ポイント
- レトロウイルス由来の遺伝子が脳の重要な機能を果たしていることを証明しました。
- この遺伝子を欠失させたマウスは成長期以降に肥満、社交性低下、鬱様症状を示しました。
- これらの症状がプラダー・ウィリー症候群の後期症状と類似しているため、本疾患の発症メカニズムの解明や新規治療法開発への貢献が期待されます。
- ヒトが持つレトロウイルス由来の遺伝子群の機能解明を推進する重要性を示唆しています。
概要
東京科学大学(Science Tokyo)※ リサーチインフラ・マネージメント機構の非常勤講師である石野史敏名誉教授と、東海大学の金児-石野知子客員教授の研究チームは、東京科学大学実験動物センター、山梨大学、理化学研究所との共同研究により、レトロウイルス[用語1]由来の遺伝子Rtl8a、Rtl8bが、成体期における肥満、運動性の低下、社交性の低下、および鬱様症状に関与する重要な働きを持つことを突き止めました。
筆頭著者である藤岡慶史は、難治疾患研究所エピジェネティクス分野大学院生として、この遺伝子のノックアウト(KO)マウスの解析を開始しました。その後、博士課程では大学院卓越大学院生として、実験動物センターの金井正美教授のもとで研究を継続し、この遺伝子の持つ重要な機能を実証しました。このKOマウスの症状は、プラダー・ウィリー症候群(PWS)[用語2]の後期症状の特徴と非常に似ており、モデルマウスとしてPWSの発症機序の解明や新規治療薬の開発に寄与する可能性があります。本研究は、哺乳類特異的に存在するウイルス由来の獲得遺伝子群[用語3]の機能解析の一環として行われました(図1)。
RTL8AおよびRTL8Bタンパク質は脳の大脳皮質と視床下部で強く発現しており、KOマウスの大脳皮質では、抑制性神経伝達物質であるγーアミノ酪酸(GABA)[用語4]の受容体であるGABRB2[用語5]が減少していることが確認されました。この減少がさまざまな行動異常の原因となっていると考えられます。また、肥満を引き起こす視床下部の異常についても現在研究が進められています。
レトロウイルス由来の遺伝子が脳で重要な機能を果たし、ヒト疾患の原因遺伝子になりうる例は他にも報告されており、本研究はこの分野の重要性を示す新たな事例となりました。今後、ヒトにおけるレトロウイルス由来の遺伝子を対象とした大規模な探索プロジェクトにつながる可能性があると考えられます。なお、本成果は、1月29日(グリニッジ標準時)付で「Open Biology」誌に掲載されます。
- 2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、東京科学大学(Science Tokyo)となりました。

背景
当研究グループは、2006年および2008年に、ウイルス由来の哺乳類特異的遺伝子であるPEG10およびPEG11/RTL1が胎盤形成に必須の機能を持つことを報告しました。その後、これらと相同性を持つRTL/SIRH遺伝子群の解析を進めてきました。
Rtl8a, Rtl8b, Rtl8cはX染色体上にクラスターを形成する3つの相同遺伝子ですが、これらがなぜ3つ存在しているのか、またその具体的な機能については明らかになっていませんでした。
近年、アンジェルマン症候群(AS)患者由来のiPS細胞から作成された神経細胞において、PEG10タンパク質とともにRTL8タンパク質が過剰に蓄積していることが報告され、これらの遺伝子が疾患と関連している可能性が示されました。
研究成果
Rtl8a, Rtl8b, Rtl8cのうちRtl8aとRtl8bを欠失させたマウスは、成体期から体重が増加し、肥満症状を示しました(図2)。また、活動性の低下、社交性の低下、鬱様行動(図3)などの異常も観察されました。


RTL8aとRTL8bタンパク質は、脳の前頭前野および視床下部で発現しており、KOマウスの異常な表現型はこれらの脳領域の機能不全によるものと考えられます。前頭前野の遺伝子発現解析では、神経疾患に関連するGABRB2の発現が低下していることが示され、タンパク質レベルでもその発現低下が確認されました(図4)。

近年、アンジェルマン症候群(AS)におけるRTL8タンパク質の過剰発現が報告されています。この症候群は、プラダー・ウィリー症候群(PWS)と同じ染色体領域において、父親性の2倍体やその領域に含まれる母親性発現遺伝子UBE3Aの変異が原因であることが知られています。
RTL8タンパク質はUBE3Aの標的であり、PWSではRTL8の発現が減少していると考えられます。このため、Rtl8aおよびRtl8bを欠失させたKOマウスは、PWSの優れたモデルになる可能性があります。
社会的インパクト
これまで、プラダー・ウィリー症候群(PWS)の初期症状を再現するモデルマウスは存在していましたが、後期症状を再現するモデルマウスは報告されていませんでした。本研究によって、PWSの後期症状に関する発症機構の解明や新規治療薬の開発が進むことが期待されます。
さらに、ヒトゲノム内に含まれるウイルス由来の獲得遺伝子が重要な機能を果たしているという知見は、その意外性のみならず、医学や生物学における重要性の認識を広げるきっかけとなるでしょう。
今後の展開
ウイルス由来の獲得遺伝子は、PEG11/RTL1が指定難病である鏡―緒方症候群に、RTL4/SIRH11が自閉症スペクトラム症(ASD)に関連するなど、ヒト疾患に深く関係していることが示されています。今回の研究で、RTL8がプラダー・ウィリー症候群(PWS)に関与する可能性が示されたことで、ウイルス由来の獲得遺伝子のヒト疾患における重要性がさらに明らかになりました。
これまで、ヒトゲノム内に存在するウイルス由来のDNA配列は「ゴミ」とみなされ、長らく無視されてきました。しかし、これらの配列には多数の未知の重要遺伝子が含まれている可能性があり、この分野の研究を一層推進する必要性が示されました。
付記
本研究は以下の助成を受けて推進されたものです。
- 石野史敏:日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成基盤研究S(23221010), 基盤研究A(16H02478 and 19H00978)、挑戦的研究(開拓)(20K20584)。
- 金児-石野知子:日本学術振興会(JSPS)最先端・次世代研究開発支援プログラム(NEXT Program LS112)、科学研究費助成基盤研究C(17K07243, 21K06127)、東京医科歯科大学難治疾患研究所難治疾患共同研究拠点支援プログラム(平成24年~令和2年度)。
- 藤岡慶史:東京医科歯科大学卓越大学院生助成金(令和4〜5年度)
用語説明
- [用語1]
- レトロウイルス:RNAウイルスの一種で、逆転写酵素を持つことでウイルス遺伝子を感染細胞のゲノム内に挿入し、内在性レトロウイルスとして存在することができる。
- [用語2]
- プラダー・ウィリー症候群(PWS):染色体15番の一部の領域が、母親性2倍体になることで発症する疾患。初期は生育不良、後期は肥満、特徴的な行動異常などを引き起こす。RTL8は原因領域に存在するUBE3A遺伝子の標的となっている。
- [用語3]
- ウイルス由来の獲得遺伝子群:かつて哺乳類の祖先となる生物に感染し、ゲノム内に挿入されたウイルスの遺伝子が、幾つもの変異により、新しい機能を持った遺伝子として使われるようになったもの。胎盤形成に必須のPEG10、PEG11/RTL1などが知られている。
- [用語4]
- γーアミノ酪酸(GABA):神経系における代表的な抑制性神経伝達物質。
- [用語5]
- GABRB2:GABA受容体のβサブユニットの一つ。GABA受容体は5つのサプユニットで構成されており、最も一般的なタイプには2つ含まれる。
論文情報
- 掲載誌:
- Open Biology
- タイトル:
- Targeting of retrovirus-derived Rtl8a/8b causes late-onset obesity, reduced social response and increased apathy-like behaviour
- 著者:
- Yoshifumi Fujioka, Hirosuke Shiura, Masayuki Ishii, Ryuichi Ono, Tsutomu Endo, Hiroshi Kiyonari, Yoshikazu Hirate, Hikaru Ito, Masami Kanai-Azuma, Takashi Kohda, Tomoko Kaneko-Ishino and Fumitoshi Ishino
- DOI:
- 10.1098/rsob.240279
研究者プロフィール
石野 史敏 Fumitoshi Ishino
東京科学大学 名誉教授・リサーチインフラ・マネージメント機構 非常勤講師
研究分野:分子生物学
藤岡 慶史 Yoshifumi Fujioka
理化学研究所 生命医科学研究センター 非コードゲノム機能研究チーム 特別研究員
(研究当時、東京科学大学 実験動物センター 大学院卓越研究生)
研究分野:分子生物学
金児-石野 知子 Tomoko Kaneko-Ishino
東海大学 客員教授
研究分野:分子生物学
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