なぜ今、医療と材料は結びつくのか
がん治療、人工関節、再生医療、燃料電池。これらの課題の核心には「材料」がいつもあります。医療の高度化が進み、同時に材料やデバイス技術も飛躍的に進歩するなかで、いまや「分子や原子レベルで材料を制御できるかどうか」が成否を分ける時代になっています。治療の精度向上も、デバイスの高効率化や長寿命化も、もはや単一分野だけでは実現できません。材料科学、化学、物理、そして生命科学との本格的な連携が不可欠になっています。
2024年10月に誕生した東京科学大学(Science Tokyo)は、こうした背景のもと、医歯学と理工学を統合しました。そしてそれを象徴する成果が、国際学術誌 ACS Applied Nano Materials に刊行された特集号「Commemorate the Establishment of the Institute of Science Tokyo」です。
この特集号では、医療、材料、化学、エネルギーといった異なる研究分野が、ナノスケールという共通の視点からどのように結びつくのかが示されています。
ナノの世界で、物質は「別の顔」を見せる
ナノメートルは10億分の1メートル。髪の毛の太さの約10万分の1です。この極小の世界では、物質の性質が大きく変わることがあります。たとえば金は、塊のままではほとんど反応しない安定した金属ですが、ナノサイズになると化学反応を活発に進める触媒になります。サイズを変えただけで、物質の役割そのものが変わるのです。
本特集号では、ナノメカニクス、ナノバイオメディカルサイエンス、ナノマテリアル、応用ナノ化学の4分野にわたり、ナノスケールの理解と制御を軸とした多様な研究が紹介されています。その多くは、医療や環境といった社会課題を出発点にしながら、材料設計や分子レベルの制御によって解決策を探る研究です。
医療課題から材料設計へ向かうナノ研究
Science Tokyo難治疾患研究所の内田智士(うちだ・さとし)教授と持田祐希(もちだ・ゆうき)講師らの研究チームは、特集号の中で、mRNAデリバリーの長寿命化に関する研究を報告しました。
mRNAはワクチンや治療薬として注目されていますが、体内で分解されやすく、治療効果を制限する大きな壁となっていました。すでに実用化されている「脂質ナノ粒子(LNP)」は、mRNAを体内で保護し細胞に届ける技術として重要な役割を果たしてきました。研究チームはこれに加えて、特定の高分子であるポリカチオンを組み合わせる手法を開発しました。このナノスケールの材料設計により、細胞内に取り込まれた後もポリカチオンがmRNAを安定的に保護し続ける仕組みを構築しました。既存のLNP技術を改良するアプローチとして、mRNA医薬の発現持続性を高める可能性が示されています。
この研究は、医療の課題から出発し、材料設計によって解決策を探るという研究スタイルを示しています。医療と材料科学の知見を往復しながら進む研究は、ナノバイオ研究の重要なアプローチの一つとなっています。
また、Science Tokyo物質理工学院の児島千恵(こじま・ちえ)教授らの研究チームは、がん治療への応用を視野に入れた「刺激応答型ナノ酵素」の開発を報告しました。
酵素のように働く人工のナノ材料を設計できれば、がん治療などへの応用が期待されます。チームは、高度に枝分かれした樹状高分子「デンドリマー」をテンプレートとして利用し、その内部に極めて微細な金ナノ粒子を組み込んだ新しいナノ材料を設計しました。この金ナノ粒子は、生体内で「ナノ酵素」として機能し、過酸化水素と反応して強い酸化力をもつ活性酸素(ヒドロキシルラジカル)を生成します。この反応によって、がん細胞にダメージを与えることができます。
この研究の特徴は、ナノ酵素の働きをスイッチのように制御できる点にあります。デンドリマーは周囲のpHや温度の変化に応じて凝集する性質を持ち、凝集すると金ナノ粒子が内部に隠れるため反応が抑えられます。逆に分散すると金ナノ粒子が露出し、酵素活性が高まります。こうした環境応答によって触媒活性をON/OFFできる仕組みは、天然の酵素にはないナノ材料ならではの特徴です。
さらに、このナノ酵素は天然の酵素よりも熱や環境変化に強く、過酷な条件でも安定して働きます。実際の細胞実験では、アスコルビン酸(ビタミンC)と組み合わせることで、がん細胞を選択的に攻撃できることも確認されました。分子レベルで設計したナノ材料によって生体反応をコントロールするこの研究は、人工酵素(ナノザイム)研究の新しい可能性を示すものです。既存の治療法を補完・強化する材料として、がん治療への応用が期待されています。
材料合成の限界に挑むナノ材料研究
ゲストエディターのひとりである大竹尚登(おおたけ・なおと)Science Tokyo理事長らの研究チームは、これまで常識とされてきた制約を覆しました。原子1層分の厚さしかない2次元材料hBN(ホウ素と窒素からなる材料)は、高品質に作ろうとすれば数十分以上かかるのが一般的で、「速く成長させれば結晶が乱れる」というのが常識でした。
研究チームは、約1,200℃という高温と、整えた金属表面を用いることで、原子1層を約1分で成長させながら高品質を維持する手法を確立しました。さらにこの方法では、原子1層をおよそ1分という非常に短い時間で成長させながら、高い結晶品質を保つことができます。従来は数十分かかることも多かったプロセスを大幅に短縮したことになります。
さらに研究チームは、この単層hBNを燃料電池の材料として組み込み、発電性能の向上につながることまで実証しました。原子1層の材料を作る基礎研究から、エネルギーデバイスへの応用までを一体として示した点も、この研究の特徴です。
環境・エネルギーへ広がる機能ナノ材料
さらに、Science Tokyo物質理工学院のチャン・ツォーフ・マーク准教授らは、磁石にも使われる酸化ニッケル鉄(フェライト)という身近な材料に、新しい触媒機能を持たせることに成功しました。水中の有害物質を分解する反応は、一般に光を必要とする「光触媒」が知られていますが、研究チームは成分をわずかに変えることで、光がなくても反応が進む仕組みを実現しました。しかも反応後は磁石で回収でき、繰り返し使うことができます。
材料設計、機能評価、回収性、運用条件までを一体で設計する発想は、産学協働体制のもとで基礎と実用を同時に詰める意欲的な研究体制の成果と言えます。ナノ材料研究が、実際の社会インフラの課題と結びつきながら進んでいることがわかります。
本特集号は、新大学の記念企画であると同時に、分野を横断する研究が成果として次々に生まれつつある段階にあることを示しています。より長寿命の人工関節、副作用を抑えた治療法、効率の高い燃料電池、環境負荷を下げる触媒技術――。いずれも、原子や分子レベルの理解と制御から始まります。そして、それらは、やがて私たちの社会の姿そのものを変えていきます。
Science Tokyoを駆動するVisionary Initiativesの現在地、そしてこれから
Science Tokyoでは現在、未来社会のありたい姿を描き、その実現に向けて研究を束ねていく「Visionary Initiatives(VI:ビジョナリーイニシアティブ)」と呼ばれる新たな研究体制が始動しています。本特集号に収められた研究の多くは、医療、材料、環境といった分野の境界に位置しています。そうした研究の広がりは、Science Tokyoが目指す研究の方向性を示すものと言えます。
統合が本当に意味を持つかどうかは、これからの研究の積み重ねにかかっています。ナノという極小の世界で始まった医歯学と理工学の融合は、Visionary Initiativesのもとでさらに加速し、より大きな社会的価値を生み出していきます。
今回の特集号は、Science Tokyoの現在地を映し出すとともに、国際研究拠点として歩む姿勢を示す一冊です。
特集号の制作に関わったゲストエディターたち
今回の特集号は、ナノ研究を4つの視点からまとめたもので、それぞれの分野を率いるゲストエディターとして、大竹尚登(ナノメカニクス)、影近弘之(ナノバイオメディカルサイエンス)、原亨和(ナノマテリアル)、曽根正人(応用ナノ化学)の4氏が編集に携わりました。
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