ポイント
- 固体酸化物薄膜中でナノスケールの銀原子フィラメントによる金属電極からアセチレン分子への配線に成功
- 非弾性トンネル分光計測により、アセチレン分子が銀原子フィラメントに接続されていることを実験的に確認
- 分子の機能性を活用した分子素子への応用で、低消費電力素子の開発に期待
概要
東京科学大学(Science Tokyo)理学院 化学系の相場諒大学院生(在籍時)、西野智昭准教授、物質理工学院 材料系の西室碩人大学院生、金子哲准教授らの研究グループは、物質・材料研究機構 ナノアーキテクトニクス材料研究センターの鶴岡徹博士、寺部一弥博士、 産業技術総合研究所のMarius Buerkle(マリウス・ビュルクレ)博士らとともに、固体酸化物中の有機分子に電気的に配線する手法を開発しました。
分子素子[用語1]は、分子の機能性を活用した低消費電力素子として注目を集めています。単分子を電極に接続した単分子接合[用語2]は、単純な集積密度の向上による効率化が可能なだけでなく、量子的な電子輸送や分子と金属の相互作用に由来した特異的な物性が観測されるため、新たな動作機構を持つ分子素子の探索系として注目されています。しかし、これまでナノメートルスケールでの電極から分子への配線は実現しておらず、実用化に向けた重要な課題の1つでした。
そこで本研究グループは、固体電解質中でイオンの酸化還元反応と輸送を制御する原子スイッチ[用語3]の活用に着目し、タンタル酸化物薄膜中にアセチレン[用語4]を吸蔵させた状態で、印加電圧により銀フィラメント構造を作製しました。この銀フィラメントとアセチレン分子が接続されていることを、非弾性トンネル分光法[用語5]により確認し、この手法で有機分子への配線が可能であることを実証しました。
今回開発した配線手法は、安定な固体中に分子を保存したまま、分子への電圧印加を可能にするため、低消費電力素子など、機能性を有する分子を活用した次世代素子の開発に貢献することが期待されます。
本研究成果は2025年10月25日付(現地時間)にWiley-VCHのSmall誌 へオンライン掲載されました。
背景
デジタル化の進展に伴って世界の電力消費量は増え続けており、持続可能性を担保した情報化社会の発展のためには、電子素子における省エネルギー性の向上が極めて重要です。分子の機能性を活用する分子素子は、従来の半導体とは異なる動作原理を持つ低消費電力素子として注目を集めています。特に、単分子が2つの金属電極に接続された究極的な構造を持つ単分子接合では、電子輸送計測の結果から、量子力学的電子輸送に由来した興味深い物性が報告されており、その機能性の活用が注目されています。しかし、実際に素子として活用するために必要とされる、電極から素子への安定的な配線は実現しておらず、実用化への障害となっていました。
本研究グループは以前から、単分子接合の電子輸送特性の解明と構造解析に取り組んでおり、単分子・単原子スケールでの構造と物性の解明に成功してきました[参考文献1-3]。本研究では、固体電解質中でイオンの酸化還元反応と輸送を制御する原子スイッチを活用して、銀イオンのフィラメントを用いたアセチレン分子への配線を試み、その状態の分光的な検出に取り組みました。
研究成果
研究グループは、原子スイッチを活用した単分子接合を作製するため、白金-タンタル酸化物-銀-白金の積層構造を持つ素子を作製し、タンタル酸化物薄膜中にアセチレンを吸蔵させました(図1(a))。この状態で、印加電圧により銀の酸化還元反応を誘起させて、銀原子によるアセチレン分子への配線を試みました(図1(b))。さらに印加電圧操作により、アセチレン導入時に特有な電気伝導度状態を観測し(図2(a))、対応する電気伝導度状態における非弾性トンネル分光法を適用することで、アセチレンの振動に由来したスペクトルを取得することに成功しました(図2(b))。
これらの結果に基づいた量子化学計算によるシミュレーションから、観測された電気伝導度と振動エネルギーは、アセチレン分子が銀フィラメントに接続された状態に対応していることが明らかとなりました。このことから、今回用いた新しい手法が有機分子への配線を実現するのに有効であることが確認できました。
社会的インパクト
本研究で開発した手法は、半導体プロセスを適用した素子作製技術を応用することで、固体中に保存した分子への配線を可能とする技術です。今後、この技術を機能性分子へと応用することにより、低消費電力素子などの新たな分子素子の創生が期待でき、持続可能な社会の実現に貢献すると考えられます。
今後の展開
今回の研究では、最も単純な有機分子であるアセチレンへの配線に成功しました。今後は今回開発した手法を発展させることで機能性分子への配線を実現し、機能性を有する新たな分子素子の開発に取り組んでゆきます。
付記
本研究は 公益社団法人 村田学術振興・教育財団「単分子界面構造の特定に基づく新規素子開発(研究代表:金子哲)」、東京工業大学 挑戦的研究賞「構造解析に基づく単分子接合の物性制御への挑戦(研究代表:金子哲)」、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究S「反芳香族化学の革新(代表:忍久保洋、 分担:西野智昭、JP22H04974)」、 同 基盤研究C「電流計測と表面増強ラマン計測に基づく単分子計測法の開拓(代表:金子哲、JP20K05445)」日中韓フォーサイト事業「原子スケール有機・無機ハイブリッド機能化とフレキシブル展開(代表:西野智昭)」の一環として行われました。
参考文献
- [参考文献1]
- S. Kaneko, D. Murai, S. Marques-Gonzalez, H. Nakamura, Y. Komoto, S. Fujii, T. Nishino, K. Ikeda, K. Tsukagoshi, M. Kiguchi "Site-Selection in Single-Molecule Junction for Highly Reproducible Molecular Electronics"J. Am. Chem. Soc. , 138, 1294–1300 (2016). DOI:10.1021/jacs.5b11559. 2016年 旧・東京工業大学プレスリリース「分子が金属のどこにどのように吸着しているかの識別に成功」
- [参考文献2]
- A. Aiba, F. Demir, S. Kaneko, S. Fujii, T. Nishino, K. Tsukagoshi, A. Saffarzadeh, G. Kirczenow, M. Kiguchi "Controlling the Thermoelectric Effect by Mechanical Manipulation of the Electron's Quantum Phase in Atomic Junctions" Sci. Rep., 7, 7949 (2017). DOI:10.1038/s41598-017-08553-2. 2017年 旧・東京工業大学プレスリリース「金原子接点を用い両極性の電池創生に成功」
- [参考文献3]
- K. Homma, S. Kaneko, K. Tsukagoshi, T. Nishino "Intermolecular and Electrode-molecule Bonding in a Single Dimer Junction of Naphthalenethiol as Revealed by Surface-Enhanced Raman Scattering Combined with Transport Measurements" J. Am. Chem. Soc., 145, 15788–15795 (2023). DOI:10.1021/jacs.3c02050. 2023年 旧・東京工業大学プレスリリース「単一のπスタック二量体を識別する手法の開発」
用語説明
- [用語1]
- 分子素子:分子の性質そのものをエレクトロニクスに活用した素子。軽量性、可撓性・柔軟性、材料種の多様性の点で優れているといわれている。
- [用語2]
- 単分子接合:単分子が電極金属に接続された、金属–分子–金属 構造体。単分子からなるため、究極的なサイズの分子素子とみなすことできる。
- [用語3]
- 原子スイッチ:固体電解質中で印加電圧により金属の酸化還元反応を引き起こし、イオンの溶出、固体電解質中でのイオン輸送、核形成反応を制御するしくみ。これにより、固体電解質中でナノサイズの金属フィラメントの形成と破断を制御することが可能となる。
- [用語4]
- アセチレン:炭素2個が三重結合により結合した炭化水素。π共役分子の基本単位とみなすことができる。ノーベル賞受賞につながった、白川英樹 博士によるポリアセチレンを用いた導電性高分子の開発が有名である。
- [用語5]
- 非弾性トンネル分光法:分子の振動により生じるわずかな電気伝導度変化を、電気伝導度の印加電圧依存性により検出する手法。
論文情報
- 掲載誌:
- Small
- タイトル:
- Redox-Induced Atomic Switch as Platform for Molecular Electronics Devices
- 著者:
- Akira Aiba, Marius Buerkle, Satoshi Kaneko, Tohru Tsuruoka, Sekito Nishimuro, Kazuya Terabe, Tomoaki Nishino