与する場合には、キラルな官能基や有機配位子を分子や金属に共有結合などの化学結合を介して導入する手法が一般的でした。しかしこの手法の場合、いったん物質を合成するとキラリティを制御することは困難です。そのため近年では、強い化学結合を介さないキラリティ制御法が関心を集めています。

本研究では、キラル分子からなるイオン液体(キラルイオン液体[用語2])を組み込んだ電気二重層トランジスタ[用語3]を構築し、電場を印加してキラル分子をアキラルな半導体MoS2の表面に吸着させることで、電気伝導性を持つ界面を形成しました。この半導体上に形成された電気伝導性界面において、キラリティ誘起スピン選択性(CISS)[用語4]磁気キラル効果[用語5]といったキラリティに依存する電気伝導特性を調べたところ、キラルな電子状態が誘起されていることが確認されました。

今回開発した手法では、化学結合を介さずに、電気的にキラル分子の吸着・脱離を可逆的に制御することが可能です。今回の研究成果は、電気的キラリティ制御という新しいパラダイムを開く重要な一歩として期待されます。

本成果は、11月21日付(米国東部時間14時)の「Science Advances」誌に掲載されました。

分子吸着によるキラル電子状態の創出

背景

「右手」と「左手」の性質に対応する「キラリティ」は、分子構造や結晶対称性、さらには電子状態やスピン[用語6]秩序など、化学・物理・生物学の幅広い階層に関与する基本概念です。自然界に存在するアミノ酸や糖類、DNAなどの生体分子は一方のキラリティのみを持っており、この不斉性が生命機能の発現に本質的な役割を果たしています。また近年では、光や電子スピンといった物理的自由度に対してもキラル対称性が影響を及ぼすことが明らかとなり、キラリティは化学反応制御から光電子物性、スピントロニクスに至るまで、先端材料科学における重要なキーワードとなっています。

従来、アキラルな物質にキラリティを付与するには、キラルな官能基や有機配位子を対象となる分子や金属中心に、共有結合のような化学結合を介して導入する手法が主流でした。しかしそのような化学的修飾は、分子構造そのものにキラル要素を固定的に組み込む手法であるため、合成後のキラリティ反転や可逆的制御は事実上困難でした。

一方で近年、層状ファンデルワールス化合物や金属・半導体ナノ粒子表面などにキラル分子を挿入または吸着するだけで、キラリティに起因する電子物性が観測されることが報告されています。これらは、分子のキラル情報が界面電子系に転写される現象であり、強い化学結合を伴わずにキラリティを誘起するアプローチとして注目されています。

研究成果

本研究では、キラル分子イオンを含むイオン液体をゲート媒質として用いた電気二重層トランジスタ(EDLT)構造を構築し、このEDLTのゲート電極に電圧を印加することで、アキラルな半導体MoS2表面へのキラル分子イオンの吸着を制御しました(図1A)。EDLTにより形成される電気二重層は、ナノメートルスケールの厚さを持つ高容量キャパシタとして機能するため、極めて強い局所電場を発生させ、半導体界面に高密度のキャリアドーピングを実現できます。実際に、本研究で作製したEDLTでも、半導体界面への電子ドーピングに成功し、試料冷却とともに電気抵抗が減少する金属的伝導状態を誘起できることを確認しました(図1B)。

図1.(A)電気二重層トランジスタを利用したキラル分子カチオン吸着制御の概念図。(B)シート抵抗(電気抵抗)の温度依存性。VGはゲート電圧。
図2.(A)キラリティ誘起スピン選択性(CISS)の概念図。(B)CISS測定用のEDLTの模式図。

このようにして得られた界面の金属状態を調べるため、その電気伝導特性を詳細に測定しました。その結果、キラリティに対応して一方のスピンを持つ電子のみが選択的に透過するキラリティ誘起スピン選択性(CISS、図2)が観測されました(図3)。さらに、外部磁場の印加下では、キラリティに応じて電流の流れやすい向きが反転する磁気キラル効果も確認され、半導体界面の電子状態にキラリティが誘起されていることが明らかになりました(図4)。

これらの結果は、アキラル半導体にキラル分子を化学結合させることなく、単に電気的に吸着させるだけで、表面に「キラルな電子状態」を生成できることを実証するものです。本成果は、従来の化学修飾を必要とするキラリティ導入法とは本質的に異なる、新しい電気的キラリティ制御のアプローチを提示しています。

図3.(A)R体、S体分子と(B)ラセミ体[用語7]分子を吸着したMoS2表面の磁気抵抗。磁場の正負が強磁性のNi電極のスピンの向きに対応する。CISSでスピン偏極電流が生じた場合、Ni電極中のスピンと電流中の電子のスピンが平行であれば抵抗が減少し、反平行であれば抵抗が増加する。
図4.(A)R体、S体分子と(B)ラセミ体分子を吸着したMoS₂表面のキラル磁気抵抗。磁場と電流が平行な条件で測定した抵抗で、磁場の正負は電流の流れる向きが逆であることを表す。電流の流れやすい向きが吸着分子のキラリティに依存することが確認できる。

社会的インパクト

今回の研究で示された新しい手法では、電場の力によってキラル分子イオンを半導体表面に吸着・脱離させることで、有機・無機ハイブリッド界面のキラリティ状態を電気的に制御できます。これは、化学反応を伴わずに、電気信号だけで「キラル」と「アキラル」の状態を切り替えることができる、まったく新しいアプローチです。この技術が発展すれば、電気的にキラリティを操作できる新しい電子デバイスや、スピンを制御する次世代スピントロニクス[用語8]素子の実現につながります。また、キラルな光応答や化学反応制御など、幅広い分野への応用も期待されます。

今後の展開

イオンの動きを電子デバイスの制御に応用する「イオントロニクス」は、電子とイオンという異なるキャリアを融合させた新しい学際的研究分野として注目を集めています。本研究の成果は、そのイオントロニクスの概念に「キラリティ」という新たな自由度を導入した点に大きな特徴があります。

今後はこの成果を発展させることで、キラル分子イオンの動きと電子の流れを融合させた「キラルイオントロニクス」という新しい技術分野の創出が期待されます。電場によってキラル状態を自在に切り替えられるこの技術は、将来的にスピントロニクスや光電子デバイス、不斉触媒系など、幅広い分野への応用が見込まれます。

さらに、化学的にキラルな構造をもたない物質でも、外部刺激によってキラリティを誘起できることが示されたことから、これまで研究対象とされてこなかった多様な物質系において新しい不斉電子物性が見いだされる可能性があります。

このように、「電気でキラリティを操る」というこれまでにない発想を実証した今回の研究成果は、物質科学やエレクトロニクスに新たな展開をもたらす重要な一歩となることが期待されます。

付記

本研究は、科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「キメラ準粒子(JP24H02234、JP25H02117)」、東レ科学技術研究助成、ヒロセ財団研究助成、住友財団基礎科学研究助成、科学研究費助成事業(JP23K26527、JP23H01834、JP25K17936、JP23H00088、JP24H01176)による助成を受けて行われました。

用語説明

[用語1]
キラル:図形や物体が、その鏡像と重ね合わすことができない性質を持つこと。右手と左手の関係があること。
[用語2]
イオン液体:プラスとマイナスの電荷を持つイオンから構成される、常温で液体の状態を保つ塩の一種。
[用語3]
電気二重層トランジスタ:イオン液体などを使って材料表面に非常に強い電界をかけ、電気伝導性を調整できる電界効果トランジスタ。
[用語4]
キラリティ誘起スピン選択性(CISS):キラルな物質中を電子が通過するとき、電子のスピンの向きによって通りやすさが変わる現象。
[用語5]
磁気キラル効果:磁場下の(または自発磁化を持つ)物質がキラル構造を持つとき、光や電流の進む向きによって異なる物性(光吸収や電気伝導など)が現れる現象。
[用語6]
スピン:電子などの粒子が持つ固有の磁石の向きに対応する性質で、上向き・下向きの2つの状態をとる。
[用語7]
ラセミ体:キラルな分子などで、2つの鏡像異性体が等量(1:1)で混ざり合った状態。
[用語8]
スピントロニクス:電子の持つ電気的な性質(電荷)に加えて、磁気的な性質(スピン)も活用することで、より高性能で省エネルギーなデバイスを実現しようとする研究分野。

論文情報

掲載誌:
Science Advances
タイトル:
Proximity-induced chirality at the achiral conductive interface by electrical control of enantiopure ion adsorption
著者:
Po-Jung Huang, Yoshio Ando, Miuko Tanaka, Yukito Nishio, Toshiya Ideue, Kouji Taniguchi

研究者プロフィール

谷口 耕治 Koji Taniguchi

東京科学大学 理学院 化学系 教授
研究分野:固体物性化学、固体物理学

黄 柏融 Po-Jung Huang

東京科学大学 理学院 化学系 助教
研究分野:固体化学、分子物性

安藤 吉勇 Yoshio Ando

東京科学大学 理学院 化学系 准教授
研究分野:有機合成化学、天然物合成

井手上 敏也 Toshiya Ideue

東京大学 物性研究所 准教授
研究分野:物性物理学

田中 未羽子 Miuko Tanaka

東京大学 物性研究所 助教
研究分野:物性物理学

西尾 祐希人 Yukito Nishio

東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 修士課程1年
研究分野:物性物理学

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