水電解用金属硫化物触媒の包括的活性指標の発見

2025年7月23日 公開

持続可能な水素社会実現への大きな飛躍

ポイント

  • 金属硫化物の触媒活性の指標を明らかにするために、多種多様な金属から成る硫化物を系統的に調査
  • 水電解の陽極反応に用いる金属硫化物触媒の活性が、含まれる金属のd電子数によって決定されることを発見
  • 水素製造用触媒の高活性化に有用な設計指針を提案することで、水素社会の実現に貢献

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 総合研究院 化学生命科学研究所の山口猛央教授、菅原勇貴助教、Maxim Shishkin(マキシム・シシキン)特任助教(研究当時)、同物質理工学院 応用化学系の内山大生大学院生(研究当時)らの研究チームは、再生可能エネルギーを活用した水の電気分解(水電解)による水素製造において、陽極の酸素発生反応の触媒として注目される金属硫化物の活性が、金属の「d電子数」によって決定されるという、これまで知られていなかった法則を世界で初めて明らかにしました。

水電解は、脱炭素の達成およびエネルギー資源問題の解決を目指すなかで、再生可能エネルギーの電力を使用して、水から水素を作る技術として実用化が期待されています。水電解反応に用いる触媒として金属硫化物は有望ではあるものの、これまでは触媒の高性能化のための指針がなかったため、研究開発が遅れていました。

本研究は、電気化学触媒の分野に新しい基礎的知見をもたらすともに、持続可能な水素社会の実現に向けた触媒材料の効率設計に、有用な指針を与えるものです。

本成果は、英国王立化学会(RSC)の「Catalysis Science & Technology」誌に7月22日付で掲載されました。

背景

地球温暖化やエネルギー資源の枯渇といった課題に直面する現代社会において、再生可能エネルギーを活用した水素製造は、脱炭素社会の実現に向けた重要な技術とされています。特に風力発電や太陽光発電で得た電気を、水の電気分解(水電解)に用いることで、エネルギー密度[用語1]が高い燃料である水素を製造し、貯蔵・運搬を経て水素タービンや燃料電池発電の燃料として使用するシナリオが提唱されています。この水電解技術は、地球上に無尽蔵に存在する水から水素を製造することが可能で、二酸化炭素を排出しない手法でもあることから、エコフレンドリーの観点から近年注目を集めています。

水電解では、陰極での水素発生反応と比べて、陽極での酸素発生反応の過電圧[用語2]が大きく、水電解反応全体の律速[用語3]になっています。陽極での反応速度を向上させるためには触媒[用語4]が必要で、陽極用高活性触媒の開発が重要な課題でした。ルテニウムやイリジウムといったレアメタルはこれまでに水電解の陽極用触媒として高い活性が報告されていますが、非常に高価格であることが課題でした。一方、電解質としてOHなどアニオンを伝導させる高分子膜[用語5]を用いたアニオン交換膜型水電解(図1参照)は、が塩基性のため、酸性環境では溶解してしまう鉄、ニッケル、コバルトなどの安価な金属ことができ、脱レアメタルによる抜本的なコスト削減が期待されます。

再生可能エネルギーを用いた水電解

図1. OHが伝導する高分子膜を電解質とした「アニオン交換膜型水電解」の概略

これまで鉄、ニッケルなどといった安価な金属を用いた水電解陽極用触媒の研究は盛んに行われてきました。最も多くの研究例が報告されている材料は、金属と酸素が結びついた固体材料である金属酸化物です。金属酸化物の触媒活性の指標は、材料の電子軌道[用語6]エネルギー[参考文献1]や、金属-酸素間の結合長[参考文献2]などが知られています。しかし金属酸化物よりも優れた触媒活性が報告されている、金属と硫黄が結びついた金属硫化物(図2)に関しては、触媒活性の決定因子に関する体系的研究はほとんどなく、触媒活性の指標が明確ではありませんでした。活性の指標を明らかにし、それに基づく設計指針を獲得することができれば、高性能触媒の開発を効率化させることが可能です。

図2. 金属硫化物の一例: 硫化コバルト(CoS2)の結晶構造

研究成果

本研究では、な金属から成る9種類の金属硫化物(MnS、CoS2、NiS、CuS、Cu2S、MoS2、ZnS、NiCo2S4、CoNi2S4)を選択し、水電解陽極反応に対する触媒活性を解析することで、活性を決定する要因について系統的に調査しました。上記金属硫化物を水熱法[用語7]などで合成し、各触媒の表面比活性[用語8]を評価しました。さらに、各金属硫化物について、密度汎関数理論(DFT)[用語9]による第一原理計算[用語10]を用いて、各触媒に含まれる金属原子の電子軌道中で化学反応に関与するd軌道[用語11](図3参照)に存在する電子の数を計算しました。

図3. 金属原子の電子軌道の概要およびd軌道の位置

解析の結果、図4で示すように金属の有するd電子数と活性の間には相関が見られ、触媒活性が金属のd電子数に対して、「火山型プロット」を描くことが判明しました。これはd電子数が少なすぎると、触媒表面に吸着[用語12]した水電解の陽極反応の反応中間体(OH*)[用語13]との結合が強すぎて反応が進みにくくなり、逆に多すぎると結合が弱すぎて反応中間体が不安定になるため、最適なd電子数(約7–8個)で最大の触媒活性が得られることを表しています。このような「火山型」の関係は、金属酸化物では一部報告されていましたが、金属硫化物においては世界で初めて体系的に示されました。さらにX線による触媒表面の分析によって、触媒表面への吸着の強さは金属のd電子数と相関関係にあることが裏付けられました。

当成果は、金属のd電子数を指標とすることで、より高性能な金属硫化物触媒の開発が可能になることを意味します。従来の金属硫化物触媒の研究では、材料に含まれる金属元素をさまざまに変えて試行錯誤することで高活性な触媒を探索していました。そのため材料開発に多くの時間と労力を必要し、非効率なものとなっていました。本研究で明らかにした金属硫化物の包括的活性指標を用いれば、高活性触媒の設計開発を大幅に効率化できます。

図4. 金属原子の電子軌道の種類

社会的インパクト

2015年締結のパリ協定では、将来的な世界の気温上昇を1.5℃以内に抑えることが目標とされています。そのため、脱炭素および水素社会の実現は必須と考えられており、CO2を排出しない風力・太陽光といった再生可能エネルギーを用いたグリーン水素製造法の普及が求められています。これまでに知られている高活性な水電解用電極触媒は、高価な貴金属のイリジウムやルテニウムを含むため、実用化にはコストと供給量の問題がありました。しかし、本研究で調査した金属硫化物は安価な金属および硫黄で構成されており、これらは地球上に豊富に存在しているため、資源の制約を受けない有用な材料です。

以上より本成果は、(1)化石資源依存から脱却したCO2を排出しないエネルギー変換システムの構築、(2)水から水素を製造し貯蔵・輸送して使用する「Power to Gas」の推進による脱炭素社会の実現、(3)希少なレアメタル使用の低減に貢献します。

今後の展開

本研究により、d電子数が7–8個の場合に触媒活性が最大になる」という設計指針を獲得しました。触媒の探索対象を上記d電子数に当てはまる材料に絞り込むことができるため、金属硫化物を水電解用触媒に応用する研究が今後より一層進展すると期待されます。またd電子数という活性指標は金属硫化物触媒のみならず、金属リン化物、金属窒化物といった別の化合物群にも適合する可能性を有しています。

一方で、今後の重要な課題に触媒の長期耐久性が挙げられます。高活性な触媒だとしても、耐久性が低く寿命が短ければ、コストが高くなり実用上の問題となってしまいます。従って触媒の実用化には、活性だけでなく耐久性も求められます。水電解用触媒の活性向上のための設計指針にはさまざまな報告がありますが、耐久性指標の提案は現状あまり見られません。触媒の活性と耐久性、両面からの設計指針が確立されれば、実用レベルでの水電解用触媒に最適化され、持続可能な水素社会の実現に近づくでしょう。

付記

この成果は国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託業務の一環として得られました。本研究の一部は東京科学大学のスーパーコンピュータTSUBAME4.0を利用して実施されました。

参考文献

[1]
Wesley T. Hong, Kelsey A. Stoerzinger, Yueh-Lin Lee, Livia Giordano, Alexis Grimaud, Alyssa M. Johnson, Jonathan Hwang, Ethan J. Crumlin, Wanli Yang, Yang Shao-Horn, Energy Environ. Sci. 2017, 10, 2190–2200
[2]
Yuuki Sugawara, Satomi Ueno, Keigo Kamata, Takeo Yamaguchi, ChemElectroChem, 2022, 9, e202101679

用語説明

[用語1]
エネルギー密度:物質を燃焼させる際に得られる重量あたりのエネルギー。
[用語2]
過電圧:電気化学反応が発生する理論的な電位と、実際に実験で反応が発生する電位との差。過電圧が大きいほど余計に電圧をかける必要があり、非効率な反応になる。
[用語3]
律速:一連の反応過程で最も速度が遅く、反応過程全体の速度を決定する段階。この段階の速度が向上すれば、反応全体の速度が上がる。
[用語4]
触媒:それ自体は変化せず、他の分子の化学反応速度を高める作用を持つ物質の総称。
[用語5]
高分子膜:小さな繰り返し単位から構成される巨大分子の溶液を乾燥させて、薄く伸ばして膜状に加工したもの。
[用語6]
電子軌道:物質を構成する原子の中で、電子が存在することが可能な領域。s軌道、p軌道、d軌道、f軌道などの種類があり、軌道の形状やエネルギー準位が異なる。
[用語7]
水熱法:高温高圧下の水溶液中で分子を反応させて材料の合成や結晶化を行う手法。常圧下の水の沸点(=100℃)以上の温度で反応させられるため、常圧下では得られない物質を合成することが可能。
[用語8]
表面比活性:固体触媒が有する性能を定量的に表す値。本研究では触媒粒子の表面積あたりの電流値で示され、単位はmA cm−2
[用語9]
密度汎関数理論:物質中の電子のエネルギーは電子の密度で全て表現できるとする理論。分子の最安定構造の同定や、電子軌道の解析、エネルギー値の算出などに利用される。
[用語10]
第一原理計算:経験的なパラメーターを用いずに、量子論的な波動方程式を解く理論計算手法。原子・分子・固体等の構造や安定性、反応性を解析することが可能。
[用語11]
d軌道:電子軌道の種類の。さらに形状の異なる五つの軌道に細分化される。d軌道に存在する電子が、水電解反応の進行に重要な役割を担う。
[用語12]
吸着:材料の表面に他の分子が物理的または化学的な引力で引き寄せられ、表面近傍に局在化する現象。
[用語13]
反応中間体:化学反応過程で、反応物が最終生成物に変化するに一時的に存在する分子。

論文情報

掲載誌:
Catalysis Science & Technology
タイトル:
Electrochemical Oxygen Evolution Catalysis of Metal Sulfides: A Systematic Study of Electronic Effects
著者:
Yuuki Sugawara, Taisei Uchiyama, Maxim Shishkin, Takeo Yamaguchi*

研究者プロフィール

菅原 勇貴 Yuuki SUGAWARA

東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 助教
研究分野:水電解、燃料電池、インフォマティックス

内山 大生 Taisei UCHIYAMA

東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 修士課程
研究分野:水電解

Maxim Shishkin Maxim SHISHKIN

東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 特任助教
研究分野:計算科学、燃料電池、水電解

山口 猛央 Takeo YAMAGUCHI

東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 教授
研究分野:水電解、燃料電池、水処理膜、病気診断膜

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